サイロはサイロでも中身はミサイル?

 成田を飛び立ち相当長時間が経ったと思ったが、フライト全体から見ればまだ序の口である。

 中国大陸はとてつもなく広いのだ。

 昭和12年から始まる日中戦争で侵攻した日本軍が、8年経っても占領できず、昭和20年のポツダム宣言受託時にもなお大勢が足止めを食っていたくらいには、広すぎる。

 どこをどう通っているのか、詳しい航路は不明だが、前方のパネルに簡単な地図と飛行機の現在位置が示される。おそらくその時は東シベリアの上空を飛んでいたのだと思う。機外上空はすっかり暗く、窓には霜の花が咲いていたから、どのくらい外気温が低いか知れた。

 雪雲が空を覆ってはいたが、当機は退官としてそう高高度にいるとは思えなかった。

 暗くはあるが、まだ薄明りがさし、眼下の地表が見えた。


 降り積もった一面の雪原に何本もの河がミミズのように蛇行し、横たわっている。白一色の世界の中に黒い縄が放置されているようだ。

 その中に、スマホを落としたように、四角いいくつもの面を並べた一角が突然現れて、消えていく。

 それは雪の中の街と街、そしてそれをつなぐ道路だ。

 この光景に、雪国で生まれ育った自分は新鮮な感慨が湧いてきた。

 故郷は豪雪地帯として有名な日本海側の山の奥で、自分たちの街を上空から見たことはない。きっと白い一面の峰々の中に、しがみつくように黒い染み、もしくは白いパンの中の黒いサルタナレーズンの粒粒のように見えるだろう。

 今眼下に猛スピードで過ぎてゆく町々は、冷戦の時代は上空を西側の飛行機が飛び交うなど想像もできなかったろうし、40余年前にこの地で強制労働に従事させられた『シベリア抑留者』たちも、この暗く重い空を見上げたのだろう。


 そんな安っぽい感情を抑えつつなんとか明瞭に撮れないものかと、安いデジカメを冷えた窓に押し付けチャンスをうかがった。

 何回かシャッターを切るが上手くいかない。機外が暗いうえに、こちらは高速で移動しているジャンボ機の中だ。どうしてもブレブレになってしまう。細かく数値を設定するテクは私にはない。

 悪戦苦闘しつつ比較的ましに撮れた画像に、妙な黒い点々が写っていた。

 規則正しく、BCG接種の傷跡のように四角く並んだ黒い丸の群れ。

 隣の座席で寝ているミリオタの旦那を起こし、画像を見せた。

「これは……」

「ミサイルのサイロ、ですな」

「ICBM ? 」

 ひそひそ声で剣呑な単語を交わす新婚一年経過夫婦である。

「でも、こんな上空から丸見え、のままにしておく?」


 当時は『第一次戦略兵器削減条約』(START1)がブッシュ米大統領とゴルバチョフ・ソビエト連邦大統領の間で調印されて半年余り。批准自体はその間のソビエト崩壊による混乱で、1994年まで遅れる。

 私たちの旅は1992年春なので、次の『第二次戦略兵器削減条約』(START2)がブッシュ大統領とエリツィン大統領によって締結される間の、エアポケットのような状態ではなかったかと思う。

 2024年の今シベリア上空を飛んだとしても、同じような建築群が見られるかどうかは不明である。ロシアのウクライナ侵攻が続き東アジア・内陸アジア方面共に一層きな臭くなっているし、気軽にカメラを向けることも難しい。

 2024年春現在、日本航空はロシア上空の通過を再開していないし、モスクワおよびウラジオストクへの直行便は欠航したままである。

 1992年春の私たち夫婦は、前年に始まったユーゴスラビア紛争が、世紀をまたぎ2001年まで続くとは思っていない。

 出発の前々週に勃発したボスナア紛争が旅に影響ないかを、漠然と心配するばかりだった。


 やがて窓の外は完全な真っ暗闇になり、ソビエト北部上空は、地上を見下ろすどころではなくなった。

 ジェットエンジンのキーンという音にも慣れたのか、私は毛布を首元までずり上げ、眠りに落ちていった。


 


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割れオタと閉じオタ東欧に飛ぶ 南 伽耶子 @toronamasan

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