第7話 結局明生ちゃんの賃労働の件はどうなったの?(完)

 それから一週間後、下宿屋あさぎりに大量の梨が届いた。少女詞華集誘拐事件と名付けられた一連の事件の被害者の一人、小町の友人善子の母親が送ってきたものである。


 添えられていた手紙には、祥彦と明生にはいくら感謝してもし足りない、本当は金一封を送りたかったが経済的に苦しいので叶わない、自分の実家が下総で梨農家をしているのでその農園で穫れた一級品を謝礼にかえて贈る、と書かれていた。


 謝礼が欲しくて行動したわけではなかったが、ひとから感謝されて悪い気はしない。祥彦は遠慮なく受け取り、多喜や小町や下宿の面々と分け合うことにした。


 明生も梨を喜んでいた。

 彼は本当はきっと金一封が欲しかったに違いない。けれど彼にはそれを口に出さないだけの品性がある。

 腐っても貴族の彼は自分に貴族らしくあることを課していた。普段は金、金と言っていても、他人にせびるほど卑しくはない。まして相手は娘を女工にしようと考えるほど食い詰めている家庭だ。


 居間で、祥彦、明生、小町、そして多喜の四人で梨を食べる。祥彦と小町は自分で皮を剥いたが、手際の悪いお坊ちゃんの明生は多喜に剥いてもらっている。多喜は「これくらい自分でできるようになりな、私はあんたのばあやじゃないんだよ」と怒っているが、明生には馬耳東風だ。


 梨はみずみずしかった。果汁がたっぷりで歯を立てると口からこぼれそうになるほどである。果物特有の天然の甘みが広がる。しゃりしゃりとした食感もいい。いくらでも食べられそうだ。


「善子ちゃん、ひとまずお母さんの実家に引っ越すってさ」


 小町が語り出す。


「梨農家に一時避難する、って。東京にはいられないみたい。下総県の市川というところって言ってたけど、遠いかしら?」

「遠い遠い、果てしなく遠い。汽車で三日はかかるな」

「ね、さっちゃん、真面目に言ってる? 相手がわたしだからって適当なこと言ってもいいと思ってない?」

「下総って隣の県やろ、関東平野みんな平らやしそんなかからんちゃう?」

「なめんな房総半島」


 いずれにしても今までどおり小町と同じ学校に通うことはできなくなったということだ。しかもこれから先は母子家庭でやっていくということではないだろうか。市川はそれほど根深い田舎ではないと思うが、さすがに東京ほどの大都会ではなかろう。近隣住民が善子たち親子をどういう目で見るかと思うとなかなか厳しいものがある。


 この世界は女性、特に少女たちに対して厳しい。まして平民の子にとってはなおのこと苛酷だ。


 被害者が貴族の御曹司だったら最初の事件の時点でもう少し扇情的に報道されたかもしれない。しかし騒ぎになったのは解決して犯人が逮捕されすべてが明るみに出てからであった。


 実のところ、魔都東京では異能者が起こす事件は後を絶たない。あれほどやかましかった野次馬や報道陣も、今は昨日一昨日に起こった別の事件に夢中で少女詞華集誘拐事件を忘れつつある。


 小町は一週間ほど学校を休んで家でおとなしくしていたが、今日から祥彦や他の下宿生を護衛としてつけながら登校し始めた。特に問題はなさそうでほっとしている。


「警視庁魔道対策課かあ」


 一切れを咀嚼してから、明生がはあと溜息をついた。


「そんなんが課として独立するくらい東京は異能者が問題を起こしてるんやなあ」

「京都府警にも陰陽課とかいう御大層なものがあるんじゃなかったか?」

「そうやで、僕が高校生の時えろうお世話になった陰陽課や」


 明生は三高時代に同級生を焼き殺そうとしたことがあるらしい。貴族の子弟が多い学校側は最初揉み消そうとしてくれたようだが、結局京都にいられなくなってほぼ追放も同然の状況で東京に移住したと聞いた。


 この明生が殺そうと思ったくらいだ、相手は人格によっぽどの問題があったに違いない、と祥彦は思う。けれど明生が詳しく話したがらないので、これ以上根掘り葉掘り聞くつもりはない。


「そう言えば陰陽課のおっさんたちも僕に将来は陰陽師にならんかー言うてたな。あれ数学ができなあかんから僕には難しいな」

「陰陽師って数学が必要なのか」


 そう考えると祥彦は恵まれた境遇であるとも言えるかもしれない。

 夢虎丸が祥彦を自らの主として選んだことで水野家は祥彦を正式に認知することとなった。祥彦としては当主の愛人の子である自分などあのまま一生捨て置いておいてほしかったが、次期当主を産んだとされて屋敷に迎え入れられた母のことを考えたら、どこかで割り切らないといけない。


 女はつらい身の上だ。女三界に家無しとはよく言ったもので、小町の友達は女工にさせられそうになり、祥彦の母親はお殿様の愛人として振り回され、他にも不遇な女性の例は枚挙にいとまがない。何も言わないが多喜や明生の家族も苦労しているはずだ。


 祥彦は小町の頬をつまんだ。柔らかくて弾力がある。


「なによ。痛いんですけど」

「俺の周りでろくに苦労してなさそうな女はお前くらいだなと思って」

「失礼しちゃうわね、わたしだっていろいろあるわよ」

「たとえば?」

「たとえば……、その……、いろいろはいろいろよ」

「はいはい」


 多喜が祥彦の分の小皿に皮を剥いた梨を入れた。


「あんまりいじめないでやってよ、この子だってこの子なりにいろいろ考えてんだよ。まあ私からしたらちゃんちゃらおかしいことばっかりだけど、明生も言ってたじゃないか、乙女心は繊細なものだって」


 明生が「そうやそうや」と加勢する。


「苦労なんざしなくて済むならしないに越したことはないのさ」

「お多喜さんが言わはると深いなあ」

「私は完全に擦れちまったからね、小町には大人になるまで何にも知らずにいてほしいじゃないか」


 それが親の愛というものだろうか。自分の父母とは交流不足の祥彦には何とも言いがたい。


「祥彦はどうなん、警視庁魔道対策課。東大出で入庁したら出世街道ちゃうん?」

「警察官になるには正義感が足りねぇな」

「ほんまそれ。言うて僕もそれやわ。僕使命感や責任感がないわ」

「責任感はないとどんな仕事も務まらないんじゃねぇか? いずれにしてもお前は次男坊だから就職しなきゃだめだろ」


 小町が「そうだ!」と大きな声を出した。


「結局明生ちゃんの賃労働の件はどうなったの? うちの下宿代いつ払ってくれるの?」


 明生が引きつった笑みを見せた。


「労働! 労働!」

「ああー忘れとくれやすー」

「そうはいかないよ、なんとかしなよ」

「待ってくれはらしませんやろか。いつか出世したら、そうや出世払い、出世払いでたのんます!」

「それが通じると思ってんのかい!」


 祥彦はふと息を漏らした。その息の意味するところが何かは目の前の三人の想像にお任せすることにして、今はただ梨を味わわせてもらうことにする。


 この件はこれにて一件落着、めでたしめでたし。




<完>


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貧乏公家と刃《やいば》無し ~東京本郷下宿屋あさぎり、異能者二人の帝都暮らし~ 日崎アユム/丹羽夏子 @shahexorshid

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