夕焼けは、あんず色。
雪村悠佳
夕焼けは、あんず色。
夏休み。
受験生は勉強していたり、誰かは旅行に出ていたり、帰宅部は最初から家を出ることもなく籠宅部になっていたり。――ろうたくぶ、なんだろうか?
だけど一応、陸上部たる僕は、一応夏休みも部活に出てきていたりする。
夏はどんどん暑くなっているとかそういう話で、実際気温の高い日は昼間は体育館で基礎練習だったりするんだけど、今日は夕方前に河川敷を走っていて。
だけど、少しマシとはいえ、やっぱり夏は暑くて。
いつもの橋の下まで走ってから、橋の陰のベンチで、僕は一息ついていた。
「はい」
首筋にぴたっと冷たい感触が押し当てられて、ひゃ、と裏返った変な声を出した。
思わず振り向くと、少し長い髪の毛をアップにした女の子が、手の平を口に当てて肩を震わせていた。
くす、くす、と押さえ切れない笑い声が漏れてくる。
「山本、何するんだよ」
不満を訴える声を僕が出すと、山本は笑いをこらえながら言った。
「だって、田中の声があまりにも面白くて。ひゃ、って」
「真似しないでくれますか」
少し睨んでみるものの。
「だ、だって……」
ツボに入ったのかまだ笑っている。
「それより、はい、お疲れさま」
ひくひくとしながら、僕に向かってペットボトルを差し出す。
受け取ると、表面にびっしりと浮いた水滴が僕の手を濡らした。びっくりもするはずだ。多分元々は冷凍されていたんだろう、この炎天下でさえ一瞬手の力が抜けそうになるほどの冷気を感じる。
「ありがと」
「どういたしまして」
そう言いながら今度は、普通ににこっと笑う――まだちょっと面白そうな顔をしているけど。
「暑いのに田中も頑張るよね」
「まぁ、ね」
そう答えながら、田中の顔を見る。
多分女の子にしては背の高い方なんだと思うんだけど、目元とかは幼い感じが残っていて優しい感じがする。着ている体操服は汗で少し張り付いていて、体の線が普段よりもくっきりと出ていて。それをあんまり凝視してもいけないな、と思いつつ、ついちらちらと見てしまう。
「夏休みに折角来てるんだし、だらだらしてても仕方ないし」
「……おお、ちょっとキュンと来る」
冗談めかしてまた笑う山本から、僕は目を逸らした。
そういうことを言われると、僕の方がキュンと来るんだよ。
今もらったペットボトルに目を落とす。麦茶のペットボトルだ。正直麦茶と何の関係があるのか分からないけど、ずっとCMをやっている落語家の顔がパッケージに印刷されている。
蓋を回すと、それだけで冷気とかすかな香ばしい香りが、僕の鼻をつく。
「もらうね」
目を逸らしたまま、断りだけ入れて、ペットボトルを口に運んで少し傾ける。まだ完全に溶けていないらしく、ごろん、とボトルの奥で何かが動く気配がする。
味を感じるより先に、舌を、歯を、口の中を少し痛いような刺激が走る。
冷たい。
その冷たさを一瞬、口の中いっぱいに含んで。
それからやっと、少し味を感じて。味わおうとする暇もなく、そのまま喉に流し込んでいく。喉の奥を、冷え切った液体が流れていく感触が伝わってくる。喉の奥に味を感じる部分なんてないはずなのに。僕はそれを味わっている。流れ落ちる麦茶はそのまま胃に一気に流れ込む。その刺激の強さに、僕の左手が一瞬、自分の胸を押さえる。
熱く火照った体に冷気が染み渡る。
日本語としておかしい気がしたけど、冷たい熱だ、と思った。
そういうことを考えている間にも、本能がどんどん、体に液体を流し込んでいく。気がつけばペットボトルが半分以上減っていて、なんだか一気に飲んでしまってはいけない気がしてペットボトルを下げる。お茶の真ん中に氷が残っている。なんで麦茶を凍らせているのに氷は白くなるんだろう。
「おつかれ」
山本がもう一度言った。
「先生もそろそろ帰って来いって言ってたよ」
「わかった。次の橋まで往復してから帰るよ」
そう言って僕は立ち上がると、太ももの前と横をぽんぽんと叩いた。
「うん、ふぁいと」
山本はそう言うと、自転車に跨がって学校へと戻っていった。
部室に戻ってきた頃にはさすがに太陽も傾いていて、僕はまた体を火照らせていた。
片隅の冷蔵庫をのぞくと、スポーツドリンクが何本か入っていた。
「山本は?」
近くにいた部員に聞くと、体育倉庫の方へ向かったよ、と言われた。
同じ悪戯で仕返ししてやろうか。
そう思って、ペットボトルを二本持って、体育倉庫に向かった。
少し夕焼けで朱くなった日差し。
さっきと変わらない後ろでくくった髪の毛が見えた。
どうやって後ろから気がつかれずに迫ろうか、と思っていた時に、前にもう一人いるのが見えた。部の先輩。よく知っている顔だった。
山本が何か言って。
先輩が山本を抱きしめるのが見えた。
僕は黙って、スポーツドリンクのキャップを開けて、口に含んだ。
麦茶と違ってスポーツドリンクは甘い味がする。いつもそうだった。
だけど今日は、なんだか変な味がした。
何故だか酸っぱいような、苦いような、そんな味だった。
夕焼けは、あんず色。 雪村悠佳 @yukimura_haruka
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