読み進めるごとに読者は困惑するが、想像を経て、納得へと至る。

タイトルから感じられる芳醇なイメージとは裏腹に、作者の、ドリップコーヒーそのものの目線で描かれる、ひとつひとつの工程が実に独特であるが、奇を衒ったものではなくて、なるほど「エッセイ・ノンフィクション」である。

コーヒーは資本主義の象徴であるといわれるが、作者のいう「罪の味」はそれとはまた異なった発見的知見である。

コーヒーができあがる頃、語り手、いや「飲み手」のことを思わされるよう巧みに仕上げられている。罪は罪だけでは存在せず、それを行う者がいて、それは罪たりうる。