さあ行こう夢に見た東へと
ツアーは決まった。
光の速さで申し込みもした。
ただ、その時点で集まっている人数が、最少催行人員よりだいーぷ少ないのが気がかりだったが。
お願いだよ、催行されてくれ。
お互い会社に『このあたりに行きますんでよろしくお願いします』と根回ししてしまっているんだよ。
と、もしかしてわしらは自分たちが思っているよりずっとマイナーなんではないか、世間が思っている東欧というのは、わしらの思うそれより心理的ハードルが高いのか?
などとやきもきしても仕方がないので、粛々と準備にかかった。
まずは私のパスポート取得である。
これは早急にとりかかった。有楽町の駅前にある、東京都のパスポートセンターである。
まだ景気が良く海外旅行や留学がブームのようになっていたから、申請も引き取りもめっちゃ混んでいた記憶がある。
そして、事前学習である。
ルックJTB、近ツリなどの大手旅行会社からはがっつりと厚いムック本が出ていたし、おなじみ「地球の歩き方」には主に個人旅行者向けと思しき細かい情報が満載だ。
しかしどれも、リアルタイムではない。
どんなに早くても一年位前の写真であり、資料である。
1992年現在、ものすごいスピードで東欧をとりまく状況は変化していた。
とはいえ個人向けのネットなどまだ一般的ではなかった時代。紙の資料がまず第一になる。あとはテレビ。
カードは夫婦で違うもの二種類。
私は就職時にただで作ったセゾン。これにはvisaがついている。
旦那はJCB。当時ガンガンテレビでシーエムを流していた、国内での大手である。
父が「アメックスのほうがよくないか?」と言ってきたが、持たなかった。
トラベラーズチェックも持たない。
外貨の両替は難儀した。
ハンガリーの通貨はフォリント、チェコの通貨はクローネ。どちらも仕事の合間に行ける範囲の銀行では両替不可。
かろうじてドイツマルクが可能だったが、事前に電話しておいて金額を言い、準備してもらうというひと手間はあった。
会社の昼休みの時間ギリギリである。
港区といっても外貨両替はなかなか難しいのだった。
そして3月末になり、やっと催行人数を超えたとね日本旅行さんから電話が入った。
これで心置きなく準備ができる。
トランクは1970年代に舅がソビエトに行った時の(仕事だったらしい。どんなだ) 中型のものはあったが、夫婦で一つは貧弱すぎる。
特に『妙なお土産』をゲットする気満々の我々には。
というわけで、旦那使用にコンビニ経由でサムソナイトの大きいのを借りた。
地球の歩き方の教えにのっとり『春とはいえお天気急変冬逆戻り』に対応するため、冬の下着、分厚い毛糸のセーター、コーデュロイのスラックス、厚手の靴下も入れることにした。
八甲田山の教えを東北人は忘れないのだ。
旦那は『モスクワ攻防戦の冬将軍の悲劇を』
あー聞こえんな
鉄面皮と言われた私らだ。お肌もデリケートではない。
シャンプー、リンスなどサニタリーは現地のものを使うことにした。
そして旦那のポータブルビデオと大量の『写ルンです』
カメラだと盗まれる恐れがあるので、写ルンですに限るとの教えにしたがった。
結果的にこれが大正解だった。
現地で洗濯など考えず、ちょっといいところ用にはブリーツプリーズのセットアップ。一応ちゃんとした靴。旦那もしわにならないスーツとネクタイのビジネスセットは荷物に入れた。
全部を入れてみると、まあまあ結構なボリュームではないか。これが減ることなく、帰りには増えるのだ。
まあ何とかなるよね。命とお金とパスポートさえあれば。
ちなみにお金は靴底の下に履いていた。
そうして冷蔵庫の中のものを、ご近所に住む旦那の実家に献上して、我々は出発前日早々に眠った。
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