終幕
「次は此方です」
誘導された次の檻には、今まさに蚕を振るって転がしたかのような、純粋無垢な白い繭がやおら脈動している。そのシルエットは開花宣言を待つ蕾と似て、感受できる害は邪推しなければ見当たらない。
「この白いの、実は全部カビで、もう既に成体なんですよ」
肝を奪う展開だったらしく、客の顔色を見て伺った。しかし、満足するような驚きは得られず、一段と残念そうに吐露した。
「心鷲掴みポイントだったんですがねぇ」
落ち込んだ気持ちは語気をとりわけ弱々しくし、その機嫌で園内の案内を続けられれば、貴重な体験を台無しにされかねない。ガイドの士気を取り戻そうと、一人の客が手を挙げた。
「なにを栄養として……」
破れかぶれな質問は、数分前のまるで実りのないやりとりを思い出す。だが、ガイドは質問に答えるだけの説明を持っていた。
「自身を覆うカビを栄養源としているのですよ。まさに自給自足! 一度そこに根付けば、寿命が尽きるまで動くことはありません。もしあのカビの衣を破いて外へ出たときには、未曾有の惨事が待ち受けていることでしょう」
虫の知らせのような凶兆をこの得体の知れない生物から受け取らなければならないとは、輪にかけて辛気臭さが漂う。それから口を突いて出るのは、超自然的存在に対する誠実な疑問だ。
「出生が気になりますね」
あらゆる過程を吹っ飛ばして間欠泉から突如、生まれ出たとしか思えないその訝しさはやはり、人を惹きつけてやまない。いずれも神秘的な醜聞さに目が肥え始め、客は着実に動じなくなっていった。
「巷では、かき氷が流行っているようですね。私も並んで食べてみたいなぁ。ここからほど近くに巨大複合施設も開業予定のようだし、また、たくさんの人を呼びそうだ。楽しみ、楽しみ」
間延びする道中を飽きさせないガイドは四方山話で場を繋ぐ。それは客を連れて歩くガイドなりの楽しませ方であったが、奇々怪界の生物たちを次々と目撃してきた客にとって、相槌を打って興味を装うことすら、これから味わうことになる好奇心の雑味になり得る。首を縦に振るなどの所作も放棄して、知らぬ存ぜぬとガイドの言葉を受け流せば、形容し難い空気感が醸成された。
開演から三十分が経った頃、首尾よく園内を回れていることをガイドの足取りの軽快さから推し量れた。だからこそ、私情たっぷりな道草に差し当たるガイドに怪訝とする。
「綺麗だ。変わらず綺麗だ」
とある檻の前で、捌き手にあるまじき傾倒具合を見せ、客を置いてきぼりにするほどの気焔を吐いた。
「私が思うに、こと地球に於いて! 全ての生命体のなかで! 比類なき美しさだと私は断言できる!」
命を投げ打ってでもその心酔を跳ね除けようと考える客はこの場にはいなかった。等しくガイドの振る舞いを眺めて、閉口することにより手痛い叱責を避けた。
「こんな檻、取っ払ってしまいたい」
ガイドがその生物と檻越しに懇ろになる様子を目の当たりにすると、客は一様に悍ましさを抱き、一歩距離を取った。すると、開演の合図を鳴らしたスピーカーから、ガイドを窘める声が聞こえてくる。
「ほら、何をしているんだ。お客さんが待っているじゃないか」
ガイドは寸暇に襟を正して、スピーカーに向かって頭を下げた。
「すみません、園長」
骨組みだけの翼が開き、カタカタと音を立てる。体躯を形作る鱗は、光の強さや角度によって複雑怪奇に七色の変化を見せ、親しみを覚えて近付くガイドの姿と合わせれば、もはやこの世の終わりを想起させた。
──ナイトズーラシアについて、所感を残したいと思う。まず一つ、ガイドには大層驚かされた。巧みに言語を操り、意思の疎通も無理がなく、地球にそぐわない姿形ながら、サーカスの熊のように従順だった。ガイドはまるで、檻の中の生物とは一線を引いた存在。つまり、人間のように振る舞っていた。園長によって、そう躾けられたのかもしれない。
園内を回っていると、ラブクラフトのクトゥルフ神話に出てくる邪神の造形に比肩する生物を散見できた。かの国で、数時間のうちに一つの町が機能不全に陥り、無数の死者を出した未曾有な事件が起きたらしい。因果関係を疑わざるをえない。原因究明を課すならば、ナイトズーラシアを管理する園長に意見を乞うのは最早、必然だ。しかし、件の地で事件の資料や被害者の声を聴いてからでも遅くはないだろう。積年の好奇心は今夜、報われた。その一方で、新たに、目を向けるべきものができたのだ。私は、異国へ飛ぶことを決意した──
狂気と蠢く影の源泉 駄犬 @karuki
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