第69話 破城槌

 マリアナ沖海戦の結果は連合国に激震をもたらしていた。

 大小一七隻の空母と新旧一四隻の戦艦を一時に失ってしまったのだから無理もなかった。

 一度の海戦で三〇隻以上の主力艦を失うなど人類史のどこにもそのような記録は無い。


 もちろん米軍もただやられたわけではなく、一〇隻の空母撃沈し多数の水上艦艇を撃破していた。

 しかし、その戦果も損害に見合うものではない。

 なにより問題となったのは陸海合わせて一〇万を超える将兵が戦死するかあるいは捕虜となったことだ。

 第七艦隊を撃滅した第一艦隊はその後、サイパンの米軍支配域に徹底した砲撃を加え、人も物資もそれこそ平等に吹きとばしてしまった。

 物資が欠乏し、戦死傷者が続出してはいかに精強な海兵隊や陸軍の精鋭といえども戦い続けることは困難だ。


 当然のことながら、この惨敗に共和党の議員はルーズベルト大統領ならびに合衆国海軍の責任を追及する。

 マーシャル沖海戦を遥かに上回る損害にルーズベルト大統領も弁解の余地はなく、さらに民主党主流派からも責任追及の声があがる始末だった。

 このことで、ルーズベルト大統領は彼自身が悲願としていた四選目の大統領の座についてはこれをあきらめ、三期で終えることを民主党重鎮らに約束させられてしまう。


 一方、ルーズベルト大統領以上に死に体だったはずのチャーチル首相のほうは相次ぐ内閣不信任案の提出にもめげず、しぶとく頑張っている。

 しかし、インド洋を失い長期間に及ぶ耐乏生活を強いられている英国民のチャーチル首相に対する不満や不信は根強く、その政治家生命は風前の灯火だ。


 そこに目を付けたヒトラー総統は、連合艦隊を欧州に派遣するよう帝国海軍に要請してきた。

 マリアナ沖海戦で大敗を喫した米国は、現時点において連合艦隊に太刀打ちできる戦力は無い。

 その連合艦隊に英国周辺海域で盛大に暴れ回ってもらい、英米交通線を麻痺状態へと叩き込んでもらう。


 もはや、米国からの援助物資無しには戦争どころか国民の生存すらも覚束ない英国にとって英米交通線の途絶は死刑宣告も同然だ。

 その英国が戦争から脱落すれば米国は欧州解放という大義名分を失い戦争からの退場を余儀なくされる。

 そうなれば、日本は米国との泥沼の戦争から解放され、ドイツはソ連撃滅一本に絞ることが出来る。


 「そのようなことをヒトラー総統がおっしゃっているのですか」


 山本海軍大臣からことのあらましを聞かされた第一機動艦隊の小沢長官は半信半疑の思いで問い返す。


 「そうだ。そして、これはドイツばかりではなく、帝国陸軍からも同様の要請がこちらに届けられている。まあ、陸軍としては米国との戦争などとっとと終わらせて本命のソ連との戦争に備えたいのだろう」


 小沢長官の問いかけに山本大臣もまた苦い表情を隠さない。


 「大臣は英国が脱落すれば米国が矛を収めるとお考えですか」


 「正直、私にもわからん。だが、対日強硬派のルーズベルトと対独強硬派のチャーチルがいなくなれば講和の可能性が高まることは間違いない。彼らの後継者が対日宥和あるいは対独宥和を志向する者であれば言うこと無しなのだがな。

 いずれにしろ、米軍は三〇隻以上の主力艦を失ったんだ。半年や一年はロクに動けんだろう。そして、我々はその間に勝負をかけるしかない。たとえ、ヒトラーに躍らされていると分かっていてもな」


 そう言って山本大臣は欧州派遣艦隊の編成表を小沢長官に手渡す。

 本来であれば軍令部総長かあるいは連合艦隊司令長官あたりが小沢長官に周知すべき事柄だが、しかしドイツという外交ファクターが入っていることもあって山本大臣がその説明役を買って出たのだ。


 「『大鳳』と二隻の『翔鶴』型、それに四隻の『雲龍』型を中心とした機動部隊を半年限定で欧州に派遣するのですか。そして、これにイタリアの戦艦やドイツのUボートもまた作戦に参加する。これは、枢軸国が総力を挙げた英国に対する嫌がらせですな」


 苦笑を隠せない小沢長官に、山本大臣が改まった表情になる。


 「米国は一年後は無理としても二年後には戦力を完全回復させているはずだ。我々のほうも年末には『大和』型三番艦を改造した装甲空母、それに来年には四隻の『雲龍』型空母が完成するが、米国の建艦ペースに比べればほんとうにささやかなものだ。

 我々には時間が無い。おそらくこれが最後のチャンスだ。皇国の興廃はまさにこの作戦にかかっていると言ってもいい。遠路ご苦労だが、一機艦には英国という王城を叩き潰す破城槌となってもらいたい」


 小沢長官もまた、山本大臣が言ったことを理解している。

 マリアナ沖海戦ではなるほど八隻の「エセックス」級空母を撃沈したが、しかしそれは三〇隻以上が計画されているうちのほんの一部でしかないのだ。

 さらに、未確認情報だが、米国はこれを大きく上回る超大型空母を建造中で、しかもその一番艦は来年にも竣工するという。

 そのうえ、失われた九隻の「インデペンデンス」級空母の穴を埋めるために重巡改造空母の建造を進めているとも聞いている。


 「確かに、我々には時間がありませんな」


 山本大臣の言葉に小沢長官は首肯する。

 同時に小沢長官は開戦時のことを思い出している。

 英国が東洋艦隊の増援として六隻もの戦艦を派遣したことで帝国海軍は戦略の大転換を余儀なくされた。

 そのもっとも大きな被害者はと言えば目の前の山本大臣だろう。

 当時、連合艦隊司令長官だった彼は真珠湾攻撃にその心血を注いでいた。

 辞表までちらつかせて勝ち取ったはずの真珠湾奇襲作戦も、しかし突然の東洋艦隊の増強で画餅に終わった。


 だが、東洋艦隊が極端に増強されず、もし真珠湾奇襲攻撃が行われていたとしたらこの戦争はどうなっていたのだろうか。

 一方、自分はといえば、当時の第七艦隊を率いて戦艦「ネルソン」と「ロドネー」を撃沈し、一躍時の人となった。

 しかし、それは結果論であって、あの時は「翔鶴」「瑞鶴」のわずか二隻の正規空母と、それに英戦艦に比べて明らかに戦力が劣る「金剛」型戦艦しか手元に無く、非常に厳しい状況のもとで戦いに臨まざるを得なかった。

 その憂さ晴らし、あるいは意趣返しをするのも悪くないと小沢長官は気持ちを入れ替える。

 その小沢長官の表情を見てとったのだろう、山本長官は期待の色を浮かべて次の言葉を待つ。


 「分かりました。一機艦は準備が整い次第欧州へと向かいます。

 英国という王城、それを撃ち破る破城槌となって終戦への道筋をつけることをお約束いたします」



 (終)



 最後までお読みいただきありがとうございました。

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戦海の破城槌 蒼 飛雲 @souhiun

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