ユーラシア大陸東端上空へ
成田空港からふわっと浮き立った飛行機は、いったん海の上に出て、またすぐ旋回して都市部の上を上昇していった。
ビルが、線路が、高速道路がすごい勢いで背後に流れ、小さくなっていく。
私は窓際で目を見張った。
背もたれに押し付けられるGは不快だったが、旦那が隣の席から手を握り、「クッションを抱いているといいよ」と言ってくれた。
フライト前にクルーの方が毛布とクッションを配ってくれたのだ。
見ると旦那もしっかり、おなかにクッションを当てて落ち着こうとしていた。
ハワイやグアムに行ったことがあるといっても、離陸の瞬間は怖いのだな。
窓の外の風景が薄い青の海になったかと思うと、白い綿雲に覆われた。
当日は快晴とはいかず、空を低層雲が覆っていたのだ。
「もう海だー」
「うん。太平洋かな。ここから旋回して日本を横断するんだよ」
そんなことまで知っていて丁寧に教えてくれる、素敵旦那。妻は感動した。
(冗談ではなく、面倒くさがらず快く人に説明するという旦那氏の徳は高いと思う)
やがて飛行機のGが薄れ、上昇角度が緩やかになり、そして水平飛行に移った。
眼下は分厚い雲に覆われたままだ。
子供の時に見た朝の連続ドラマ『雲のじゅうたん』というタイトルが、そのものずばりの光景だ。
その雲の下敷きもすぐに視界の外になる。
まだベルト外していいよのサインは出ない。上昇中なのだ。
やがて窓の外の陸地はまた海に変わる。本州を横切って日本海に出たのだ。
その前後だと思う。ベルトoffのサインが出て、ようやく我々は一息ついた。
高高度の水平飛行。機体は安定している。
当時はスチュワード・スチュワーデスと呼んだ客室乗務員が動き出した。
昼食だったかドリンクだったか思いだせないが、ともかくサービスのためにギャレー(厨房)に出入りしている。
やがて上着を脱いだ白いブラウス姿にエプロンを着けた、美しいスチュワーデスさんたちがワゴンを押して通路を回り始めた。
このワゴン、とても重い物らしいがそんな気配はみじんも見せない、まことに物腰丁寧で緊張したこちらの心を和ませる微笑み。
上空の女神である。
私も喉の渇きを思い出し、オレンジジュースをもらった。
一気に飲み干すと、お手洗いにも行っておこうかという気になる。
これからどうなるかわからないし、機内は混んでいるのだ。行けるうちに行ったほうがいい。
旦那氏にそれとなくいうと、彼は後ろを振り返り
「今並んでいるから、余裕があるんだったらもうちょっと時間を置いたほうがいいよ」
とアドバイスをくれた。ナイス判断。
座席のポケットに入れてある冊子を見たり、緊急時の所作を確認したり(大事) したりするうちにお手洗いは空いてきた気配。
もぞもぞと機体後部に移動し、入ってみた。
狭いスペース、壁の内部、いろんな隙間に必要とされるすべての機能が収められている!
私は驚嘆した。
しかもとても清潔。めっちゃきれい。でもこのころの飛行機は禁煙ではなかったので、灰皿がついていた。
頻繁にトイレに出入りする客の中には喫煙目的の人も多かったのかもしれない。少し煙の臭いがした。
席に戻ると紙コップにドリンクのおかわりが注がれ、旦那が窓際に移動してしきりとビデオカメラを回していた。
水平飛行中の高高度の大気は冷たく、窓はひんやりと冷たかった。
やがて機体はアジアの大陸にかかる。日本海は過ぎたのだ。あっという間に感じられた。
機体中央上部に設けた大きな画面に、コマーシャルや映画などのエンタティメントが映るようになっているので、しばらくは時間をつぶすことができた。
番組の切れ目に簡単な地図上の『当機の位置』が投影される。
見ると我々は旧満州の上空あたりを飛んでいた。昭和40年代まで一般的だったカナダのアンカレッジ経由ではない。
ソビエトが上空の飛行を開放して領空通行料としての外貨獲得策に乗り出し、シベリア上空ルートが確立された。
それに伴いポピュラーだったアンカレッジ空港経由の北回りヨーロッパ線は、前年1991年の11月1日をもって廃止されたのだ。
それまでは長いフライトの給油のための中継点として、多くの東洋からヨーロッパに行く旅客の憩いとなっていたらしい。
我々が通ったのが朝鮮半島の上か、それともウラジオストックなどの沿海州まで北上したのか、はっきりと覚えていないが恐らく後者だ。
窓の外の変わらぬ風景に、私はそろそろ退屈しだした。
それを目ざとく感じ取った旦那氏が提案してきた。
「今度スチュワードさんが来たら、コクピット見せてもらおうか」
驚いた。
「そんなことできるの?」
「うん。大々的にはだめだけど、個別にこっそりだったら可能なはずだよ」
そんな、素人がコクピットに入るなんて怖いじゃん。
安全性は大丈夫なの ?
「うん。食事の準備が始まっちゃったら迷惑だから、合間の今なら大丈夫なはずだよ。機体も安定しているし」
当機はシベリアの上空、タイガの上の澄んだ空をまっしぐらに飛んでいた。
追記・操縦席に入れてもらうのは今では厳禁なはずです。
コクピット占領のハイジャック事件(全日空61便ハイジャック事件)や、パイロットの子供が操縦桿を握って墜落した事件もありましたし。
(アエロフロート航空593便墜落事故)
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