第3話 躾

 書いてもらった伝票を一度上司に見てもらったのち、テラー(伝票入力係)の佐々木さんに渡すと、彼女は声のボリュームを極力下げて「あの人たち、親子ですか?」と聞いてきた。ローカウンターが見える後ろの席で仕事をしているせいか、僕と彼女らのやり取りが気になったらしい。


「そうだけど。何で?」


 すると佐々木さんは苛立ちを隠そうともせずに、「何か母親の方が娘の方を押さえつけてるって感じしません?」と言った。


「うん……。そうだね」


 僕が頷くと気を許してくれたのか、彼女は思ったことを口にした。


「きっと幼いころからそういうしつけをされているんですよ。絶対に母親に逆らわないようにって。最悪ですよね。何もかも全て母親の『Yes』『No』を聞いてからでしか答えられないんですから」


 佐々木さんの言っていることは、あの親子を表面上見た限りでの想像である。勝手に決めつけるのは良くない。きっと「全て言いなりになっているわけではない」はずだ――、と思いたいのに、ここまでの春花さんと母親のやり取りを見ていると、佐々木さんの言っていることが当てはまりそうな気がした。


「どうしてそんな風になってしまうんだろう……」


 僕は佐々木さんの次の話を聞きたくてそう呟くと、彼女はカタカタとキーボードを打ち、伝票の内容を機械に打ち込みながら肩をすくめた。


「分かりません。ああいう人間の内面については、私たち素人には分かりようがないですよ。で、これ見て下さい」


「うん?」


 どうやら彼女は銀行ここの顧客情報を機械から引っ張り出し、それを画面に出してくれたようだ。内容は春花さんの住所や年齢——。それを見たとき、僕は驚いた。


「25歳……?」


 25歳というと大体は社会人だろう。しかし春花さんのあの様子を見ていると、働いているかどうかも疑問である。


「法律上は立派な大人ですよ。でも、自分のこと全部お母さんに決めてもらわないといけないんでしょうし、決められてしまったことは自分が嫌でも否定できないんです」


 僕は佐々木さんの言っていることは確かにそうだろうと思う。


 でも、人が大人になる線と言うのは年齢ではない、とも思う。

 必ずしも皆18歳で、になるとは限らない。逆に言えば、その年齢ですでに達観した考えを持っている子もいると思う。法律では18歳になったら成人だが、皆がみんなそのラインを超えたら「大人になる」わけではない。


 しかし、そうは言っても25歳ともなれば、口座の解約をするかしないかの選択も彼女自身で出来るような気がするが、そう思うのは僕が銀行ここに勤めているせいだろうか。


 それとも、こういうやり取りが苦手、とか?


 もちろん金融取引が苦手な人だって大勢いる。そもそも一生の中で通帳を作ったのち、ATMしか行き来しない人だっているのだから。


 しかし「苦手」だったとしても、母親の態度が変である。

 春花さんのやることなすことにケチをつけ、まるで「お人形になっていなさい」と言っているかのようだ。実際、表情もほとんど変えなくてちょっと不気味なくらいなのだが。


「……佐々木さん、何か怒ってる?」


 さらに険しい表情を浮かべている彼女に尋ねると、紙幣や通帳が載せられたカルトンを渡される。


「いいえ。それより解約終わりました」

「ああ、ありがとう」


 僕は、解約した口座に入っていた2万円弱のお金とこれまで使っていた通帳をカルトンに載せてローカウンターに戻ると、春花さんにそれを渡した。


「解約が終わりました。ご確認ください」


 春花さんは隣に座る母親の様子を伺いながら、現金封筒に入れると、彼女はそれを母親に渡した。


「……」


 僕はやっぱり彼女たちの母と娘の関係が理解できなかった。春花さん名義の通帳でも、母親がお金を入れていたことぐらい何となく分かるが、そうであるからと言っても親子の関係であるのにこんなに支配的なものがあるのか、と。


「もう、あと何もしなくていいですよね?」


 また母親がつっけんどんに聞いて来たのだが、僕はすでに慣れてしまって、いつもの営業スマイルを顔に貼り付けて「はい」と答えた。


 彼女たちは席から立ち上がり、店を出て行く。

 春花さんは早足の母親から離れるように、慣れぬブーツを履いているせいなのか、ちょこちょこと小股で彼女に付いて行くのを見て、僕は何だかもやもやとした気分になっていた。


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