操縦室でコーヒーを

 エコノミークラスをお世話する客室乗務員は男女数人。きちんと制服を着こなし髪も整えた、一部の隙もないホテルスタッフといった佇まいで、注意深く丁寧に通路を歩き、お客の様子を見てお世話をしてくれている。

 当時客室乗務員はすでに「憧れの」というレベルではなかったが、女性の職業としては良い給料だったと思う。しかしホスピタリティの高さを追求するせいか、美しさ、しとやかさ、サービスの細やかさに注力していたようだ。後にスペインのイベリア航空やイタリアのアリタリア航空、ドイツのルフトハンザ航空にも乗る機会があったが、いずれも厳しく、屈強な強さを持つ人たちだった。

 客室で暴力事案が起こったときは制圧できるくらいの技と力がありそうな男女であった。

 たまたま私たちが乗ったjal機は男性客室乗務員(スチュワードといった)がエコノミーゾーンも回っていたので、旦那氏は彼がわきを通りかかる際に、小声でお願いしていた。

「新婚旅行だし妻は初めての飛行機体験なので、できたら記念に……」という極めて控えめなお願いだったが、乗務員氏は微笑んでいったん機体の前に消え(ファースト・ビジネスクラスとの間にはカーテンがあった気がする)、私はいったんそのことを忘れた。

 スクリーンに投影される当時はやっていたハリウッド映画を観て、ヘッドフォンで吹き替えを聞いていると、かの乗務員氏がやってきて、私たちの席でささやいた。

「騒がずそっといらしてください。大勢が次々といらっしゃるとちょっと大変ですので」

 言葉は多少違うかもしれないが、そんな意味のことを言われ、私たちは立って彼の後の続いた。

 ゆったりと広いビジネス&ファーストクラスを抜け、私たち3人はコクピットに向かった。

 上級旅客が乗っている空間は人々の身なりも、接客にあたる乗務員の数もエコノミーとは大違いだし、飲み物もグラスで出てくるし、シャンパンやワインもいただけたらしい。

食事の食器やカトラリーも何もかも違う。

バブル時代の旅慣れた人には常識でも、ひたすら仕事に明け暮れ、初めての海外旅行がこの東欧新婚旅行という私には新鮮だった。

わかりやすい資本主義。お金さえ払えばそれに見合ったレベルのサービスにランクアップしてくれる。

でも、不吉なようだが事故に会えば危険の度合いは同じではないか。

(のちにカナダの検証番組『メーデー』を見るようになって、その思いは強まる)


座席の通路を歩いて、私たちはコクピットへと進んだ。

客席との間にはカーテンの様な仕切りがあったと思うが定かではない。

スチュワード氏がインターフォン? に向かって何事かささやき、中に入れてくれた。

ドアはすぐに閉められたが、目の前は一面の光で一瞬まばゆさに戸惑った。

コクピットの全面、側面は大きな窓でいっぱいの日光が満ちていた。

雲の上、高高度で安定飛行に入っているからか、振り返った機長、隣の副機長、側面の席で仕事についている航空機関士、三人ともリラックスした様子だ。

珈琲とバナナが関脇のスペースに置いてあり、忙しい合間を縫ってのしばしの安定タイムというところか。

それにしてもボーイングのジャンボジェット。計器の数はくらくらするほどだ。まだあまりデジタル化されていなかったと思うが、その小さな数字の差が大きな因子電とを招いてしまうというのは、メーデー民となった今ならよくわかる。

でもその時は目の前に広がる一面の空が怖くて仕方がなかった。小さな窓から見るのとまったく違う、下は本当に何もない空間だと実感し、飛行機に乗ったことを後悔した。とはいえこれから10時間くらい乗り続けなければならないが。

機長席の後ろにもう一つ座席があった。

非番の操縦士がお手伝いする際に乗る席だ。

「ちょっとだけ座ってみたいですか?でもだめですよ」

当たり前だ。飛行機ファンの旦那氏はビデオを構えて、リラックス機長ににいろいろ質問をしている。

なにやらいろんなマークや線が引かれた紙まで広げて見せてもらっている。

楽しいんだろうなー、と眺めていると、かわいそうに思ったのかスチュワード氏は

「これ、酸素が出てくるマスクですよ。客席にもありますなにかあって酸素が必要になると下がってくるんです。まあこれが下りてきたってことはシャレにならない場合が多いんですが」


スチュワード氏ーーーー!!!



「は、はい。安全のしおりとか安全ビデオにもありましたね」

「よく見てくれたんですね。嬉しいなあ。聞いてない人の方が多いんでね」


後のメーデー民になって思い知る。

安全のしおり大事。非常口の確認大事。救命胴衣は通路で膨らませちゃダメ。


「このお二人新婚さんなんですよ」

「そりょゃ楽しみですね。いいなあ。良い旅を」

盛大に背中をバンバン励まされて、私たちは客席に戻った。


旦那氏の気遣いはありがたいけど、私にはコクピットはやはり怖い。

席のコップに注がれていたオレンジジュースで一息つくと、同じツアーの姉妹参加の方たちに、あとでスチュワード氏にお願いするとコクピット見学できるかも、と教えた。


現在の位置が映し出され、飛行機はシベリア上空に差し掛かるところだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る