洗脳契約
海沈生物
第1話
拙者にとっての「洗脳」とは、一言で言えば「人生」であった。古来江戸以前より悪魔や黒魔術といったオカルトな物事に精通し研究し続けていた我が家系であるが、それは趣味的なものではない。事実、拙者の先祖である
それだけでは「ただの世迷言ではないか?」「その
その写真がうちの蔵の中に数十枚残っている。そこには彼を洗脳したらしい悪魔と一緒にピースをしている姿だったり、あるいは一緒に契約違反を起こした人間を喰らっている姿だったりが写真に収められていた。それが数百枚もあるのだから、捏造というにはあまりにも凝ったものであるように思う。
さて、そんな洗脳によって悪魔と成り果てた初代であるが、実は「悪魔召喚儀式ノ巻」と呼ばれる書籍を残していた。そこには名の通り悪魔の召喚の儀式について書かれている。ただ、その召喚の儀式は「かぐや姫か?」とツッコミを入れたくなるぐらいには無茶な素材を必要とするもので、それを集めるため、ざっと10年以上はかかってしまった。
そのせいか、素材を集めはじまたばかりの頃は青春真っ只中で生きていた拙者も、いつの間にか二十代後半となって、三十路にリーチがかかってしまった。だが、それでいい。なんとか亡くなった両親から受け継いだ遺産を食い潰しながら悪魔召喚の素材集めをしていたが、これでそんな生活ともおさらばである。
拙者も、初代のように悪魔に洗脳されて、悪魔の
少し距離を取ると、「グゴゴゴゴゴゴ……」という物音と共に魔法陣が独りでに輝きはじめる。輝きはじめた魔法陣はやがてどんよりとした紫の濃霧を発生させる。その霧がやがて拙者の周囲を覆いはじめたかと思うと、その紫の霧の中に三つの赤目が輝いたのが見えた。これが、本当の悪魔。これが、本当の現実。今まで数多の友から「悪魔なんて夢物語」だと笑われてきたが、ついに召喚をすることができた。一族の誇りを取り戻すことができた。夢を本当の現実にすることができたのだ。
そんな糠喜びをする拙者の姿に、悪魔はやれやれとでも言うようにため息をついた。
「召喚してくれたところ申し訳ないんですが、只今、悪魔召喚回線内部が混み合っているんスよ。だから、今からあっしがピィーーーーーーーー! と叫んでいる間に相手方に対してのメッセージがあれば――――」
「待ってくれ待ってくれ待ってくれ! ……拙者は、どこからツッコミを入れたら良いのだ?」
「TUKKOMI……? あぁ、ツッコミのことっスか。メッセージとしてなら、どのようなツッコミでも本来召喚されるはずだった相手方へ届けますよ。責任を持って」
「いやいやいや! 悪魔召喚に十年かかったのだぞ? 日本人の平均寿命からすれば八分の一をこの召喚へ費やしたのだぞ? それなのに、なんで電話方式なのだ? そも悪魔を召喚するって言ってるのに、そんな内部が混み合っているとかあるのだ? そもそも――――」
「ストップ! 一旦落ち着いてくださいっス! ……とりあえず深呼吸しましょう、深呼吸」
悪魔に言われるがまま、拙者は三度深呼吸をした。深呼吸というのは不思議で、心の中にあるイライラや現状に対するストレスが「すっ……」と消えてしまうような感覚になる。実際は深呼吸なんてしても現状が変化しているわけではないのだが、不思議なものである。
「はぁー……」と肺の中にある酸素を全て出し切るつもりで息を吐くと、その頃には大分気持ちが落ち着いた。改めて目の前の悪魔と向き合うと、「ふわぁ……」と眠そうにあくびの声を漏らしていた。ちょっと可愛く見えてくる。
「気持ち良さそうにあくびをしているところ申し訳ないのだが、結局拙者は悪魔を召喚することに成功したと解釈するべきなのか? それとも、失敗したと解釈するべきなのか?」
「それはもちろん成功と解釈してもらって大丈夫っス。あっしがその悪魔というやつですから。ただ今世界中で悪魔の召喚儀式をしている人が数百人単位で出てきたため、もう一度時間を開けてから再召喚してほしい、というだけの話っス」
「それでは、貴殿が拙者の望みを叶える……というのはダメなのか? 貴殿も一応は悪魔なのだろう?」
「別に良いっスけど、あっしはそこまで高位の悪魔ではないので、そんな〝この命をかけて世界を滅ぼしてくれ〟みたいな大層な望みを叶えることはできないっスよ?」
「それで構わない。拙者の望みは、ただ貴殿の手で拙者のことを〝洗脳〟してほしい……それだけのことだからな!」
「いや、嫌っスが……? 嫌というか、なんで洗脳を求めるんですか。洗脳程度なら人間の血一滴だけで可能ですが、その……素で気持ち悪いっス」
姿は見えねど声が明らかにドン引きしている感じでショックを受けてしまう。拙者、今まで二十余年の人生を生きてきて、今まで一度も「気持ち悪い」という言葉を聞いたことがなかった。確かに拙者の洗脳されたいという「望み」に対して、「中二病拗らせた?」とか「やめときなよ、気持ち悪いよ。それより、もう良い大人なんだから、ハロワ行って就活しなよ」とか、数多の友からの罵詈雑言は聞いてきた。
しかし、人間ではない悪魔から「気持ち悪い」という言葉を言われると、さすがに辛いものがあった。悪魔ならどんな人の望みも「クックックッ……良いだろう」と言って大した批判もせずに叶えてくれると思っていたのに。
あまりのショックで、その場に倒れ込んでしまう。悪魔は「大丈夫っスか?」と部屋の中に置いていたペットボトルの水を持って来てくれた。心に深く生まれた傷は簡単に埋まるわけではないが、その水を持って来てくれた優しさがどうにもその傷に染み込んで心地良かった。
ペットボトルの水を一気飲みすると、多少気が晴れた。部屋の隅にあるゴミ箱へペットボトルを投げ捨てて口元についた水滴を服の袖で拭っていると、「あのー」と悪魔が声をかけてくる。
「それで、なんで洗脳なんて気持ち悪い夢を見ているんスか。悪魔に洗脳されて良いことなんて一つもないっスよ? ただ意識を奪われ、奴隷のように捨て駒としてこき使われるだけですから。別に洗脳を望むのは自由だけど、ちゃんと現実として洗脳された場合のリスクや苦しさを理解した上で洗脳されることを了承することをオススメするっス」
「悪魔なのに、拙者のことを心配してくれているのだな。本当に申し訳ない」
「あっ、心配とかではないっス。ただの警告っス。一応あっしも悪魔の端くれなので言っておきますが、悪魔に優しさを求めたら骨までしゃぶられて殺されるのがオチっす。悪魔と人間はあくまでも、利用される存在と利用する存在の店と客の関係性です。そこにそれ以上を求めると、当然ろくでもない結末を迎えるだけっスよ。だから、今あっしが言っているのは、そうなってもいいんですか? というただの警告っス。人間じゃないんですから、そんな心配なんてことはしないっスよー」
「……それでも、拙者は貴殿が心配してくれていたと思うぞ。拙者がそう、勝手に解釈した」
悪魔は少し居心地悪そうな三つの目線を向けてきたのに、ふっと笑みを漏らす。やっぱり、この悪魔は可愛いと思う。それでいて、拙者の夢を根本から批判してくるような数多の友とは異なり、この悪魔は根本ではなく「仮に洗脳されたら」という前提の元で話してくれている。それは今まで孤独に夢を追いかけてきた拙者にとって、とても心地良いものだった。それ故に拙者はこの悪魔を、とても気に入った。この悪魔になら、拙者の「人生」を委ねても良いと思った。だから――――
「それでいい。現実を見ろというが、拙者はもはや無職でこのまま野垂れ死ぬだけの運命。どうせ名も無き者として朽ち果てるのであれば、貴殿の捨て駒として生きる方が良いと解釈した」
「……やっぱり、人間というのは気持ち悪い生き物っスね。忠告してやったのに、そんな緩やかな自殺みたいな選択を、自らの手で選び取るなんて。後先を考えず、ただ今が良ければ良いという傲慢な考えの元で生きている。ほんと、合理的な悪魔であるあっしには解釈できない存在っス」
「それで良い。悪魔と人間は店と客の関係性、なのであろう? それならば、多少気持ち悪い客が来たとしても、気持ち悪い客だなーと思って適当に流せば良い」
「そう……そうっスね。気持ち悪い客が最悪のオチを迎えたとしても、それは別にその気持ち悪い客の選択の結果であり、あっしには責任のないことっスよね。……それでは改めまして、悪魔のあっしと洗脳の契約、結びましょうか」
差し出された紫のドロドロした触手を掴むと、脳の意識がふわふわとしてくる。まるで身体がとても軽くなったような、臓器を全てかなぐり捨てたような、そんな不思議な感覚。そんな浮遊感のような感覚の心地よさに身を預けていると、不意に思考が消失した。今まで世界であったはずのものが、揺らぎ、意味のないものへと置き換わる。しかしその数秒後には、世界が再構築される。今までもっていた認知は完全にデリートされて、そこに残ったのは新しい価値観である。
目の前にある悪魔は、
「ここに契約は結ばれたっス。ということで、これから良い手駒としてこき使っていくのでよろしくっスよ。よろしくお願いっスね。……気持ち悪い、あっしだけの使い魔さん?」
洗脳契約 海沈生物 @sweetmaron1
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