機械屋、勇者に備える。

《人界に、冒険者と呼ばるる者あり。

 遺跡で宝物を求め、未踏の大地を開拓する者たち也。

 されど冒険者、己がため魔物を殺す。守るため、食うため。そして己が正義のため。

 いつしか魔物を殺すもの、冒険者と呼ばわれり。

 数多の魔物を殺したものを勇者と呼ぶ》


「こんな話が伝わっててな」


 ロセウスの朗々とした語りに、ディードは軽く拍手を送った。

 体格が良いおかげか、そこらの吟遊詩人よりもうまく聞こえたのだ。


「勇者なんてもん、いたのも知らなかったな」


 強い酒を舐めるように啜りながら、ディードは記憶を探る。それらしき人物が素材を売りに来た記憶もない。

 凱旋なんてものも見ていないし、そもそもそういう場に誘われた記憶も遠かった。

 

「なんだ、人界では有名人ってわけじゃないのか?」


「有名は有名かもな」


 《勇者きたる!》なんてビラを見た気もする。

 酒に呆けた頭の中、記憶の引き出しを探るが、その詳細はおぼろげだ。載っていた姿絵も碌々思い出せない。


「とりあえず男ではあったな」


「女だったら女傑もいいとこだろ」


 ロセウスはジョッキでがぶがぶとエールのようなものを呑んでいる。ディードの勇者への感想を笑い飛ばすと、目の前につまみとして置いた肉を齧った。豪快なその食べ方は、心地良くさえ感じる。

 ルーフスから街の話を聞いた後、ディードは目に見えて落ち込んでいた。そんなディードを、ロセウスは酒の場に引っ張り出したのだ。なんでも気分が落ち込んだ時は、酒を呑んで忘れるに限るというのが彼の持論らしい。

 そういう経緯で、二人は酒と肉をかっ喰らっていた。


「勇者ってのは、強いのかね」


 ぽそりとディードは呟く。彼が知る冒険者は皆、血と土の匂いをぷんぷんさせていた。その汚れた姿からは、強さは感じられなかった。

 もっとも、戦いの素人であるディードに実のところはわからないが。


「そりゃそうだろうさ。聞いただけでも百にん以上、殺されてるらしい。

 報告から漏れたり、行方知れずになってるヤツを含めたらもっとだろうな」


 ロセウスは少し顔を曇らせる。

 きっと、知り合いなり友人なりがその中に含まれているのだろう。

 ちら、とディードは周囲を見回した。そこは魔王城の中の魔物達が使う食堂だ。

 不愉快そうにディードを見ながら食事をとっている者達。もしかしたら、勇者に身内を殺された者がいるのかもしれない。

 考えながら、ディードも目の前の肉を齧る。肉と香辛料、それと塩漬けにでもしていたのだろうか、塩気が口一杯に広がる。

 魔王城の食事は当然、魔物達の舌を基準としているため人間には少し塩辛い。それでも食べられないわけではない。寧ろ美味だった。塩気を酒で流し、その強い酒気に大きく息を吐く。鼻から燻製の香りが抜けた。


「いいな、美味い」


「だろう? ここの料理人は料理がうまくてな!」


 嬉しそうにロセウスが言う。

 その口調は弾むようなうきうきとしたもので、自慢が含まれている。

 どうやら慰めるだけではなく、ここの味を知らない者に自慢がしたかったようだ。


「料理人は知り合いか?」


「オレの女房だ。後で紹介してやる」

 

 胸を張って応えるロセウスに、目を瞬く。

 惚気だろうか。

 己も相手をきちんと尊重していたのなら、彼女と一緒に道が歩めたのかもしれない。

 酒で薄れかけていた人界での出来事がずんと胃の腑に落ちて、少しだけ酒が不味くなる。

 酒の味を誤魔化すように、ロセウスに問いかけた。


「嫁さんか。いい女なのか?」


「そりゃあ、オレの女房は魔界イチだぞ」


 そう言いながら、ロセウスは厨房の方を見る。つられてそちらに目線を移せば、何人もが立ち働く中で一際目立つ紫色の髪が揺れていた。あれが恐らく、ロセウスの連れ合いなのだろう。

 くるくるとよく動き、他の料理人に指示を飛ばしているのが見える。

 ふと、二人の方を振り向くと、笑顔で手を振ってきた。それに応えるようにロセウスも手も振る。その顔は幸せそうだ。独り身のディードには、その仲睦まじさが眩しく見えた。


「仲が良さそうで何よりだ」


「魔界で一番の夫婦だぞ!」


 これ以上は惚気しか返ってこなさそうだ。実際、嬉しそうに女房自慢を続けている。それを羨ましそうに眺めながら、今後のことを考えた。

 もう、街に居場所はないだろう。

 道具も略奪されているのだから、今あるものでなんとかするしかない。

 そして、人界そのものにも戻れるとは思えない。

 魔王の手下という烙印レッテルは街の外で過ごすにも危険すぎる。

 それほど人界では魔王は敵視されていた。

 人間を憎み、残虐に殺すことを目的としているだの。魔物を使って人界を滅ぼそうとしているだの。はたまた、世界征服を目論んでいるなんて話も聞いたことがある。

 だがディードが見た魔王はそんな世間の想像イメージと違い、随分と穏やかで理性的だった。

 魔物達にしてもそうだ。人間であるディードがうろついても、不快そうな顔をする者はいても殺そうとする者はいない。

 人間の方が己を正義と断じている分、厄介である。大義名分があれば何でもする。


「俺が人間嫌いになりそうだな」


 女房自慢がふと止まる。


「なんだ、オレの自慢聞いてなかったな?」


「長いんだよ」


 くつくつと笑ってディードは酒を飲む。良い具合に酒が回り始めた。

 ここで暮らすのも悪くないかもしれない。

 任された仕事が終わったら、魔王に頼んでみよう。そんな今後の予定を頭の中で立てた。



         *



「魔王城ってぇのはこの先かぁ……?」


 一人の男が、魔王城のある方向を目を細めて見ている。

 その風体は薄汚れているというのが適切だ。ぼさぼさに伸ばした灰色の髪に、同じ色の無精髭。何かの染みがこびりついている外套。腰の大剣だけが、辛うじて彼が浮浪者ではないことを示していた。

 すっかり軽くなった背嚢を背負い直し、男は辺りを見回した。癖なのか、顎の下をぼりぼりと搔いている。


「魔物の気配は、ねぇーなぁ」


 困った表情を浮かべて、大仰にため息を吐いた。一先ず今日野宿する場所を探さなくてはならない。

 男が鼻をひくつかせると、その鼻に水の匂いがふわりと届く。匂いのする方向には鬱蒼とした森があった。そちらへ足を向けると、男は歩き出した。

 その背中は丸まっているようにも見えるがその実、歴戦の雄でも戸惑う程に隙がない。

 この男は、人界では勇者と呼ばれていた。

 腐るほどに魔物を狩り、それで生計を立てている。他の冒険者では手が出ないような魔物が出没すると、王直々に討伐の依頼が来ることもあった。

 その都度そこそこの金が手に入るのだが、男はすべて酒と女に消費していた。そのため、その風体はいつも勇者という立派な呼称に相応しくない小汚いものになってしまう。

 王の側近からも苦言を呈されることはよくあるのだが、「どうせ汚れるのだから」と面倒がって服装は整えない。

 今回もその王直々の討伐依頼だった。しかも、魔王という巨悪を倒す依頼だ。貰える報酬は計り知れず、一体どれだけ高い酒と高級娼婦が独占できるか皮算用するほどだった。


「こんな生活ともおさらば出来ればいいけどなぁー」


 独言ひとりごちて、水の気配を辿る。森の中を濡れ葉を踏みしめながら歩けば、耳にさらさらと音が届いた。川のせせらぎの音か。


 「んんー……この辺か?」


 少し進むと、明るい日差しが注ぐ開けた場所だ。森の薄暗闇から出る直前。

 明るい幼い声が二つ聞こえた。


「ねぇねぇ、帰ろうよぉ」


「大丈夫だよ、こっちこっち!」


 声だけ聴けば、幼子が探検か何かに出ているのだろうと思える。

 だがここは魔王城にほど近い森の中だ。

 木々の隙間から見えるのは、鮮やかな髪色だ。若葉のような緑色と、濃い桃色。顔には小さいが魔族紋様。

 髪の色も、紋様も間違いない、魔物だ。

 男はそっと腰の剣に手をかけ、忍び寄る。

 目の前のものは幼子だ。簡単にやれる。


 「お父さんとお母さんに怒られるよ!」


 「大丈夫だっ……」


 その声は、途中で途切れた。

 若葉の髪の魔物が、血を噴き出して倒れる。桃色の髪の魔物は、唖然としてそれを見ている。

 次の瞬間、もう一つの血飛沫が飛ぶ。

 数秒後には、男の足元には死体が二つ転がっていた。


 「悪いなぁー」


 呟いて、剣についた血を払う。

 二つの死体から魔石を取り出すと、ふ、と息をつく。


 「さすがに子供を殺すのは、いい気分はしねぇーな」


 だが、魔物は死すべき運命のものだ。見つけてしまえば逃す道理もない。

 死体を蹴飛ばし、隅へ追いやる。

 

 「ま。水と食料は手に入ったなぁー」


 近場に座り込むと、男は火を熾しはじめた。


         *


 ロセウスと酒を飲んだ翌日から、ディードは猛然と魔王城の修理を行った。

 通路の落とし穴や、壁から出る槍衾、挙句の果てには動く壁まで様々な機械を一つずつ調査し、修理していく。

 複雑な機構もすぐさま理解し、次々と直っていく様に、ルーフスもロセウスも驚いた顔をしていた。

 その手の速さは、人界であった出来事を忘れようとするようで。他事を考えないようにするための、自己防衛だったのかもしれない。

 元の機械の質が良いのか、素材も然程大量には消費しなかった。

 そして一月ひとつき半もすれば、ほぼ全ての機械が息を吹き返していた。凄腕機械屋は、半分の期限で依頼の仕事を終了させたのだ。

 仕事を終了させて数日後、ディードは魔王の呼び出しを受けた。


「大義であったな」


 その言葉に、黙って頭を垂れる。

 常に案内役として同行してくれたロセウスや、監視役のルーフスも膝をついて畏まっている。


「ルーフスから聞いてはいるが、漏れている個所はないか?」


「はい。無事、玉座までの道程で修理できていない場所はないと思います」


「うむ」


「私から、詳細を申し上げます」


 ルーフスが立ち上がると、報告書を手に修理箇所の説明を行う。

 魔王は玉座の肘掛けに頬杖をつき、足を組んでそれを聞いている。その姿は、連れてこられた時に見たものと全く変わらない。だがその顔は満足げに笑んでいた。

 この一月ひとつき半、魔王城内を修理して回ってわかったことがある。

 この魔王は、優しすぎる。

 直接声をかける事こそ少ないが、魔王城内の細々としたことまで魔王の意思が働いているのだ。

 大きなものは食料や酒類の豊富さ、小さなものはそれこそ会談の段差に至るまで。魔物を愛し、保護しようとしているのが手に取るようにわかる。そして、それを守るために強大な力を有していることも。

 だからこそ、人間へ慈悲もかけられるのだろう。そのことを人間側は御しやすいと曲解してしまったようだが。

 

「ディードよ」


 思考に沈んでいたディードは、名を呼ばれて顔を上げた。

 

「はい」


其方そなたは、任せた仕事を全て終えた。相応の褒賞を与えよう」


「ありがとうございます」


「あともう一つ、これだけは問わねばならぬ」


其方そなたは、人界に戻ることを望むか」


 低く響いた魔王の声が、すうとディードの頭に入ってくる。この仕事をしている間、何度も何度も考えて結論を出したことだ。

 魔王の深い黒い瞳をじっと見ると、一つ深呼吸をする。


「魔王様、俺は」


「お取込み中申し訳ございません!」


 ディードが答えようとした矢先、転がるように魔物が一匹飛び込んできた。


「何事だ!」


 ルーフスが入ってきた魔物に𠮟責するように問う。だがその魔物はたじろぐ様子もなく、大声で続けた。


「勇者が城門前へ現れました!」


 その場の空気がぴんと張り詰めるのを感じる。

 遂に、人界が攻めてきたのだ。

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