フェアリーヘンジ
果たしてバラクロフ男子総合学校の、生活指導担当のエディト・クールベ教諭に連絡を取ると、向こうからすぐさま返事があった。以下だ。
〈キガク ノ セイト ホンコウ ニ アラワレシ〉
現れし……? うちの生徒が? 何が起きたのかさっぱり分からないでいると、台所から王室騎士のグレアムさんが姿を現した。手には立派なバスケットと、紅茶の入った瓶が二つ。彼は恭しくそれをテーブルの上に置くと、シャロンさんに告げた。
「ピクニックの準備はできていますよ、レディ」
ピクニック……?
思わずマリエルに目線を送った私だが、しかしマリエルもマリエルで何だか楽しそうというか、うきうきした様子でグレアムさんとシャロンさんの二人を見ていた。すると当のシャロンさんが、私に向かって素敵な笑顔を見せた。
「ピクニックに行きましょう」
「え、いや、でも、バラクロフには……」
事情がどうであれ、バラクロフに本校の生徒がいるなら迎えに行かなければいけない。しかし娘さんはバスケットを手に持つと簡単に告げた。
「バラクロフには、ついでに寄りましょう」
ついで……? しかしマリエルが私の耳元で囁いた。
「まぁ、娘についていってみなさいな」
私はマリエルを見た。あの美しい瞳が私を捉えた。
「で、でも、ピクニックって言ってもどこに……」
そんな私の問いに、シャロンさんがにっこり答えた。
「ピクニック・アット・フェアリーヘンジ」
*
そういうわけで、私たちはフェアリーヘンジに来た。
そもそもの発端。この災難の根源。そこに私たちはいた。シャロンさんは、いくつもならんだ石のすぐ横、小さな楡の木の下に
「レディ、こちらを」
グレアムさんがお弁当とお茶を手渡してくれる。娘さんは「ありがとう」と丁寧にそれを受け取るとグレアムくんの隣に品よく座った。仲睦まじい男女を見ているのは何だか心が潤うようで素敵だった。しかし今は生徒だ。生徒のことが第一だ。
「あの、よろしければ生徒の行方を……」
すると娘さんは天を仰いだ。
「もう少し、時間が必要です」
「時間?」
「ええ」
それから、楡の木の影が細長くなるまで。
私たちは簡単におしゃべりをした。マリエルが私の仕事についてあれこれ訊いてくることが主だったが、ある程度時間が過ぎると私の心にも余裕ができてきて質問を返すこともあった。たまに、私は娘さんに質問をした。
「彼とはお仕事で知り合ったの?」
より過ごしやすい日陰を求めて茣蓙から離れた騎士様の背中を示して、私は訊ねた。娘さんは頬を染めた。
「はい。窮地を救ってもらったんです」
「まぁ、それは素敵」
どれくらいのお付き合いになるの? そう訊くと彼女は何本か指を立てた。随分長いのね。
「それだけ付き合っているなら……」
と、言外に訊ねてみると、娘さんは年頃の女性らしくぱっと目を開いてすぐに伏せた。あらまぁ、かわいらしいこと。
「どんな人? 優しい?」
そう訊くと彼女は俯いたまま頷いた。マリエルが横から顔を突っ込む。
「まぁ、そんな仲になっていたなんて私聞いていないんだけど?」
「お、お母さんに言う訳ないよ……」
「あらそう? でもあなた、男性が何をしたら喜ぶだろうって……」
「わー! 言わないで!」
そんな風に若い彼女をからかっている時だった。
娘さんが急に目線を上げて、空を見た。私は彼女をなじった。
「ちょっと、逃げようたってそうは……」
「先生」
娘さんはハッキリ告げた。それからバスケットの中に手を突っ込み、小さなピンのようなものを取り出すと、いきなり地面に突き刺した。
「そろそろです。バラクロフに行きましょう」
バ、バラクロフへ……?
いや、行くには行くのだが何故急に、今なのだろう。そんな風に思っていると、娘さんはそのまま立ち上がり、私を急かして茣蓙から退去させると、慌てた足取りでフェアリーヘンジの方へ向かった。日が傾いて、環状石列フェアリーヘンジの中にはいくつもの影が伸びていた。娘さんはその石の傍に行くと、茣蓙の上でくつろいでいたマリエルに訊いた。
「お母さん、魔法陣に入る時に気を付けることは?」
マリエルが答えた。
「頭を空っぽにすることね。邪念が入ると魔法陣に影響するわ」
「分かった! 先生、こちらへ」
頭を空っぽに。そう、娘さんが手を差し伸べてきた。私は何が何だか分からないままに娘さんの傍に寄った。彼女がつぶやいた。
「いいですか。呼吸に集中してください。吸って、吐いて。それだけを考えて」
「え、でも……」
「行きますよ」
娘さんが私の手を取って、フェアリーヘンジの輪の中に、足を踏み入れた。私は慌てて呼吸に意識を向けた。吸って、吐いて。吸って、吐いて。三回目の呼吸に意識を向けようとした正にその時、急に景色が変わって私は……私と娘さんは、都会的な風景のど真ん中、美しい紋章に象られた塀の前にいた。辺りを見渡す。少し離れたところに門。塀は私たちを囲うようにして伸びているから……おそらく施設の中。でもここは、一体……。
と、さらに周囲に目を走らせて気づいた。一番近くにあった建物の、屋根の上。旗が一本伸びている。いばらの縁に立派な盾。その盾の中には騎士とライオン。そして杖を持った男性が盾の両脇を固め、クラウンが上部に飾られたその紋章こそ、バラクロフの校章だった。こ、ここは、そう、もしかして……。
「バラクロフに到着しました」
娘さんは足元に目をやる。
「なるほど、ここに」
彼女の足の先には大振りのピンがひとつ、地面に刺さっていた。それには複雑な紋章が刻まれており、私は一目でそれが魔法の道具であること……魔蓄であることを見抜いた。娘さんがかがんでそれを、地面から抜いた。やっぱりそうだ。ハイキングなんかの時に、迷子にならないよう地面に刺しておく魔法ピン。地面に特定の魔法陣を書いてそれを踏むとそのピンを刺したところまで瞬間移動させ、迷う前の地点まで戻してくれるギアだ。
でもどうして? 娘さんは魔法陣なんて書かなかった。ただフェアリーヘンジの中に足を踏み入れ……。
そう考えて気づいた。すると娘さんがにっこり笑って、私の考えを言葉にしてくれた。
「フェアリーヘンジは魔法陣なんです」
私は彼女の目を見た。
「普通の魔法陣は、行使した後簡単なきっかけで崩れてしまいます。チョークや石で地面に書いたものもこすれたら陣が崩れてしまうし、もしかしたら踏んだ段階で輪の何かが崩れて効力を失うかもしれない。でも環状石列は違う。石で作られた魔法陣はいつでもその効力を保てる。フェアリーヘンジは永続的な魔法陣だったんです。それも、太陽によって伸びた影で陣形をなすような。そして、そう、その並んだ石の影を、『移動魔法の入り口として』利用しようと考えた人がいたとしたら。出口をこのピンで指定しておいて、石の輪の中に入ればすぐにそのピンの場所に移動できるようにしていたとしたら」
「ま、まさか……」
私は息を呑む。
「こ、これは、バラクロフ関係者による我が校生徒の大規模誘拐……」
するとシャロンさんは笑った。
「違いますよ。そんな大袈裟なものじゃありません」
娘さんがふと遠くの方に目をやった。私がその視線を追うと、遠くにあった建物の中から、男子生徒が数名、出てくるのが見えた。そして、その後に続いてきたのが!
「シャルロット!」
私は叫んだ。
「モデスタ! ユッタ! モイラ! アニタ!」
私の声に反応して、男子生徒の後から続いて出てきた女の子たちが気まずそうに顔を見合わせた。
「あなたたち、どうしてここに!」
するとシャロンさんがとんとんと私の肩を叩いた。
「かけおちみたいなものです」
私の胃の腑に何かが落ちた。かけおち! まぁ、よりにもよって……!
「多分、学校交流で知り合ったことがきっかけなんでしょうね。先生のところの生徒さんと、あそこにいるバラクロフの生徒さんたちは恋仲になってしまった。そして学校という輪を超えて会おうと思ってしまった。その思いが本件を生んだ。まず、お嬢様たちの誰かが学校交流の時にこの校内にピンを立てて、そしてピクニックの時に、永続的な魔法陣であるフェアリーヘンジの中に足を踏み入れると……」
「あなたたち!」
私は再び叫んだ。
「いいですか、愛は育むものです!」
今にも逃げ出してしまいそうな女子生徒たち五人に、私はずんずんと近づいていってそのままの勢いで全員抱き締めた。涙が出そうだった。どれだけ心配したことか。
「若芽を引っ張ったら抜けてしまうでしょう。どうしてそれが分からないのですか」
すると生徒たちの目が潤んだ。それから五人とも告げた。
「先生、ごめんなさい……」
「いいんです。あなたたちが無事なら」
「先生、あのね……」
私たちの後ろで気まずそうにしている男子生徒を指して、シャルロット嬢が告げた。
「あの人たち、全然頼りないの。私たちが会いに来ても、困った、困った、って……」
「そうね、もしかしたら、男性は愛を向けられるのに慣れていないから、急に愛されたらびっくりしてしまうのかもしれませんね」
いいですか、愛は育むものです。私は繰り返した。
「相手の気持ちも、相手の歩調も、気にかけてあげなければいけません。一足飛びにはいかないの。慎重に、優しくしてあげないといけません」
「はぁい」
いたずら娘たちはちょっぴりむくれた。その様子が何だかかわいらしくて私は全員抱き締めた。
「あなたたち」
私は男子生徒に告げた。
「女性を愛する時は気を付けることよ。女性はそれが男性でも、自分の子供が相手でも、愛のためなら何でもするものです」
「は、はい……」
「あなたたちも紳士ならしっかりなさい」
男子生徒たちがたじたじになったところで、私は自分の生徒たちに目を向けた。どの子もみんなしっかりした目をしている。自分の居場所が分かったような目だ。
「さてさてお嬢様たち。帰りますよ」
はて、と私は困った。行きのピンは刺してあったけど帰りのピンは分からない。するとカギ娘さんが告げた。
「帰りのピンは、フェアリーヘンジに入る前に茣蓙の近くに刺しておきましたよ。さぁ、帰りましょう」
そういうわけで、私たちはバラクロフの魔法学の教諭に移動魔法の魔法陣を書いてもらって、全員でその中に足を踏み入れた。
そして気が付くと、マリエルとグレアムさんのいる茣蓙の近くに、帰還していた。
*
これが我が校の女子生徒失踪事件の真相である。私の子供たちは私がかつて犯した過ちと同じことをしようとした。気持ちはすごく分かるし、当時のあの子たちにはその選択肢しか見えていなかったことは十分理解できる。だが視野が広がった大人は、それを正してあげないといけない。そう、私のように過去に過ちを犯した大人が。
私はふと、クリフォード・ウォーレン・ロイド・アーネット校長を思い出す。
あの人ももしかして、愛しい女性とのかけおちの経験が、あったのかしら。
了
ピクニック・アット・フェアリーヘンジ 飯田太朗 @taroIda
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