第6話 狭間の島Ⅱ
廃屋を出た。
同時に、異様な暗さに気づく。
まるで日没の少し前のようだ。
腕時計へ目を遣ると、十六時に差し掛かったばかりだった。日没は遠いはずだ。廃屋に入る前から、曇り空のせいで少し暗かった。しかし、そんなレベルではない。
蒸し暑かったはずの空気には夕冷えの風が吹いていた。草木が掠れ、微かに音を立てる。同時に、何かから見られていると気づいた。廃屋や草むらの中に何かがいる。
山へ向け、景太は歩きだした。足取りは覚束ない。
それに亮一も続く。
不審に思い、留衣は尋ねた。
「ちょっと――どこ行くつもりなの?」
振り向くことなく景太は答える。
「竜神宮だ。」
初めて聞く言葉なのに違和感はなかった。そこには、この島が沈んだ原因となった物がある――形がないはずの神の像が。龍の形をしているのか――それとも、別の形か。
二人の姿が遠ざかる。
再び視線を感じた――しかも一人や二人ではない。
背筋が冷え、留衣は二人に続く。
景太の足取りは千鳥足に似ていた。一方、亮一はそうではない。
今さらながら、なぜ自分は「竜神宮」を知っていたのかと思った。
山へと続く道を進む。
廃屋で教科書を見たときから感じていた――自分はここに来たことがあると。当然、そんなはずはない。だが、何かの記憶が鎌首をもたげているかのようなのだ。
何かの焦げたような臭いが強まった。
十人近く、あるいはそれ以上から見られている。視線の主は存在しない。それでも感じられる――廃屋で食器を見たとき、そこにいたはずの人を感じたように。
草むらのあちこちには、地面の抉れた穴が見えた。水が溜まり、小さな池となっている。あそこもまた爆撃によって開いた穴なのだ。しかし、比較的新しい。恐らくは数十年も経っていないだろう。
やがて道は坂となる。
そして森へ入った。周囲がさらに暗くなる。
焦げ臭いものが強まった。やがて、それは薄っすらとした煙となる。
森の中にも、同様の跡がいくつか見られた。樹々の中で池となっている。
途中、道路は大きく抉られていた。周囲には、アスファルトと土が飛散している。
その先は、二叉に別れていた。右は下り坂で、左は上り坂だ。左側の道の手前には、四角い杭が刺さっている――「龍神宮」と書かれていた。
道路に開いた穴を、迷わず景太は迂回する。そして左の道へと進んだ。しかし亮一は少し躊躇う。穴の前で立ち止まり、ちらりと留衣の方へ振り返った。戸惑うような――哀しむような色が目元に浮かぶ。だが、すぐに顔を逸らし、景太へ続いた。
留衣は二の足を踏む。
この先では――何かが燃えているのではないか。
それでも、取り残されることを恐れて二人に付いて行く。
坂を上るにつれ、煙は濃くなった。臭いが耐え難いものになる。
やがて、火事が起きていると知った。
地面のあちこちから煙が出ていたのだ。
――地下火事だ。
そんな言葉が頭に浮かんだ。
焚火よりも小さな煙が、腐葉土の積もる地面の中から立ち上っている。
――地下火事は何年も続いている。
山の上から下へと、火事は流れてきているのだ。煙の出ている穴は、地下で繋がっているのではないか。そんな中を、焔は流れている。
支離滅裂な思考の中、坂を上った。
煙を吸いすぎたためだろうか――頭は朦朧としていた。
やがて、一つの光景が目に浮かぶ。
ヒトデの形をしたアメーバのようなものだった。近くにあるものが一つ、遠くにあるものが一つ。坂の彼方から流れて来る――小さく見えたものが大きくなる。
それが何なのか直感的に判った――人間の「赤ん坊」だ。
まるで強迫性障碍のように、「赤ん坊」は繰り返し流れて来る。
やがて紅い鳥居が現れた。鉄パイプで作った簡素な物だ。紅いペンキがべったり塗られている。鳥居の向こうは急な石段が伸びていた。
鳥居は、本島の御嶽で見られるものにも似ている。
本来、御嶽に鳥居はない。それが、後の時代に本土の影響で作られるようになった。けれども、この島では元々から一般的だったような気がする。
一心不乱に景太は石段を昇っていった。やや慎重な足取りで亮一もそれに続く。
留衣は石段を見上げ、周囲の樹々が枯れかかっていることに気づいた――恐らくは長年に亘る地下火事の影響だ。
留衣は再び二の足を踏んだ。この向こうには何がある。しかし、それを見ることが恐ろしい。ニライカナイにいる形のない神――それは、一つの島を沈めたほど畏れられていたものだった。
二人の姿が遠ざかる。それが堪らなくなり、留衣も石段を昇った。
恐らくは十メートルもない石段を昇り切る。
境内が拡がっていた。
コンクリートか石で出来た祠が奥にある。正面には木戸がついていた。石段から祠まで何かで舗装されており、他は雑草だった。景太は祠に近づいて行ったが、亮一は入口で
大量の骨が足元に落ちている。最初は枯れ枝だと思った。しかし、肋骨があり、頭蓋骨がある。舗装された参道の上に落ちている物だけでも十体近くあるだろう。草むらに隠れている物はそれ以上かもしれない。頭蓋骨のうち一つは、二つの眼窩がこちらを向いていた。
人骨を踏み、景太は祠の木戸に手を掛けた。簡単には開かないらしく、何度も揺さぶる。
頭は重たくなっていた――まるで酩酊したかのようだ。
留衣は項垂れる。
こんな島には上陸すべきではなかったのだ――この世のものではないのだから。
景太の絶叫が聞こえる。
顔を上げれば、発狂したように景太が逃げ始めたところだった。
素早く留衣をすり抜け、石段を下りてゆく。
留衣はそれを目を追った。
石段の途中で景太は足を滑らせ、転がり落ちる。
朦朧とした頭の中、景太を心配して石段を下り始めた――滑らないよう気を付けながら。もう、こんな処にいたくない。だが、景太はすぐに起き上がり、坂道を駆け降りだした。
同じく石段を下りてきた亮一と目を合わせる。
行こう――と軽く亮一は言った。
景太を追い、亮一と共に坂を下る。あちこちでは地下火事の煙が立ち上っている。火事の下流へと自分は行くのだ――ちょうど、先ほど「赤ん坊」が上流から下流へと流れたように。
森は暗い。既に日は没したかのようだ。日没直後の僅かな光を頼るように、元来た道を戻る――景太を追いかけて――景太が逃げたかったものから逃げるように。
森を出ると、大勢の視線を再び感じた。彼らは森の中へは入りたくなかったようだ。
石段から転がり落ちたばかりなのに景太の脚は速い――追いつけない。
――そこまで何に怯えている?
一体――何を見たのだ。
やがて港に近づいた。
景太は、ゴムボートを海に引きずり下ろして乗り込む。
そしてエンジンを起動させた。
あっという間の出来事だった。
海の向こうへとゴムボートが消える。
埠頭に立ち、呆然としたまま海を眺める。
取り残されてしまった――こんな島に。
自分たちを置いて景太が逃げ出したほどの何かがある島に。
亮一も呆然としていた。だが、やがて何かに気づいたらしい。
埠頭には漁業用具やらゴミやらが転がっていた。そんな中、カヌーが横転している。近くには櫂もある。最初に上陸したときは気にかからなかった。だが、この島に置き去りにされた物に比べたら明らかに新しい。なぜ――こんな物がここにあるのだろう。乗って来た人はどこへ行った。
カヌーを抱き起こし、亮一は言う。
「これを使おう。」
留衣はうなづいた。早くしなければ完全に暗くなってしまう。帰ることもままならなくなる。
カヌーを二人で海に浮かべ、乗り込む。
二、三人乗りだったが、櫂は一つしか見当たらなかった。
「振り返るな。」
そう言うと、亮一は櫂をこぎ出した。
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