番外編② 勇者、闇に墜つ。

 夢見ていた。

 英雄譚に憧れ、剣を振るって悪を滅ぼし、民からの感謝の声を浴びて王都を凱旋することを。

 皆の憧れる英雄、『勇者』を目指すのだと。

 夢を、見ていた。



         *



「ねえ、ラウス。今度いつ来てくれるのぉ?」


 娼館の入り口で、甘ったるい声で女が一人の男にしなだれかかっていた。派手な化粧に露出度の高い衣装を着た女は、一目で娼婦だとわかる。彼女が次回を強請っている男は、金を持っている風でもない。本来なら門前払いされそうな風体だ。だが通い慣れた風にその男は女をいなしている。

 その背に流れる黒髪を少し弄ってやりながら、軽く室内の方へ押しやった。


「気が向いたらー、な」


「やだ、つれないわ。頑張ってまたあたし達を買ってね、勇者様」

 

 女は諦めたように寄せていた身を離し、嫣然と笑みながらそう声をかける。返事の代わりに片手を上げてから、男は娼館を出た。

 一歩外へ出れば、そこは眠らぬ夜の街だ。常に魔石で灯りがつけられ、客引きのためだろうか、魔木を使って大道芸をする者もいる。出歩く者は着飾り、男は女を、女は男を侍らせていた。

 堕落した街。一言で言えばそれが一番似合うのがこの王都の片隅の歓楽街である。贅沢に魔木や魔石を使い、煌びやかに着飾って享楽を謳歌する様は今の人界の縮図のようだった。

 その輝く眠らない街で、男――ラウスの姿はひどく浮いていた。

 ボサボサの灰色の髪に胡乱な目つき。丈夫だけが取り柄の薄汚れた服に、なめし革の外套マント。腰に佩いた大剣は、彼が戦いを生業とする者であることを示している。

 ラウスはこの王都で、『勇者』と呼ばれていた。

 最も多くの魔物を討伐し、人界に安寧と平和をもたらす存在としての称号。誉高き冒険者の頂点だ。冒険者たちは我もそうあろうと、競って魔物を討伐するのだ。

 だがその名はラウスにとっては呪いだった。

 その名を冠された者は、王から魔物の討伐を命じられる。

 自ら冒険者として依頼を受けるのではない。まさに、『命令』だ。それに逆らうことは、人界での居場所を無くすことに等しい。人界の『平和』を守るために、その手腕を振るうことを強制されるのだ。

 尤も、ラウスには逆らうだけの気概も湧いてこないのだが。


「くだらねーぇ、なぁ……」


 王の命令も、『勇者』の称号も、女たちも客引きも、何もかも。すべては、ラウスにとって薄闇の向こうのものだった。



         *



「魔物の討伐?」


「ああ、そこまで強くねぇのがごろごろいるって話だ」


「魔木も魔石も好きにしていいってよ」


 とある春の晩。駆け出しの冒険者達が集まる宿へ、そんな依頼の話が飛び込んできた。

 新米冒険者達が寝泊まりするのはおんぼろの木賃宿だ。辛うじて個室ではあるものの、扉は物の役に立たないほど朽ちていて、金を払うのが馬鹿馬鹿しくなるものだ。

 そんな場所に棲み着く彼らにとって、実入りのいい仕事は何が何でも食いつきたいものだ。

 本来なら組合を通して以来の受発注がされるが、人数が必要なときはこうして冒険者が集まる場所へ直接話が舞い込んでくることもある。稼げる仕事はベテランがかっさらってしまうため、新米にとっては貴重な機会だった。

 ラウスもその例に漏れず、儲け話に食いついた。冒険者となってから日が浅く、まだまだ経験も足りない。小規模な護衛などで食い繋ぐしかなかったのだ。剣の腕に覚えがあるといっても経験がなければただの素人だ。魔物を一匹でも多く討伐して、早く一人前になりたいという欲もあった。


「なあその話、俺も入れてくれよ」


 嬉々として依頼の噂をしていた集団に首を突っ込むと、なるたけ明るく声をかけた。こういうのは早い者勝ちだが、上手くすれば仲間入りできる。驚いたように振り返る彼らの警戒心を解くように、にまと笑ってみせた。人好きのする笑みはこういう時に役に立つ事くらいは処世術として知っていたのだ。


「ああ、構わんよ。人数集めの手間が省けた」


 その効果だろうか。すんなりと仲間に入れた。儲け話を逃さなかった事にほっと胸を撫で下ろし、彼らのそばに自分も腰を下ろす。


「明日出発だが、行けるか?」


「何が何でも行くさ」


 にこやかに返すと、景気づけとばかりになけなしの金で買った酒を酌み交わす。

 己を鼓舞するように、皆で一気に杯を空けた。



 魔物の討伐場所は、人界と魔界の境目の集落だった。最近見つかった集落で、魔物も弱いものばかりが集まっているらしい。新米達には丁度いい訓練場だった。

 朝靄のまだ残る中、まだその集落は静かだ。魔物たちもまだ眠っているらしい。

 集まったのは大半が駆け出しの冒険者だ。そこに引率も兼ねて古強者が数人、加わっている。

 靄と茂みに隠れ、皆固唾を飲んで集落を見つめていた。

 やがて、古強者の一人がすらりと剣を抜く。立ち上がり剣を前方へ向けると、大声で叫んだ。


「かかれ!」

 

 その合図とともに、ラウスは仲間達と共に鬨の声を上げて集落に突っ込んだ。

 静かな集落は一気に戦場と化す。慌てて起きだした魔物たちは隙だらけで、格好の餌食だった。

 弱い魔物ばかりという前情報は正しかったようで、新米達でも難なく魔物を切り捨てていける。

 大きな体で立ち竦む化け物を屠り、羽根や角の生えた異形を殲滅する。倒すごとに、人界は平和に近づいていくのだ。そんな英雄主義ヒロイズムに、冒険者たちは酔っていた。

 その高揚感は一種の麻薬のようなものだ。新米達は皆、興奮に満ちた顔をしている。ラウスも例外ではなかった。

 剣を目いっぱい振るい、大した抵抗も出来ない魔物たちを次々と斬っていく。血の花が咲く光景は、興奮をより一層高める装飾となった。

 粗方魔物が倒されると、皆は魔木や魔石集めにを始めた。魔物の死体から主に採れるそれらは高級品だ。自分で使うのも良いが、売ると良い金稼ぎになるのだ。血の興奮が冷めぬ冒険者たちの目は、金稼ぎに対してもひどくぎらついていた。

 ラウスも少しでも集めようと、魔物の集落の奥まで入っていく。奥はまだ手付かずだ。中心部よりも魔物の死体は少なく、仲間たちもまだ山積みになっている中心部で夢中になって魔石を漁っている。

 奥へ奥へ入っていくと、やはりちらほらと死体がある。一つ一つの死体を抉り、魔木と魔石を懐に入れる。機械屋の街で売れると聞く血や魔物の体の一部も、持っていけそうなものは剥ぎ取って背嚢に詰め込んだ。

 用済みとなった魔物の死体を端に蹴飛ばして退けていると、奥の茂みからがさりと音がした。それに思わず視線を上げる。

 目を細めて確認するが、靄が濃くよく見えない。


「……んー?」


 生き残りでもいたか。

 念のために剣に手をかけ、警戒しながらそっと足音を忍ばせて音のした方へ近づいた。

 靄の隙間から見えたのは、震える頭だ。濃い青の髪だろうか。こちらを怯えて見上げる顔には小さな魔族紋様がある。耳があるであろう部分には頭髪と同じような色の羽が生えていた。

 間違いない。まだ子供だが、魔物だ。

 口の端に笑みが浮かぶ。それは、仲間たちに見せた人好きのする笑みとそう変わらない。だが、小さな魔物には獰猛な野獣の笑みに映ったかもしれない。がたがたと肩が震え、動きたくとも動けないようだった。

 楽でいい。


「よし、もう一匹追加だ」


 ラウスは未だ冷めぬ興奮に従って、血に塗れたままの大剣を魔物に向かって振り下ろした。


「おとうさん、おかあさん、たすけてぇ…!」


 斬る直前。そんな言葉が魔物から発せられたのが、耳に届いてしまった。

 だがもう剣は止められない。そのまま魔物の子供は剣の餌食となり、血溜りの中で動かなくなった。

 ラウスは黙ってそれを見下ろす。その赤は、先ほど暴れていた時とは全く違う色に見えた。

 気が付いてはいけなかった。

 魔物が言葉を発し、人の姿に近い事を。同じように家族を持ち、子が生まれそれぞれの絆があるという事を。

 その血の色が、人間と酷似しているという事を。


「あ……あぁ……」


 これでは。魔物の討伐とは。

 ただの、人殺しだ。

 


 それからの記憶はあまりない。気がつけば報酬を手に、木賃宿の自室の寝台に座っていた。

 持っていた魔木や魔石もいつの間にか売り払ったのだろう。ずっしりと重い布袋は、冒険者となってからは一番の重さだ。

 だが袋の重みは手に馴染まない。それどころか金を見るだけで、助けを求める幼子の声が耳に蘇った。

 助けを求めて涙に濡れる声。その声を、ラウスがった。


「う……ゔぉ……ぇ……」


 たまらずその場でうずくまって吐いた。床に撒き散らされた吐瀉物は、何も食べていないからか液体だけだ。一体いつから食べていないのかすら思い出せない。

 まだ胸に残るむかつきを取るように喉を掻き毟る。うずくまった拍子に床へ落ちた金が、ラウスを嘲笑っているように見えた。


「こんなもん……」


 ラウスは寝台から立ち上がり、金を拾い上げる。袋をしっかりと握りしめたまま。ふらふらとおぼつかない足取りで街へ出た。

 すべてを、忘れてしまいたかった。


 その金は、一晩で女と酒に消えた。



         *



 歓楽街を抜け、脇にあるスラムを抜ける。その先の街外れにある粗末な家が、勇者ラウスの根城だ。

 がたつく扉を閉めると、外套マントを脱いで寝台に放り投げた。そのままどっかりと窓際に置いた椅子に座り込む。

 『勇者』の称号とは裏腹に、家の中も華美とは程遠い。寝台と椅子、小さなテーブル。家の中には最低限の家具しか置いていなかった。余計なものに使う金は、全て娼館と酒に使ってしまっていた。

 余計な金は持たないに限る。良く言えば宵越しの金は持たない主義。悪く言えば放蕩者だろう。だが重い金の袋はそれだけでかつての胸の悪さを思い出してしまう。

 懐から煙草を取り出すと、魔木で火をつけてその煙を吸う。酒と女以外で、頭の中の霞を濃くするにはこれが一番効果があった。手放せなくなっているそれは、煙草の中の薬草の配分も変えてある特注品だ。胸に煙が満ちると、いくらか気分がマシになる。

 吸いながら、ぼんやりと背嚢から手帳を取り出す。

 いつもつけているものだ。大分小汚くなっているが、剣以外では唯一の大事なものと言える。

 ぱらりと捲り、小さなペンで書きつけていく。

 書くのは、今回の戦いで殺した魔物の特徴だ。今回は三人ほどだ。

 一人は大きな蝙蝠の羽が生えた男だった。燃える黄緑の目が印象的だった。

 また一人は女だった。手が羽となっていて、真っ白な髪が美しかった。その白い目は恐怖に揺れていた。

 もう一人は角が三本ある若者だった。薄氷のような青い目で、諦めたようにラウスを見ていた。

 すべて書き終えると、もう一度煙草を吸う。

 以前、これを見た知人に「何のために書くのか」と尋ねられたことがある。

 適当にただの観察日記だと答えたが、それは本心ではない。

 死んだ後に、あの世で恨み節を言われても思い出せないようでは罪悪感も持てない。その姿を、目を忘れないようにこうして書いている。

 手帳は既に百頁を越えている。びっしりと魔物の特徴で埋まる頁をながめながら、よく殺したものだと自嘲の笑みが浮かんだ。

 得意だった人好きのする笑みも、あの日以来できなくなった。そんな笑いを浮かべる気にもならない。


「……ああ、つまらねぇなーぁ」


 罪を償いたくとも、殺してくれる魔物も人間もいない。下手に剣の才があったのが運の尽きだ。

 振るえば魔物は途端に死んでいく。経験を積めば積むほど、体が勝手に回避の行動を取る。生きる本能のようなものが無意識の内に魔物をまた殺す。

 染みついたさがが、憎らしかった。

 気づけば煙草の吸い口を嚙み潰していた。歯を噛み締めていたのだろう。勿体無い。思わず渋い顔になった。

 もう一本吸うかと煙草を取り出そうとすると、タイミング悪く扉が叩かれた。


「勇者ラウス殿! 国王の召喚であります!」


 大声で名を呼ばれる。いつもの、国王からの喚び出しだ。

 兵の大きな声に痛む頭を押さえると、椅子から立ち上がる。


「あー、わかった。今行くぜーぇ」


 声をかけてから寝台に置いたままだった外套マントを羽織り、扉を開けた。

 そこには新人の兵なのだろう、少し興奮気味の顔をした若者がいた。だがラウスの小汚い姿に若干の落胆の色も見える。『勇者』に憧れて、伝令に立候補したくちなのだろう。

 彼の表情の変化に肩を竦める。


「ほら、もう行けるぞぉー」


 そう声をかけ、先に立って歩き始めた。



「よく来たな、ラウス」


 謁見の間に入ると、国王が玉座に座っていた。恰幅の良い体は豪奢なローブに包まれ、手には王笏が握られている。

 その姿に威厳を感じる者もいようが、ラウスにとってはただ自分に命令してくる老人に過ぎない。

 それでも敬意を表して見せる為、跪いて胸に手を当てた。


「は、陛下におかれましてはご健勝のことと」


「挨拶はよい。其方に頼みたいのは他でもない。

 魔族の王、魔王の討伐である」


 ラウスの挨拶を遮り、王は命令を口にする。


「勇者ラウス。魔王を倒せ。そして人界を永遠の平和に導くのだ」

 

 魔王。

 その言葉に、思わず口角が吊り上がった。

 とうとうだ。望んでいた時がきた。罪を贖う時が。

 魔王ならばあるいは、自分をあの世の地獄に叩き落してくれる。何年か振りに、ラウスの心中が喜びで満たされた。


「謹んで、お受けいたします」


 ラウスは声に喜色を含ませて、拝命する。

 死を手に入れるために。

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機械屋、魔王城修理します。 水森めい @mizumei

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