第6話 警視庁に目をつけられる異能者たち

 夢虎丸は戦国時代に神都駿府で活躍した名匠の作である。かの者は今川氏お抱えの鍛冶師だったが、神君家康公が日本の覇者となった折に徳川に鞍替えした。以来彼は徳川家およびその家臣団のために刀を打ち続けた。その鬼気迫る様はあたかも取り憑かれているかのようだと言われていたらしいが、そも刀鍛冶とは神に奉納する刀剣を生み出すための神事である。


 夢虎丸には鋼の刃が無い。しかし神がかりの名匠は夢虎丸に神通力を込めていた。名匠は平時には目に見えぬ刃を打ったのである。夢虎丸は破魔の剣、持ち主が目の前の悪を斬ると覚醒した時にのみ真の姿を現す。


 刃無し夢虎丸――何も知らぬあかの他人はそう揶揄する。だが正当な継承者が鞘から抜いた時それは光の太刀となる。蒼く輝く三尺の刃は邪を祓うにふさわしい神々しさだ。


 本屋の店主がおびえの表情を見せた。魔道に堕ちた彼には夢虎丸の刃がまさに彼を斬らんとしているのを感じ取れるに違いない。


 主が何も言わなくとも本から生まれた魔獣たちはおのが務めを果たそうとするのか動きを止めない。


 巨大な狼が強靭な後ろ脚であるのかないのかわからない床を蹴ってこちらに跳びかかってきた。


 だが、本の中の広い空間に移動できたのはかえってこちらの好都合だ。


 これで存分に刀を振るえる。


 祥彦は夢虎丸を上段に構えてまっすぐ振り下ろした。


 面を打たれた狼は額から胸まで一直線に裂けてまっぷたつになった。


 手応えは木綿豆腐と言ったところか。かろうじてものを斬ったという感覚はあるがあまりにも呆気ない。


 狼が悲鳴を上げながら消えていく。


 男が半狂乱で本の頁を破った。宙に放り投げられた頁は猛禽類に変わった。


 鋭い牙とくちばしの巨鳥が襲ってくる。


旋風つむじ


 明生が宙を舞った。彼の手から放たれる炎が暗い空間を明るく彩った。日舞をやっていたという明生の舞姿は認めたくないが美しい。ぶれない上半身、指先までぴんと伸びた手が確実に妖魔に火をつける。紙から生まれた鳥たちは雄叫びを上げながら燃え尽きた。


「明生、感謝する!」


 祥彦は跳躍した。

 助走なしであったにもかかわらず本屋の男の目の前に着地した。夢虎丸を抜くと身体能力も上がるのだ。


 夢虎丸を振り上げた。


 男が絶叫した。


 左肩を狙う。

 袈裟懸けに斬る。


「ぎゃああああああ」


 と見せかけて――


 夢虎丸の刃が、消えた。


 三寸の短い鋼の棒が男の左肩に振り下ろされた。

 刃が無いとはいえ金属の棒だ。ごき、と鎖骨の折れる音がした。

 男が卒倒した。後ろに引っくり返って大の字に転がった。


 異空間が消えていく。天頂から紫黒の闇が流れ落ち、薄暗い本屋の店頭に戻っていく。


 気がつけば三人はもとの場所にいた。男は勘定台の手前に、明生が出入り口の硝子戸の前に、その中間あたりに祥彦がいる。本棚は一部焼けただれ十数冊が床に散乱していたが、本屋全体が火事になることは免れた。


「妬けるわ、夢虎丸が出てくるといつもなんもかんも一瞬。僕かてそれなりにがんばったのに、今日もただの補佐役やった」


 明生が後ろから喋りながら近づいてくる。祥彦は平然とした顔で「当然だ」と言い放った。


「お前より俺のほうが退魔師として格上だからな」


 口ではそう言っているが、夢虎丸は基本的には日本刀である。しかも祥彦は泰清デモクラシイの世の中で育った人間だ。いくら武士であるといっても一対複数の戦いは得意でない。明生の炎が猿や鳥を焼き尽くさなかったら今頃もっと手間取っていたはずだ。しかしそれを素直に言うのは癪だった。明生が調子に乗るのは目に見えている。


 床に転がる男のそばに歩み寄った。


 完全に伸びている男の手から、魔術の本を取り上げた。


 頁をぺらぺらとめくる。西洋の化け物が描かれた頁と日本人形のように可憐な少女たちの頁が混在している。


 祥彦は少女の頁を破って床に向かって放り投げた。


 紙から少女の姿が具現化した。


「きゃあっ」


 見知らぬ少女が尻餅をついて悲鳴を上げた。


 明生が彼女に駆け寄って「大丈夫ですか」と問い掛けながら手を差し伸べた。彼女は余計なことを言わなければ美男に見える明生に頬を染めながら手を取った。


「ありがとうございます、あ、あの、あなたが助けてくだすったんですか」

「そうやで!」

「お前おぼえてろよ」


 ともかく無事らしい。よかった。


 その後も祥彦は少女の絵のある頁を破った。最終的に全部で五枚もあった。五人の少女が本の中に囚われていたということだ。


「帰ってこられたのね」

「もうだめかと思った」

「ありがとうございます、ありがとうございます」


 最後、小町の似姿を宙に放つと小町が戻ってきて床にどさりと落ちた。


 小町はまずきょろきょろとあたりを見回した。

 友達の善子の姿を見つけてわっと泣き出す。抱き合って声を掛け合う。微笑ましい。


「どうだ、お転婆娘」


 祥彦は本を閉じて小町に歩み寄った。小町が顔を上げた。


「さっちゃん、明生ちゃん」

「無事か?」

「やっぱり二人が助けに来てくれたのね」


 彼女は涙もそのままの顔に笑みを浮かべた。


「ありがとう、さっちゃん、明生ちゃん! わたし、信じてたからね」


 祥彦と明生は顔を見合わせて溜息をついた。


 外から警笛の音が聞こえてきた。いまさらながら警官が駆けつけたようだ。


「よし、後片付けは警察に任せて俺たちはとんずらするか」


 祥彦はそう言ったが、明生は眉根を寄せた。


「他に出口あるん?」


 明生の背後の硝子戸以外にはわからなかった。

 悪いことをした覚えはなく、むしろ帝都を揺るがす誘拐事件を解決したことで感謝状を貰いたいくらいなのだが、小火ぼやと本屋の店主の鎖骨については言い逃れできない。

 お互いの無事を確かめ合う少女たちの明るい泣き声を聞きながら、祥彦と明生は立ち尽くした。




 どうやら神保町の住民の通報が決め手となったらしい。近所の裏路地の本屋から物騒な声と物音が聞こえてくるというので警察が呼ばれたらしいのである。つまり祥彦と明生が踏み込まなかったら静かな夜が続いたわけで、なかなか複雑な心境だった。


「あのね、君たちね」


 英国風の塹壕外套トレンチコートに身を包んだ若い刑事が、祥彦と明生から聞き取り調査をしながら手帳に書きつけをする。


「女の子たちが無事だったからある程度酌量すると思うけれどね、君たちにもしっかり話を聞かせてもらうからね」


 異能を使うことによって迫害されることに慣れている明生は、抵抗することなくとっとと頭を下げた。


「はい……まあ……そうです……えろうすいません……」


 だが神君家康公も守ったと言われる神剣の正当な継承者の祥彦は負けなかった。


「正当防衛だ。向こうが妖術を使ったからこちらも対抗したのであって」


 若い刑事がしらけた顔で祥彦をあしらう。


「君、学生だよね? 後見人の連絡先は?」

「ちょっと待て、ほんと、本当に、本気で親父に連絡するのはやめてくれ」

「はいはい、署で聞こうね」


 制服警官に左右から挟まれた。右腕と左腕をそれぞれつかまれた。

 あわや連行、というところで声を掛けられた。


藤曲ふじまがり君」


 どうやら若い刑事の名前が藤曲というらしい。彼は近づいてきた男に対して敬礼した。


 声を掛けてきたのは年配の刑事であった。恰幅のいい男性だ。藤曲刑事同様塹壕外套トレンチコートを着て中折れ帽をかぶっている。


「君たちが解決してくれたのかね」


 口ひげを生やした顔こそ厳めしいが、話のわかる男のようだ。


「離したまえ」


 彼がそう言うと警官たちが祥彦と明生から離れた。


「私は殿村とのむらという。警視庁の刑事で、非能力者だが魔道対策課に籍を置いている」


 彼、殿村は、そんな挨拶をしながら帽子を取り、毛の薄い頭頂部を見せてくれた。祥彦と明生も学生帽を取っておじぎをした。


「学生服を着た若い侍と炎を操る美しい書生、か」


 殿村が目を細める。


「水野祥彦君と七条明生君かね」


 ばれていた。

 祥彦も明生も頬をひきつらせた。


「君たちの件は警視庁の中でなんとかしよう。一応水野子爵と七条子爵とは連絡を取らせていただくが、叱られることのないよううまく言っておく」

「アリガトウゴザイマス……」


 どうやら自分たちは界隈で有名人になっていたらしい。魔道対策課というのがどんな課なのかは知らないが、けして気分のいいことではない。


「あかん……また伯父さんに迷惑をかけてもうた……また泣かれてまう……」

「俺なんかどうするんだ下宿に押しかけてきて鬼の首を取ったように説教するかもしれねぇの本当に嫌」


 殿村刑事はにこりともせずに帽子をかぶり直した。


「行方知れずになっていた娘たちが全員無事であることを確認できた。感謝する」

「はい、謝礼金ならもちろんいただきます」

「二人とも将来は警視庁に就職しないかね。警視庁には君たちのような能力者もたくさん勤めている。私のような非能力者には理解しかねることも多々あるが、君たちならばわかり合えるのではないかと思う」


 明生が無言で肩をすくめた。祥彦も真面目な返事はしなかった。


「考えておく」

「よろしく頼む」


 そこまで言うと、殿村刑事と藤曲刑事はこちらに背中を向けた。


「では、また会おう」


 明生が舌を出して手を振った。祥彦はその後ろ姿をにらみつけているだけでやはり何も言わずに見送った。



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