天の光はすべて星
色黒のハートフリング少女が自転車の補助輪を外したのが二ヶ月前の事。
おこちゃま人類達が住処とする遺跡でMCハートフリングが自分の髭を洗面台で洗っていた。
鼻から下の白髭がとれたのっぺりした童顔。
ハートフリングは髭が生えない種族だが、長老たるMCハートフリングは威厳を示す付け髭をつける。
長老といってもさほど年の差があるわけでない。ちょっと仕切りが上手いだけだ。
「ちょーろーちょーろー。あ、ひげとれてるー」
「やー! みーなーいーでー!」
MCハートフリングは自分の部屋に入ってきた子供に慌てたふりをしてみせた。
「ちょーろーちょーろー。そんなことよりみんな、れいはいどうでさわいでるよー!」
「え。なんでなんでー」
MCハートフリングは住処の中央にある礼拝堂に急いだ。
礼拝堂にはマザーコンピュータとの通信端末があるが普段は使われていない。祈るだけの場所。
MCハートフリングだけがここを使うのを許されていた。
モザイク模様のステンドグラスに見下ろされた中央。
色黒のハートフリング少女が皆に囲まれていた。
礼拝堂中央に置かれているのは『ネコふんじゃった』専用のオルガン。通信端末でもあった。
「たんまつをいじくるだなんていーけないんだー」
「はんこうきだっていいわけしてもゆるさないぞぉ」
「ここはおいのりするだけのばしょだぞ」
「まざーとおはなしできるのはえむしーだけだ」
「みんな、ちょっとあたいのはなしをきいて」
少女はやいのやいのの喧騒を鎮めようとする。
背負っていたバッグから楽譜のプラスチックシートを取り出す。
今までの探索で見つけていた物だが、楽譜をセット出来る端末は見つけていない。
「あたいたちはちきゅうくらいしすのげんいんをさぐってるんでしょ。だれもさわってないたんまつなんてもうここだけだよ」
「れいはいどうをあらすいいわけにならないよ」
「ばちがあたってばくはつするやつだー」
「あふろぼんばー」
「たんまつであそぶのはおよしなさい」
MCハートフリングが群衆を割って、少女の前に立った。
「こら。れいはいどうはわしとまざーがおはなしするだけだぞ」
「じゃあ、ここでまざーにちきゅうくらいしすのことについてきいてよ」
「それはたぶーじゃ」
「おかしいじゃないか」色黒の少女は楽譜シートを振りかざした。「ちきゅうくらいしすをさぐっているのに、ここのたんまつだけしらべちゃいけないなんて」
「だからたぶーじゃ」
「だれがたぶーだってきめたのさ」
「えーと。それは……」
考えてみてMCハートフリングは困った。
確かに誰がタブーだと決めたのだろう。自分は伝え聞いた記憶がない。
いつの間にか決まっていた。最初から。そう、最初からだ。
そう言えば自分はマザーとどういう話をしていたのだろうか。
愕然とする。マザーとのこれまでの会話を一切憶えていない。
「えーと、えーと。あれ。はらほらひれはれ」
「わかんないでしょ。あたいたちはふかんぜんなんだ。そうまざーにつくられたんだ。このがくふをせっとしてみるよ」
騒ぎ続けるハートフリング。遺跡に住む者全員がこの礼拝堂に集まっていた。
少女はプラスチックシートをオルガン脇のスリットに差し込もうとする。
しかし、差し込む前に現象が発動した。
『パスワードを吹き込んでください』
突然、礼拝堂の中に反響する女性の声にハートフリング達は戸惑った。
「だれだ、だれだ、だれだ。だれだぁー」
「ぼくしってるよ。これはまざーのこえだよ」
「まざーがはなしかけてきたの」
「ぱすわーどってなに」
「ひらけごまー! いふたむ・やー・しむしむ!」
「あ。それ、ありばばだね。えほんのちしきだ」
「ひらかないよー」
少女はプラスチックシートを差し込む手を止めた。
考える。
そして大きな声で言った。
「きょうこつ!」
狂骨。
全知生体の象徴であるデータモンスター。
『パスワードを了解しました』
マザーの声がして、礼拝堂の宙にある空間に赤いドレープ姿の女性が浮かび上がった。立体映像だ。
『とうとう、ここ、マザーコンピュータ本体に到達しましたね……』
女性像は肌が黒い少女に愛おしそうに語りかけ、震える声に満ちた空気で包んだ。
『ハートフリングの知性レベルを確認しました。これより全人類の解凍覚醒プロセスを実行します』
「なんじゃ、こりゃー」
「だいぢしんだよ」
「ゆれるゆれるゆれる」
「こんなところにまざーこんぴゅーたのほんたいがあったなんてー」
「とうだいでもくらしーだ」
大騒ぎして右往左往するMCやハートフリング達の中、黒肌の少女は立体映像と見つめ合った。
★★★
遺跡全体が揺らぎ、軋み始める。
天井から砂埃が落ち、壁や柱が震える。
礼拝堂の床に直線の亀裂が入って大きく割れた。
未踏査区域として封印されていた遺跡地下の地層が明らかになる。
巨大なメカニクスの断層。断面は無機質のビルディングを割って詰め込んだミルフィーユ。
呆れるほど巨大構造体。バナナの皮が剥ける様に全外殻が外向きに倒れた。
幾千もの冷凍カプセルが並んだガラスの塔の如くそびえ立つ。
いわばサイロの中の巨大ミサイル。
その頂上がハートフリングの居住遺跡だ。
★★★
「なによ、これ」少女は叫んだ。「あたいはちきゅうくらいしすをしらべようとしたんだ。じんるいのかくせいなんてしらない」
『あなたが吹き込んだのは人類覚醒のパスワードです。情報検索をやり直しますか。プロセスを中断するなら専用のパスワードを入れてください』
「なによ、それ」
剥けたバナナの先端で、少女は必死に女性像を見つめる。
『パスワードが無いのならばプロセスを続行します』
「なによ、それー!」
ハートフリングは女性像の頭上にカウントダウンの数字があるのに気がついた。
三六〇から始まったデジタルカウントは点滅しながら一秒ずつ減っていく。
「ぜろになったらみんながめざめるんだね」
「ぼくのかぞえられるのはじゅういちまでだ」
「かった。ぼくはじゅうさんだ」
「じゅうさんのつぎは」
「じょーかー!」
「ねー。ばななたべたくなったんだけど」
ハートフリングは見上げた数字を皆で数え始めたがほとんどが読めない数字。声がそろわない。
焦っているのは少女とMCだけらしい。
『この地域地下の人類が覚醒します。これから連鎖的に全地球の人類冷凍システムが解凍し、やがて全人類が覚醒し始めます。全人類覚醒まで三〇分。……緊急事態。人類覚醒と同時にデータストームの衝撃波で地球表面が壊滅する可能性九七%。データ・ブラックホールの発生確率九五%』
「えむしー!」少女は焦った白髭顔を見やる。「こういうときのいいつたえは!」
「えー。そんなこといったってー」
役立たずのMCより赤いドレープの立体映像をあらためて見つめる。
その愛おしげな眼線がプラスチックの楽譜を見ているのに気づく。
脇のスリットに持っている楽譜シートを両手で差し入れた。
オルガンの隙間から眩しい光が漏れる。
大きな楽器はまるで玩具の様に展開して、少女の眼の前にキーボードを献上した。
『パスワードを入れてください』
キーボード上部の細いウインドウでフォントが明滅する。
ちょっとだけ考え、一本指打法で「きょうこつ」と入力するとビープ音が鳴った。
『パスワードが違います』
「ちがうのー」
少女は本気で悩んだ。
『現実と想定に大きな反故がありますね。アムネジア・プログラムはまだ完成していません』
「あむねじあ・ぷろぐらむって?」
揺れる遺跡。
『人類の精神にダメージを残さず記憶喪失にする方法。睡眠時の非可聴顕在域に働きかけて脳にダメージを与えずに重要情報の記憶喪失を促すプログラムです。それがあれば人類の理解レベルを落として覚醒させ、情報爆発を起こさずに生活させる事が出来ます。……仕方ないですね。助けるのは一度だけですよ』
赤いドレープの女性像が愛おしげにウィンクした。
キーボードのウィンドウに『時期尚早と判断。プログラム未完成の為、緊急回避システムを作動させます』の文字がスクロールする。
『マザー権限でこの情報を封鎖します。緊急脱出します』
突然、何処からともなくの赤色灯とサイレン音の乱舞が礼拝堂を埋め尽くした。
ハートフリング達は互いに抱き合った。
「なにがおこるのー」
「こわいよー」
「へい、まざー。せいきまつってこんなもんかい」
「しんせいきでんせつだー」
「ぢひびきがひどくなってきた」
「あ。このかんじはろけっとまんだ。いぇ-い。ろけんろー」
ハートフリング全員が詰まっている礼拝堂の出入り口と窓が絞り状の金属ドアでシャットダウンされた。
ハッチが閉まったのだ。
★★★
ハートフリングが住む巨大構造体は最後まで繋がっていた太いケーブル類を外周から切り離した。
凄まじい轟音が周囲の光景を埋め尽くす。
構造体は最後部から炎を噴き出しながらリフトアップし始めた。
覚醒地域が広がる前に切り離されたハートフリング居住区画はロケットエンジンを震動させながら上昇する。
騒音吸収システムがないロケットは物凄い騒音の塊だった。
世紀末救世主的な風景からガラス製の剥き身バナナは炎を噴き出しつつ青い空高くへと突き進んでいく。
★★★
「とんでるー」
「わー」
「きゃー」
「じーがかかるよー」
「つぶれるー」
「あんこでるー」
「ひらめになるー」
大騒ぎしながら床に貼りついたハートフリング達。
重G加速するロケットの中で大騒ぎする。
乱舞する赤色灯。
窓の外はどうなっているか誰にも解らない。
ただ飛んでいるのだと慣性を感じる本能が告げていた。
『Gキャンセラーを作動します。震動抑制。対放射線防護。ライフ・リサイクリングシステム始動。慣性飛行に移ります。自転開始』
しばらく飛ぶとマザーコンピュータの声。
ハートフリング全員にかかっていた高重力は消えた。
全ての赤色灯が止む。
「あんこでるかとおもった」
「しんかいぎょのきもちがわかったよ」
いまだ震動がおさまらない遺跡。だがロケットの轟音はすっかり静まりかえっている。
無重量状態にはなっていない。捻り状の自転の効果か。
壁だった部分に床の様に降り立つ。
窓を覆っていた金属ハッチが開く。
永久の夜の黒い空。
円い蒼穹。地球の青い地平が見える。
「うわー。すっかりそらたかくのぼっちゃった」
「ここはせいそーけんだ」
「やー・ちゃいか」
「わたしはかもめ」
「ちきゅうはあおかった」
「ちきゅうはたいらじゃなかったのか」
「おっくれてるー」
「ずかんでしるちしきだよ」
「ほしがきれいだね」
「ぼくにもみせてー」
ハートフリングは窓に張りついた。
遺跡は地区ごと地球から飛びだしていた。
どんどん青い星が遠ざかっていく。
「マザー」黒肌の少女は礼拝堂の宙に浮いている赤いドレープを着た女性像に話しかける。「いったいあたいたちはどうなったの」
『このまま太陽圏を脱出。恒星間飛行をしながら人類が居住可能な惑星を探査します。マザーコンピュータは生態系管理と完全なるアムネジア・プログラムの開発を兼務。人類は覚醒しますが彼らの世話はハートフリング、貴方達に任せます』
「せわをまかせるっていったってー」
まるで兎小屋の世話を任せると言っている様な無責任な言動。
少女は嘆きの叫びを挙げたがハートフリング達は「やたっ! なかまがふえるね!」と陽気に喜んでいる。
とっくの昔にデジタル・カウントはゼロになっていた。
このロケットのあちこちでは人類の睡眠カプセルが次次と解凍されてふらふらと中から立ち上がっている。
何人かは内部通路を通ってハートフリングと顔を合わせている。
自分に起こっている事をまだ確認出来ていないといった風の寝覚めの人類達は彼らと顔を合わせても驚きもしない。
重要情報を理解していないのだ。
「これがあむねじあ・ぷろぐらむ……」
少女は不完全ながらもマザーが言っていたプログラムが実行されているのだと感じた。
人類の覚醒はロケットが飛びだした事でこの地域だけにおさえられた。地球は無事なのだろう。
しかしここの人類はまるで赤ん坊の様だ。
ロケットで新天地を見つけて人類とハートフリングは移住し、繫栄しなさい。
そうマザーコンピュータは言っているのだと少女は理解した。
理解したが。
「じんるいのおやがわりだなんてそんなのできないよー」
『親代わり……?』赤い立体画像はこれからは作業に専念するといった風に消滅する。その最後の言葉。『神になりなさい。おこちゃま達』
「かみさま……」
キーボードの前で呆然としていた色黒少女は自分の両頬に張り手を食らわせた。小気味いい音が鳴る。
「かみさまになれといわれたらなるっきゃないね。あたいはもうほじょりんをはずしたんだ」
そんな彼女の背後に白髭を撫でながらMCハートフリングが立った。
「なやめなやめ。なやみつづけておおきくなって、そしていつかはてんまでとどけ。ああ、てんはもうこえたか。これからはじんるいのめんどうをみるのがはーとふりんぐのしめいじゃ。みなのしゅう、うめよふやせよ!」
「れっつ・うめよふやせよ!」
ハートフリング全員と人類が唱和する。
人類はハートフリングと同じ様に無邪気で素直そうだった。
これから彼らは色色と物事を教わっていくだろう。
主に絵本や図鑑からの知識だが遺跡内にはハートフリングが理解出来なかった書物やメディア類が散らかっている。
いつかは補助輪なしで立ち上がるのだ。
「それまではぼくたちがきたえるよ」
「いっとくけどとっくんはきびしいよ」
「ないてもしらないからね」
「びしばしいくよー」
「みんなー。ごはんよー」
「わーい」
新旧二種類の人類が食堂へと走り去ったのを見て、少女は溜息をつく。
ハートフリングは結局不完全なのだ。
人類は覚醒した。
ロケットは宇宙の果てをめざす様に飛んでいく。
いつかまた人類は知識を貪るだろうか。
現在進行形の人間達へ出来る事があるとすれば……。
少女はアムネジア・プログラムの完成を祈った。
食堂は今、大混雑だ。
産めよ。増やせよ。宇宙に満ちよ。
ハートフル+ING 田中ざくれろ @devodevo
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