第4話 自分らしくいられる家族と共にいられたらいいのに……
「最後まで嫌な人でしたね」
佐々木さんはテラーの席から僕に声を掛けた。
「やっぱり佐々木さん、怒ってる?」
さばさばとした性格なのはここ数年一緒なので分かるが、こんな風に苛立ちを見せるのは意外だったのである。
すると彼女は、僕に「ちょっといいですか?」と言って、共に給湯室へ向かうと、人がいないことを確認した上で話を切り出した。
「学生だったとき、さっきのお嬢さんみたいな子がいたんです。買い物に行って何を買うにも、大学でやりたいことを決めるにも母親の言いなり。母親から離れられない人でした。それを見ていて私、イライラしてしまって、その子にそんなのおかしいって言ったんです。全部母親の了解を得ないと何もできないなんておかしいって。そしたらその子、こう言ったんです。『お母さんを悪く言わないで!』って」
佐々木さんは、「インスタントコーヒー飲みますか?」と尋ねたので、僕は「うん」と答え、いただくことにした。
彼女はカップを用意しながら話を続ける。
「多分、私が言っちゃったことは、彼女にとって大きな出来事だったんだと思うんです。だから、それから学校に来なくなってしまって……。でも、これから先、私たちは親よりも長く生きるじゃないですか。選択に迷うこともあるけど、自分で決められることもあるし、そうしないといけないことだって沢山あります。でも、その子は一人では決められない……。私が言ってしまってから、それを自覚してしまったんだと思います」
「その子はどうしたの?」
佐々木さんは僕の分のコーヒーを出すと、カップを渡してくれる。熱々だ。
「分かりません。でも、そういうお母さんの行為って、犯罪にはならないじゃないですか。虐待しているわけじゃないですし、監禁しているわけでもない。ご飯も食べさせてもらえてるし、洋服だって着せてもらえている。でも、彼女の行動には彼女の意思はないんです。学校へ行くのも親のため。洋服だって、化粧品だって、全部母親が選んだもの。彼女がまとうもの、選んでいるものの全ての『好き』が母親のものなんですよ……。おかしいのに……絶対おかしいのにそれがまかり通ってるって酷くないです?」
「うん」
「そういうこと、世の中にいっぱいあると思います。親って言うだけで、子どもに頭ごなし色んな事を押し付ける人。ホント最悪です。最低です。その子の人生台無しにしているって分からないんですから」
「佐々木さんは、優しいんだね」
すると彼女はふーふーと入れたてのコーヒーを冷ましながら、くっと一口飲んだ。
「優しくないですよ。分かっていても助けられないんですから」
その言葉には、さっき話してくれたお嬢さんに何もできなかった悔しさがあるように思えた。
「……それは僕も同じだよ。ここではお金の問題は多少力になれるけど、人間関係については見えていても無力だからね」
僕はそういうと、話を聞かせてくれたことにお礼を言った。「後の細かい事務処理はしておきます」と佐々木さんが言ってくれたので、僕は彼女に入れてもらったコーヒーを飲み切ると、渉外用の鞄を持って外へ出た。
――――――――――
(何を言ってあげたらよかったんだろう。何を言うことができたんだろう)
僕は時折、春花さんを思い出すと心の中で自問自答する。
しかしどう考えたって何も言えないし、思っていても言うことはできない。
それは
僕一人が春花さんのことを思って「大丈夫ですか?」などと聞いた日には、
そもそも彼女自身、自分が被害者だと思っていない可能性もあるし、思っていたとしても母親との関係を壊したくなくて、僕の方を悪者にする場合も考えられる。そして佐々木さんが言う通り、母親の行動が問題にならないことだってあるのだ。
組織に所属する人間だからこそ、踏み出してはいけない一歩があるし、動ける範囲の中でやりくりしなければならない。僕がいくら春花さんが可哀そうと思っていても、助けてやることはできない。
本当は然るべき人が、彼女と母親の関係性に気が付いて改善させる必要があるのだろうが、現実にはそれは難しい。そもそも教育現場も近所の人も、一つの家族の中に介入することはできない。人間関係というのは、どうしてこうも難しくなってしまうのだろう。
そしてあの親子が去ってからというもの、まるで引き寄せられたかのように、彼女のようなお客さんを何組か見た。意外にも母親がいなければ何も決められない子がいることを知り、とても悲しく思う。
(嫌なら自分から離れればいいのに……)
だが、それが出来る子はまだいいのかもしれない。苦しいかもしれないけれど、距離を話すことで、別の考えを得ることも出来るだろうから。
しかし、春花さんの場合は、自分から離れることは不可能に近いだろう。
(色んな人がいるよな……)
僕は外回り用の軽自動車に荷物を載せた後、運転席に乗り込む。
今から行く家は、いつも明るく溌溂なおばあちゃん、山田さん宅である。あの家は未就学児のお孫さんがいるのだが、いつも元気で人懐っこく、挨拶までしてくれる。きっと家の中がきちんと整っているからだできるのだろう。
(みんながみんな、『いいな』と思える家族と生きられたらいいのに)
僕はそう思いながらギアをドライブに入れ、アクセルを踏むと、今日最初の訪問先へ向かうのだった。
(完)
僕の忘れられないお客さん 〜母と娘〜 彩霞 @Pleiades_Yuri
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