ワタシの後のアナタのために 急
普段は東の海で漁をする。この時期は繁忙期前の長い休みだ。とはいえ3日と空けず漁には出るし、海に出るにも、海に出なくてもやるべきことはたくさんある。この島は閉じた環境ではあるが、本土が近く内海が北から西へあるため本土の漁師との連携も必要だ。伝統文化の継承として、いくつかの作法も知ってはいる。しかし、だからこそ漁師とは海に生き、海に死ぬ、海にあるのだと俺は思っている。
この時期にしては少し遅い海霧、それもちょっと信じられないような濃さの霧に今日は大人しくしているかと思い、島の中心部へ向かう。
俺としては相当なショックだった。沈むなんて有り得ない。自分のものではないとはいえ、操船したことがないわけでもない。でも沈んだ。何故だ、どうして。自分の家で起床したことよりも、そのことが気になって仕方がなかった。
西の港へ直行し、船の用意をしていれば海岸線沿いに綺麗な面影を見つけた。
「本土行くの?」
「ああ、ちっと人呼びに」
「なんで」
言葉に詰まる。元々口は上手いほうではない。現状を話したところで彼女は信じないだろう。
「……ま、気ぃ付けて。うちは礼んとこ行ってくる」
「っ待った!」
彼女に手を伸ばしてしまった。引き留めるだけのつもりが、思ったよりも強く。
「……なに」
顔と顔が近づく。明らかな怒気を漂わせた彼女の顔は、しかし昔の面影をわずかに残したままの、美しい造形をしていた。
「……礼はいない」
「は?」
キョトンとした表情のなんと可愛らしいことか。表情に出ないようにする。それなのに、彼女はそんなどうでもいいことすら見抜いたのか。きゅっと表情を締めなおす。
「離して」
「ダメだ」
「なんで」
もうなんと言っていいか分からなかった。いや、何を言っても、何も言えなくても彼女はその目で現実を見ようとするだろう。
「人を呼んだほうがいい」
「だからぁ」
するりと抜け出た彼女を捕まえようと、とっさに手を伸ばした。それがいけなかったのだろう。防波堤で彼女を突き飛ばしてしまった。
「ちょっ」
「洋子!」
小さな港の細く薄い防波堤だ。彼女は向こう側へ消えていき。俺はそれを追いかけてとっさに海に飛び込んだ。そうして、浮かび上がった時には自宅の布団の上だった。
俺は結局これをもう一度繰り返した。次に洋子に声を掛けた時は、何故かあっさり乗船し、そうして再び沈んだ。今度は沖も、船も、操船にも気を付けていたが沈んだ。
俺は海を渡る方法を探した。そうしないと、誰も助けられない。何も変わらないと思ったからだ。
東の港から出た。沈んだ。南西の小さな港から出た。沈んだ。北の漁港から出た。沈んだ。
何が足りない。何をすればいい。船を変えた。ダメだった。沖合まで出ず、近海を島伝いに渡った。行って帰っては来れるが、他の港には行けなかった。
心が折れそうになった時、ふと懐かしい顔を見た。弘久だった。
何を話したかも覚えていない。ああ、そうだ。本来ならこの時期は舟盆だ。俺は無意識に、弘久を還したのだった。
さすがに驚いた。永嗣くんによる初見殺しをくらった俺は、一先ず目的のために動き出す。礼の家で待てば、礼と洋子姉とは合流できるだろう。永嗣くんとはもう少し落ち着いた状態で会いたいものだが。
両親の家を後にした俺は、するすると山を下り、そしてまた上る。
「ごめんくださーい」
礼の家に着いた俺は引き戸をコンコン。やがてガラス戸越しにシルエットが浮かんで、ガチャガチャと鍵をいじる音。
がらりと開かれた玄関の先には、久々に見た元気な幼馴染が立っていた。
「ひろぽん」
「よ。きちゃった」
くしゃりと破顔した幼馴染を見て、俺はしてやったりといたずらな笑みを浮かべた。
礼と話をしていると、ほどなくしてガンガンと戸を叩く音にガラッと戸を開く音。とっとっとっ、と軽快な足音が開きっぱなしの引き戸一枚向こうで止まる。
「やっほー洋子姉」
「いらっしゃい、洋子姉」
「……あんたたちねえ」
困ったような、それでいて少しだけ嬉しそうな洋子姉を見て、懐かしく、それでいて物足りなさを覚える。やっぱり兄貴もいなくちゃね。
今朝はいつものように食事の支度をして、洋子姉からのお土産を見た瞬間、何故だか急に手が震えてきて、視線は西の港へ向いて離れない。そうして、あれ、と思った。人が全然いない。観光案内所にも港にも誰もいないというのは、これまで見たことがなかった。用意していた食事をしまい、エプロンを外して、所在無く立ち尽くす。どうすればいいのか不安になって、でも何をしようか迷って、そんな時に彼が、
「永嗣くんはいつも最後だったね」
「じゃ、言い出しっぺの法則を適用します」
「あんたそれ、いやでも……。礼は、どう?」
「いいよー」
迷う必要があっただろうか? まあ一人だけ仲間外れにするような年でもなし。今は何故だかすごく元気が湧いてきている。さあ、ひとっ走り行ってきます!
島の北部中央、家の前の道を数分上った先にある参道入口から
島のパノラマをバックに丸太の手すりに腰掛ける洋子。
社殿の横壁を背にしゃがみ込んで、洋子を見上げるようにしている礼。
二人の奥で立ったままこちらを見る弘久。
そして社殿の真ん前、仁王立ちで立つ
合流はいつも俺が最後だった。
「……よう」
「
「あんた何でいつも
「やっほー永嗣君」
ああ、そうだった。ほんの数年前まで、いつもこんなやり取りをしていた記憶がある。茶々を入れる弘久とチクリと刺す洋子に、いつもと同じ掛け声の礼。俺の、ように続く言葉も、待たせたな、か、遅かったな、と返していた。
あの頃はなんともなしにここに集まって話をしていた気がする。あれが面白い、これがつまらない。あれが欲しいこれが欲しい、こうしたい、こうなりたい。
どこか生意気な弘久が、嫌いでも仲良くするのは変なことじゃないと言っていたことに納得する時間もあった。洋子が店を開きたがっているのは知っていたが、
昔のこと、今のこと、未来のこと。多くを話した気がする。
思えば何時もここに来たときはずっとこんな日々が続くと、俺は期待していたのかもしれない。
ふう。話した話した。既に日が昇り始め、朝日が眩しい時間だ。今年もいい帰省になったと思う。まあみんな大人になった分、ちょっと複雑にはなったけど、終わり良ければ全て良しってね。
参道を下る
盆、というのは祖先の慰霊だ。意味がないとは言わないが、まあそれでも自分には早すぎるわけで。今しばらくこの
来年また会いましょう。それでは。
ワタシの後のアナタのために 七取高台 @koudai7tori
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ワタシの後のアナタのためにの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます