神が祝いし愛(かな)しき愛の行方


 神様の許しを得て結ばれた二人の青年の物語です。

 二人の恋愛が村人たちから微笑ましく見られている下りを読んだ段階では「優しい世界だ~」と思いながら読んでいたのですが、全然そんなことはなかった。悲恋オブ悲恋のストレートパンチでした、
「花嫁衣装ともなり以後も二人の愛の象徴として扱われる」布が最終的に生贄となるための正装として用いられているのが、もう、切なくて切なくて……。
 今際のきわに、ラオはエギの幸せを祈るのですが、エギはラオを喪った時点でもう一生残る傷を与えられたわけでその祈りは叶わないだろうことは明らかなわけで……描写のひとつひとつが感情を揺さぶってくる素敵な作品でした。

 ちなみに思ったことなのですが、「守り神」としての存在に捧げる生贄なのであれば、そういった儀式は村長の権力基盤になっていたのではないかと思います。つまり、本当にアガジェーネサがいるかはどうでも良くて、男がアガジェーネサから人々を解放し英雄になったところでそれは「守り神に関する祭礼」から「英雄への返報」に権力産出の方法がシフトしただけなのでラオは村長を中心とする支配構造の中に再び組み込まれただけであって、本当に倒すべき相手には気付かないまま終わることになり、その空虚さがとても悲しかったです。

 この度は素敵な作品で企画に参加していただけて、感謝しかありません。
 ありがとうございました!