黒き鏡の玉兎。
新巻へもん
望月の宴
「うえーい」
「おら、もっと飲めよ」
都会から来たという大学生が広間で大騒ぎをしていた。テニスコートや体育館を備えたサークルや運動部御用達の宿である。
JRの最寄駅からバスで1時間程度、高速道路のインターチェンジから1時間半。温泉が湧くわけでもなく、集客力のある観光地が近くにあるわけでもない集落の中に宿はあった。
ウェブサイトの飲み放題付き格安プランに惹かれてやってきた大学生たちは、もうすでに赤い顔をしている。
追加で頼んだ飲み物を運んできた仲居さんに大学生の一人が声をかけた。
「お姉さん。可愛いねえ。俺らと一緒に飲もうよ」
「そうそう。お客さんにサービスするのも仕事のうちっしょ?」
困惑する仲居さんの恥じらう表情が嗜虐性をそそる。ついに、その手を引っ張ろうとする者まで現れた。
「すみません」
なんとか身をよじって逃れようとする。
そこへ少し年上の別の仲居さんがやってきて間に体を差し入れた。
「ごめんなさいねえ。この子、上の神社の巫女さんなの。手が足りなくてお手伝いに来てもらってる子だから」
若い娘の体をそっと押し部屋から出るように促す。
「じゃあ、お姉さんが代わりに相手してくれんの?」
「お姉さんだなんて。私こう見えても四十近いのよ」
「マジ? ぜってえ嘘だろ。肌もきれいだし、せいぜい二十五ぐらいっしょ」
「胸でっか。ねえ。G? Gはあるよね?」
年上の仲居さんは適当にあしらって大学生たちをいなして出て行った。
宴会が終わって部屋に戻った大学生たちの一部は、飲み足りないと少し離れた場所にあるコンビニへ買い出しに行く。
都会と違って季節はすっかり秋となっている。夜風が酒で火照った体に心地よい。
国道沿いのコンビニでめいめい酒やつまみを買い込むと道を折れて集落へと戻っていった。
先頭を歩いていた一人が声を出す。
「お、あれ、さっきの可愛い子じゃね?」
街灯はほとんどないが、薄くたなびく雲間に浮かぶ月の光は十分に明るかった。自分たちの泊まっている宿の先から坂道を登っていく少女の後ろ姿に興奮した声を出す。
「もう一回声かけてみよーぜ」
「外なら邪魔入らなそうだし」
「俺はおっぱいでかい方がいいんだけど」
「じゃあ、お前残れば?」
酒によって欲望に火を点けられた大学生たちは足を速めた。
少女は意外なことに健脚で、一向に両者の距離は縮まらない。
道はいつの間にか未舗装のものに変わっている。
少し塗りの禿げた鳥居をくぐると少女は社殿へと向かった。
大学生たちは一瞬だけためらったが、社殿に明かりが灯っていないことに気づくと我先と駆け出す。
今までもナンパした女の子と半ば強引に関係を結んだこともある。問題になりかけたが金で示談にもっていった。
かつてないほどの昂ぶりを覚えながら、大学生は土足で社殿へと駆け上がる。
急に屋内に入ったことでしばらく暗闇しか見えなかったが、目が慣れると少女が部屋の奥で微笑みを浮かべていた。
少女の奥には布がかけられた何かが安置されている。
大学生たちはそんなことに気を止めず、少女を包囲するように近づいていった。
誘っているようにも見えるが、急に怖くなって逃げ出すかもしれない。お互いに目配せしてすぐ近くまで寄った。
薄暗い中で浮かび上がる少女の白い顔。清楚な顔に不釣り合いな媚を浮かべると目が赤い光を帯びる。
布に手をかけるとさっと引いた。
そこには薄闇のなかでもひときわ黒さが目立つ丸い鏡が周囲の光を吸収するように静かに鎮座している。
少女の手の動きで鏡に目を向けた大学生たちは、その表面にさざ波が走るのを見た。
黒い鏡から白い兎が何羽も飛び出してくる。ただの兎ではない。背の丈が180センチほどもあり、直立して肩には杵を担いでいた。
大学生たちが身動きする間もなく兎が杵をふるって打倒す。
肉が裂け、血が飛び散った。
悲鳴をあげて体を丸め防御姿勢を取る大学生を取り囲み、服を脱がせると、どこからともなく取り出した剃刀で毛という毛を剃っていく。
その間に少女は服を脱ぎ捨てた。恍惚とした表情を浮かべ全身にうっすらと汗をかいた姿は艶めかしい。作業が終わると兎たちは再び杵を手に取った。容赦なく大学生たちに打ち下ろされる。
「餅をつきましょ。ぺったん、ぺったん」
少女が跳ねるように踊りながら歌う。体表にもこもこと白い毛が生え始め、兎へと姿を変える。
杵を持った兎たちはそれに唱和しながら杵をふるった。
「ぺったん、ぺったん」
いつの間にかせりあがった床が臼の形状をとっている。
その中で、皮膚も、肉も、血も内臓も、一緒くたになって潰されこねられて形が変わっていった。もはや人間だったことを思わせるよすがは何もない。
肉餅が千切られると丸くこねあげられた。
三宝に積み上げ屋外へと運び出される。
集落の方からも続々と兎が集まってきた。
中天にかかった赤い月を見上げて、本相を取り戻した多くの兎が踊り狂う。
宴は夜通し続いた。
月が山の端に消えると兎は人の姿を取り戻す。
曙光が辺りを照らすころには凄惨な祭りの跡はすうっと消えていた。
人々は集落は集落へと散っていく。
満ち足りた表情を浮かべ、翌年の望月の夜に備えて、長い長い雌伏の日々を始めるのだった。
黒き鏡の玉兎。 新巻へもん @shakesama
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