成田空港の管制塔って、あれですか?

成田

この単語を聞いてある感慨にふけるのは、一定の年齢以上だろう。

高校時代の恩師は

『ヘルメットに手拭いで顔を隠し、ゲバ棒と火炎瓶を携えて反対闘争に行った』

と、教育実習で帰郷した私に漏らしたことがある。

「お前は絶対に政治運動とか、闘争とか、歴史研究会とかそういう雰囲気のところに近寄っちゃだめだぞ」

「なんでですか?」

「自分なりの正義感に基づいて行動している、と思い込んでいても、途中から歪んで、それでも抜けられなってくるからだ」

「でも先生は、成田闘争っていうのに参加した時、警官がけがをしたり死んでもいいと思いながら、火炎瓶を投げていたんでしょう」

「その時はそれが正しいと思っていたんだ」

「先生になった今はどうですか? 私がそっちに行くのを止めるのは、今は間違っていたと思うからですか?」

「いまだにわからないんだ、間違っていたかは」

『わからなのかよ…』

職員室でドン引きしながら周りを見ると、周りの先生方もドン引きしていた。

当時はまだ、高校時代に習った先生が大勢在籍していたので、 実習の評価が欲しくないのかこいつ、という目である。


成田、と聞くとこの時の会話を思い出す。

ちなみに羽田空港でも国際線は飛んでいたと思うが(台湾のエアラインは政治的な問題で、成田空港が開港しても羽田に残ったと思う)

たいていの海外ツアーの出発地は成田空港だった。

集合は空港ロビー。

そこまでの手段に、前年に開通した成田エクスプレスではなく、我々は京成スカイライナーに乗ることにした。

都心部とは反対方向、とはいえ首都圏の主要鉄道のラッシュにモッシュするほど無謀ではない。

新婚旅行のご祝儀として大姑からいただいたお金を使って、上野までタクシーで行くことにした。

朝の首都高は予想通り混んだが、京浜東北線に大きなトランクとともに乗る苦痛より、ずっとずっと快適だ。

しばし、10日間くらいは現実逃避させてくれ。


京成上野駅からスカイライナーに乗り込み、激込みの駅を通過して一路成田に向かう。

車窓の景色は住宅地から田畑にかわり、それがどんどん続く。

さすがに二人でうとうとしたが、成田空港が近づくと、視界の端を見慣れたゲバ文字がかすめていった。

何十年と積み重なった怨嗟と怒りと、いろんな感情が積み重なった文字だろう。

空港建設への怒りを突出させる集団の、元になった思想を発信した国はもうない。

『会議』『評議会』という手段を国家の名前にした連邦は、姿と名前を変え、ばらばらになったのだ。

それでも思想は変遷し、手段も変化しながら世界中に残っている。

これから行く国々はその、離れていったほうの国である。


なんてことを思いつつ、駅の売店で買った茶を飲みあんぱんを頬張るうちにスカイライナーは成田空港駅に着いた。

新東京国際空港北ウイング4階 団体旅行受付前。

集合時刻の11時前に着いたのだが、既にカウンター前は大勢の人だかりと、ツアーの大小さまざまな団体。

ツアーのフラッグを探す我々は「なるほど、旗はとても大事」と再認識した。応援団旗、軍旗、そしてツアーフラッグ。

同じ会社でも行き先、内容が違う団体が、この場に同時に存在するのだ。

探しに探し、東奥浪漫紀行の旗を見つけたときはすでに集合時間ぎりぎりだった。

「あー最後のカップルがいらっしゃいましたね、これで全員集合です」

すみませんー、と謝りながら、若干冷ややかなツアーの中に飛び込んだ。

添乗員さんは、いつもはロマンチック街道方面の案内をしているという、小柄な女性で、海外旅行は初めてです、という私の手を握り

「頑張りましょうね」

と励ましてくれた。

はい。頑張って皆さんについていきます。迷子にならないようにします。


私たちの他はヨーロッパには何度も言っているという手練れの年配男女の団体。

私たちは「新婚さん」と呼ばれるようになった。


1992年4月19日(日)13:00

私たちを乗せたJAL407便は成田空港を飛び立った。

行き先はフランクフルト。

この時点ですでに『ベルリン直行便就航記念』という看板の意味とは? になっているが気にしない。


まだ景気が良かったころの四月の成田空港は、ひっきりなしに世界各社の飛行機が行き交っている。

私たちのJAL君もずりずりと滑走路に移動し、しばし止まり、そして離陸体制に入った。

滑走路をスピードを上げて進んでゆき、ふわっと浮き上がると、あとは千葉の大地や海があっという間に足下になる。

まだメーデー民でなかった私は(ナショナルジオグラフィック社の『メーデー!:航空機事故の真実と真相』という航空機事故検証番組ファンのこと)禁断の言葉を口にした。


「ねえ、これ落ちないよね」

「大丈夫だよ。落ち着きなさいって」

旦那が困ったような笑みを浮かべて周囲に気を遣う。

前の席の同じツアーの三人姉妹が、はあ?という顔をして椅子のわきからこちらを見る。

「でもさっきから変な音が」

「それはエンジン音だから。普通の音だから」

やがて水平飛行に移り、ベルト外してもいいよのシグナルがともり、スチュワーデスさんが飲み物の準備を始める気配がした。

そのころになるとようやく私も落ち着いた。

舅が仕事でソビエトに行った、一ドル360円固定の時と違い、今は中国、シベリア、ロシアの上空が飛べるので、たいそう時間が短縮されたという。


私たちは初めてのヨーロッパへの機内を楽しむことにした。


『東奥浪漫紀行 ドナウの女王 ブダペスト、プラハ、ドレスデン、ベルリン9日間』ツアーの始まりである。

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