伍師姐の贈り物 下 (モブ弟子一人称視点)

「少し前に、この香油を朱師弟にあげたの」


 伍師姐がさしだす小瓶から、甘くて華やかな香りがする。


「金木犀のいい香り。髪につければ、まとう空気まで華やぎそうですね。たしかに、男の人はこんな香りの香油を自分では買わないかも」


 ――ほしいと思っていなくても、もらうと嬉しいにちがいないわ。


 わたしは伍師姐の贈り物えらびになっとくした。

 しかし、伍師姐は眉をよせ「ちがうわよ。髪につけるためにあげたんじゃないわ」と、不満顔だ。

 伍師姐が不機嫌になる理由がわからず、わたしは「え? でも……」と言いよどむ。

 すると、伍師姐は香油を懐にしまい、かわりに「これに使えるかと思ったの」と言いながら書物をわたしにさしだした。さしだされた書物に見覚えがあり、わたしは「これって」と、つぶやく。


 ――わたしが伍師姐に貸した娯楽小説。


 そう。それは、わたしと友人が庭掃除をさぼって読んでいた男性同士の恋愛をえがいた物語だ。 

 わたしと友人の憶測を『おかしな話』と一蹴した伍師姐が突然、借りたいと言ってきたときは驚いたのを覚えていた。


 ――そういえば師姐がこの書物を借りたがったのも、ちょうど夏師兄と朱師兄がうわさになった頃だったっけ。つまり……


 わたしのなかで、すべての出来事が一直線につながる。


 ――伍師姐は、夏師兄と朱師兄の恋を応援したいのね! 彼女は、わたしとおなじ嗜好しこうの扉をひらいたんだ!


 その直後だった。


「この小説に香油が出てきたから、朱師弟に金木犀の香油をあげたの」


 伍師姐がわたしの確信がふかまる言葉を口にし、頬を赤くそめる。


 ――そうか!


 わたしの貸した娯楽小説には性的な描写があり、そこに香油が登場するのだ。おそらく、伍師姐が朱師兄に香油を贈ったのは、この娯楽小説の影響だろう。

 ようやく、すべてがわたしの腑に落ちた。

 わたしがひとりで納得顔をしていると、伍師姐が恥じらいながらも淡々と話しだす。


「書庫では房中術ぼうちゅうじゅつの経典を読んだわ。それに、街に出てあなたのおすすめしてくれた書肆しょしにも行った。いろいろ勉強したのよ」


 房中術の経典とは、簡単にいえば夜の営みを手ほどきする教本だ。


 ――それって、勉強って言えるかな? 春宮画エロ本を見てた程度の意味しかなくない?


 疑問に感じた瞬間だった。わたしは宋師父の小言を思いだしてしまう。


『伍花琳は書庫で毎日、経典を読んでいる。おまえも娯楽小説ばかり読んでいないで、姉弟子を見習いなさい』


 ――師父! 伍師姐は勉強なんて、やってません! 欲望に忠実なだけです!


 理不尽さを感じたわたしは、心のなかで宋師父に悪態をついた。

 そのときだ。


「伍師姐!」


 伍師姐を呼ぶ声がして、わたしと伍師姐は声のしたほうを見る。すると、石畳のうえをこちらにむかって駆けてくる朱師兄のすがたが見えた。

 伍師姐は、あわてて娯楽小説を背後に隠す。そして「あら、朱師弟。どうしたの?」と、とりつくろった笑顔をみせた。


「先日は、香りのいい香油をありがとうございました」


 駆けたからだろう。礼を言う朱師兄の息は、すこしあがっている。しかし、彼の頬が赤くそまっているのは、礼を言う相手が伍師姐だからにちがいなかった。

 礼を言われた伍師姐も頬をそめ「そんな、気にしないで!」と、首をふる。

 朱師兄と伍師姐は、たがいに赤くなって黙りこんだ。

 一見、両片思いの男女に見えなくもないが、実情はちがうとわたしは知っていた。恋愛のドキドキではなく、不安でドキドキしているわたしは、思わず黙りこんでふたりを凝視する。

 すると、伍師姐が沈黙をやぶった。彼女は「ところで」と口火をきり、朱師兄にたずねた。


「香油のつかい心地は、どうだった?」


 伍師姐は期待のまなざしを朱師兄にむける。

 姉弟子の質問に、朱師兄は満面の笑みで「すごくよかったです」と答えた。

 朱師兄の答えに、伍師姐は表情を輝かせる。

 朱師兄の話はつづいた。


「香りもいいけど指どおりもよくて、とても髪をまとめやすかったです」


 明るかった伍師姐の顔が、一瞬で凍りつく。そして、彼女は低い声色で「そう」と短く相づちをかえした。


 ――師姐の顔に『ざんねん』って、書いてある気がする。


 わたしは伍師姐の表情からさっする。

 朱師兄は、伍師姐の変化に気づいていないらしい。彼は頬をさらに赤くそめ「師姐。今度、お礼しますね!」と、恥じらいながら言った。おそらく、それが好きな女の子を前にした朱師兄の自制心の限界だったのだろう。彼は、いてもたってもいられない様子で「それじゃあ、また」と暇乞いし、走り去っていく。

 のこされた伍師姐とわたしは、しばし無言で立ちつくした。

 沈黙に耐えきれなくなり「あの」と、わたしが伍師姐に声をかけたときだった。姉弟子が「ふふ」と小さく笑う。そして、わたしをふりむくと言った。


「うまく伝わってないみたい」


 そう告げる伍師姐は、自嘲の笑みをもらす。


 ――でしょうね。伝わっていたら、むしろ恐いです。


 返答する価値もないと感じ、わたしは真顔で姉弟子を見つめ返した。

 しかし、わたしの様子を気にもせず、伍師姐は「今度は失敗しないわ!」とか自分を鼓舞しつつ、懐に手をいれる。そして「だからね、温師妹。あなたに相談にのってほしいのよ」と言って、懐から出した手をわたしの目のまえに掲げ、声高らかに言った。


「つぎに朱師弟にあげるのは、これよッ!」


「!」


 差しだされた物を見て、わたしは仰天する。

 伍師姐が取りだしたのは、針ほどではないが極細い一本の棒。指のふし二つぶんほどの位置がわずかに曲がっていて、棒の先端は角のない丸みを帯びた形状だ。つやつやした見た目から、表面がなめらかだともわかった。


「これなら、使い方を誤解されないと思わない? 香油もあげたし、ばっちりよね!」


 伍師姐が誇らしげに言う。

 実物と姉弟子の言葉で、この棒の使い道をわたしは確信した。男袖にもいろいろあるが、かなり偏執的な嗜好しこうでのみ使用する道具だ。長年、男袖に分類される娯楽小説を読み漁ってきたわたしでも、この手の嗜好の小説にはめったにお目にかからない。姉弟子はそんな珍奇な知識までも、もう手に入れたらしい。


 ――いつのまに? 半年前の伍師姐とは、まるで別人だ!


 姉弟子の好奇心と学習力に戦々恐々とし、わたしはごくりと唾をのんだ。

 姉弟子が可愛らしくほほ笑み「ねえ、温師妹。どう思う?」と、わたしに意見を求めてきた。


 ――こんなものを好きな女の子から贈られたら、朱師兄の精神はもたないにちがいないッ!


 わたしは悩みもせずに「ぜったいダメです!」と、語気を強くして即答する。さらに、にやにや顔の姉弟子の肩を強くゆすって叫んだ。


「この短期間にあんたは一体、どこまで勉強したんだーッ!」


 その後。わたしは夏師兄と朱師兄は恋仲ではないと、線香一本ぶんの時間をかけて伍師姐を説きふせた。しかし、それはまた別の話だ。




(了)

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求仙の門下生 〜仙人修行中の【平凡で目立たない弟子】と【スパダリな半妖の兄弟子】は、魑魅魍魎を退治して【残念美人な師匠】の破門を回避する!〜 babibu @babibu

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