第三話

「こいつはすげぇや」

 甘木少尉の声に、思わず翠は頷いてしまう。

 再び敵意を持つメタファが出現した。機数は八。直後に一機の新型のメタファが雲海の中から飛び出して瞬く間に旧型を一機残らず撃墜してしまったのだ。

 時間にして十秒と経っていないであろう短時間の出来事だった。信じられない思いでキャノピの向こう側で展開された光景を思い出す。

 戦闘機による格闘戦とはいえなかった、むしろ猛禽類が縄張り争いをしているように、爪、嘴で相手を傷つけようとする動きだったと、緑は思う。新型のメタファはこげ茶色をしていて、今はゲンチョウの三角形をした編隊の右百メートルほどを並飛行している。いかなゲンチョウと言えど、たとえ人間の生理的限界を無視したとしてもあの機動力には太刀打ちできないだろう。

「機長、CPより入電。回収地点への到達まであと十五分三十七秒」

「了解。全機、このまま飛び続けろ。奴を刺激するな」

 第二〇三飛行戦隊は当然のように<ミズカゼ>を隊長機として行動をしているが、翠には自分の判断が正しいのかどうか確信が持てないでいた。圧倒的な戦闘力を見せつけられ、どんな些細なことでも敵意として受け取られてはならないと細心の注意を払ってサイドスティックを握る。

 今のところ出現し敵対行動を取ったメタファは先ほどの八機のみだが、やってやれないことはないだろう、あの旧型だけならばと翠は考える。

 不安や焦燥とは別の緊張感を伴いながら操縦桿を、そっと握りなおす。まるで少しでも力を入れてしまえば、この小康状態が音を立てて崩れ去り、押しつぶされてしまうとでもいうように。超音速で飛行するゲンチョウのコックピットは静かだ。それは平穏とは別の気配を背後に感じさせる、不気味なものだった。空が大きすぎるのだ、とミズカゼなら言うだろう。

「機長」

 ミズカゼの声であらぬ方向へ走り始めた思考が止まる。なんだ、と翠は返事をする。

「再び、ラシルフより通信」

「繋げ」

「翠、こちらが見える?」

 MPDから目を離して、翠は並飛行している新型メタファを見た。鳥類のような形状をしているそれは僅かに首を傾けたように見え、言いようのない不安感が冷たい気配となって背中を伝う。

 通信をミュートし、機内有線通信で翠はミズカゼに命じる。

「ミズカゼ、奴から目を逸らすな。ロックオンはしないまま、おれがレリーズを押し込んだらいつでも撃てるようにしておけ」

了解コピー、機長」

 <ミズカゼ>の兵装システムが即座に攻撃準備完了を告げる。AAM-1、RDY。

「ラシルフ、さっきの戦闘は何なんだ。この惑星上に君以外の知性が存在するのか」

「そうよ」

 あっさり認めたものだ。これまでの意思探査任務の苦労が馬鹿らしくなってくる。

「君はこの大陸の名前を持つ。君はこの大陸を司る知性なのだろうと推測する。ということは、大陸の数だけ知性が存在するということか」

「ええ。三つの強い知性と、七つの弱い知性が存在する。先ほどわたしと戦っていたのはサラマンドと名乗っているモノ」

「我々をその闘争に巻き込み、そのサラマンドとやらに優位を保とうというのが君の魂胆か」

 少しの沈黙。

「ラシルフ?」

「そうだと言ったら?」

「我々の上官に判断を仰がなければならない。即答は無理だ」

「あなたの意思で答えることはできない、と?」

「そうだ」

「あなたは自由に飛んでいるのかと思ったら、何かに縛られたまま宙に浮いているようなものだったのね」

 痛いところを突きやがる、まさか心が読めるのか。と、翠は思わず笑みさえ浮かべてしまいながら、しかしこいつには読心能力はないだろう、もしあればこれまでメタファと互角に渡り合うことはできなかったはずだと思いなおす。こいつはただ事実を言っているだけだ、気にすることはない。

 ルーフェと長い時間を共にしてきた翠はただの感想に過ぎないラシルフの一言に動揺することなく、適切に感情を処理することができた。心なしかミズカゼが喉を鳴らす。

「皮肉を言える立場か。おれたちに支援を要請したいのならば、この回線と同じ電波通信で行えばいいだろう。それこそ、おれたちパイロットではなく人類を代表する機関ともコミュニケーションが取れるはずだ。お前にはおれ以外にもコミュニケーションを取る能力と手段がある。そうせずに真っ先に戦闘に巻き込もうとしたのは、なぜだ」

「戦闘状況において共闘すれば、相互理解の強力な足がかりになると考えた。あなた方人間の心理において、命の危機を共に乗り越えた経験は時に敵であっても友情を抱く」

「要するに対話をする気はなかったというわけだ。お前のやり口は気に食わない」

「では、どうするの?」

「おれたちは帰投する」

「今ここであなたの上官に連絡を取ってくれないかしら。この場で回答が欲しい」

 ルーフェでなくとも、翠は自分の腹の底から沸き起こる憤激を熱いほど感じ取った。

 こんな奴のために、ヒタキは。

「知ったことか」吐き捨てるように翠は言い放つ。「お前はヒタキを連れ去った。まずは彼女を返せ。同じ知性であるならば、己の肉体の上に上書きされる屈辱を理解できるだろう」

「彼女を操る必要はもうなくなった。ヒタキはいま別の場所にいるけれど、わたしたちが連帯することを望んでいる、とだけ言っておく」

「機長、あまり時間がありません。このままでは回収地点までラシルフを引き連れていくことになります。何かアクションを起こすのであれば今しかありません」

 MPDを見て自機の位置を確認すると、回収地点まで残り六分ほどの距離まで迫っていた。ミズカゼの言う通り、このままラシルフを伴って<サギリ>と合流するのはいかにもまずい。特に彼女は人類をサラマンドとの戦闘に巻き込むことしか考えておらず、翠ら第二〇三飛行戦隊と同盟を結ぶのであればそれが理想的な手段なのであろうが、人間的とは言えないそのやり方には慎重にならざるを得ない。

「こちらCP。<ミズカゼ>、聞こえるか」

 折よく神室応助少佐の相変わらず沈着な声が聞こえる。この上官の声に有難さを感じるとは、とやや自嘲気味になりながら翠は応答した。

「こちら<ミズカゼ>、感明よし」

「そちらの状況は概ね把握している。ラシルフに、<サギリ>への着艦を進めろ。まとめて回収し、<サギリ>艦内で対話を行う」

 こいつはまた思い切ったことを命令するものだ、と驚きながらも合理的な命令に納得する。

 神室少佐はあくまで意思探査任務マインドシーキングミッションの範疇として、ラシルフとの対話を望んでいるのだ。外交折衝を行う必要はない、得られる情報を得ればいいという考えなのだろう。<サギリ>艦内にメタファを招き入れることは大きなリスクを伴うが、ラシルフとてここで第二〇三飛行戦隊を攻撃し撃滅すれば、その後にサラマンドとの戦闘に人類の助力を請うことが絶望的な展望となることは承知しているはず。となればこの対話が成功する公算は高い。ラシルフが武力でこちらを従わせようとする懸念はあるが、共闘関係を構築することがラシルフの目的であるならば、対話の結果如何によらずそのまま<サギリ>を離れるだろう。

「了解した」

 それだけ返事をし、翠はラシルフへ<サギリ>に着艦するよう伝える。

 ラシルフは渋った。

「まず、この子では航宙艦に着艦できない。あと、あまり高度を上げてしまうとわたしが今のように意思疎通をするのは難しくなってしまう」

「では、やはり今のように通信を行うしかない」

「この空域に留まることはできないの?」

「危険すぎる。サラマンドのメタファがまたいつ現れるともわからないし、いくらお前が安全を保障しようとこの空は我々のものではない」

「翠、強力な電磁波通信を行えばサラマンドにも勘付かれてしまう。内容如何に関わらず、その時点で人類と完全な敵対行動を取る可能性が高い」

「ならば、次の出撃はラシルフ大陸上空で行う。その時、会いに来てくれ。こちらでも様々なことに回答できるように体制を整える」

「約束というわけ?」

「不足か?」

「何か保証が欲しい」

「どういう意味だ」

 激痛が走る。首を有刺鉄線で絞められているような感覚。

「何を……した」

「さようなら、翠。次に会う時を楽しみに」

 メタファが去っていく。呼吸ができないまま、翠はだんだんと薄れていく意識を取りとめようとグローブをはめた手で首に触れるが、どうにもならない。

 機長、少尉、とミズカゼが呼ぶ声が聞こえる。レーダー員席では今頃、翠のバイタルが乱れていることを示す警報が狂ったように鳴っているのだろう。初めて聞く彼女の声に笑みが零れる。

(心配するな、ミズカゼ。ここで死ぬわけないさ)

 意識が途切れる直前、暗い空を見上げる。

 キャノピの向こうに<サギリ>の矢じり型の船影が輝いて見えた。





 今回の意思探査任務について神室応助少佐に報告を行うと、彼はあらゆる情報を吸い上げようと一時間かけて第二〇三飛行戦隊の全員から聴取を行った。そのままレポートを作成し翌日のミーティングが〇八〇〇時より開始される旨が通達され、さらに任意での所感文作成を命じてから解散となった。

 艦橋の航空管制ブースで那須大智大佐も含み行っていた長いデブリーフィングが終わると、ミズカゼはシャワーも浴びずにパイロットスーツ姿のまま医務室へ走った。艦橋のあるフロアから二つ下の甲板まで下がるのにエレベーターを使うのもじれったく、脇の非常階段を数段飛ばして軽やかに駆け降りる。通路に出れば、再びエウーリアスの衛星軌道へ向け加速上昇を続けている<サギリ>艦内は未だ戦闘配置であるため人通りが少なかった。風のようにミズカゼは駆け抜けていく。

 息を切らせてハッチを開く。簡易的な受付カウンターやナースステーションが正面にあり、詰めていた第四分隊の衛生兵が端末から顔を上げ、次に腰を上げる。自覚はないが、ミズカゼの白い肌は青く見えるほどになっていた。

 何か用か、と問われる前にミズカゼは、要少尉、と言っている。

「彼はどこに」

 ナースステーションにいた衛生兵は男女一組で、卓を回り込んで取り乱した様子のミズカゼに歩み寄った。本能的に拘束される気配を感じ取り、ミズカゼは後ずさりする。

「ミズカゼ」立ち止まり、女性のほうが宥めるように手を挙げる。「落ち着いてちょうだい。要少尉の容態が知りたいのよね?」

「彼に会いたいだけ。どの部屋なの」

「今は精密検査と治療のためにICUに入ってる。今のところ生命の危険はないわ」

 嘘だ、とミズカゼは見抜いた。取り乱した状態では感情を読むことはできない。集中治療室に入っているのは命の危機があるからだと推測して、ばらばらになった感情が再びエントロピーの高い状態へ発散する。

 不安と焦燥、そして少しの不快感。緊張の中に入り混じった感情から嘘を見抜き、これではだめだ、とミズカゼは最奥の厳重に保護された扉を睨む。そこがICUだ。翠はそこで検査を受けている。

 もしかしたら本当に危険な状態になっているかもしれない。そう思うといてもたってもいられず、この二人を退けて駆け抜けることはできるだろうかと考える。

 一歩を踏み出す。他の病室からも衛生兵が何人か出てきて、緊迫した空気に身構えた。紺碧色の軍服に白い下地の赤十字を描いた腕章をしているのですぐにわかる。

 行くなら今しかない。さらに一歩を踏み出そうと足に力を込めた時、肩を誰かに掴まれた。

 手を払い除けながら振り返ると、ヴェラス・ユーエ少尉の端正で幼さの残る顔立ちがあった。

 ミズカゼは驚いて体を強張らせた。誰かが止めに来たのならばきっとアダナミか、もしくはユキシロだろうと考えていたのだ。同じルーフェである彼女たちはミズカゼの感情の機微をよく感じ取るし、仲間意識もある。人間を敵視しているわけではないが、それでも三人しかいないルーフェの間での仲間意識は強かった。姉妹と呼んでも差し支えないほどだ。そんな彼女たちであれば、ミズカゼの暴走は見過ごさないだろう。

 身体強度で人類とは一線を画するルーフェであるから、ミズカゼがその気になればユーエ少尉を弾き飛ばし振りほどくこともできるのだが、何人も見ている前でパイロットを負傷させてはいかにもまずい、と僅かな理性が囁きかける。その僅かな隙を突いて、彼は言った。

「ミズカゼ、要少尉の元へ行っても君にできることはない」

 言葉の意味がわからないでいるミズカゼは眉をひそめ、ユーエ少尉は静かに語を継いだ。

「君は専門的な医療訓練を受けてもいなければ、カウンセリングの心得もない。たとえ要少尉が万事万端、問題なく回復しているとしてもだ、君の能力は他で発揮されるべきで、総設計されている。まずはシャワーを浴びて、着替えて、体を休めろ。要少尉だってそう命じるはずだ」

「わたしにとって今もっとも優先すべきなのは、かなめみどりの傍にいることです!」

 強い意志のこもった声に自分でも驚く。しかしユーエ少尉はさもありなんと頷いただけだった。

「ぼくはルーフェではないが、君の気持ちは理解できる」

「いいえ、できません。人間には他人の心を読むことはできない」

「できるともさ」粘り強く、ユーエは諭し続ける。「ぼくはね、ミズカゼ。ユキシロの翼なんだ。思いあがっていいのなら、彼女はぼくを大切に想ってくれている。ゲンチョウを操縦する腕を買ってくれていて、彼女が空を飛ぶに足る存在だと認めてくれているんだ。だから一人の人間として彼女の期待を裏切りたくない。君と要少尉も、ベクトルこそ違うだろうけど同じような間柄だろう。ゲンチョウは二人でなければ飛べない。目の見えない鳥などいないように。要少尉が斃れたからといって君まで機能不全を起こすべきではない」

「それは……なおさら、わたしは彼の近くにいたい」

「君にもわかっているんだろ。要少尉は君に傍にいてほしいとは思わない。むしろ、任務の継続を命じるはずだ。自分のことなど気にするな、とかなんとか言うんじゃないかな」

 ——心配するな、ミズカゼ。

 <ミズカゼ>のレーダー員席で、パイロットの健康異常を報せる警報がけたたましく鳴り響く中、翠が意識を失う直前にそう言っていた気がする。もちろん呼吸ができなかったようだから、言葉ではなく、彼のそんな感情が伝わってきたのだ。それを思い出し、ミズカゼは頭から冷や水を浴びせられたような気がして、自分がどれほど冷静さを失っているのかを初めて自覚した。

 なぜ、と自問する。要翠という人間にこれほど深い執着を自分は抱いていたのか。

 ミズカゼの腕から力が抜けていくのを感じたユーエ少尉は、そっと手を離した。医務室の入り口にはユーエ少尉を追いかけてきたユキシロが、扉の縁に手をかけたまま立っていて、意味深長な視線を投げてくる。

「失礼しました、少尉。シャワーを浴びてきます」

 俯き加減でユーエ少尉の横を通り、ユキシロのほうへ歩いていく。彼女は少し迷っていたが、やがて通り過ぎるミズカゼの手首にそっと手を触れた。それでも、ミズカゼの波打つ感情の奥底に光るものを見出すには至らなかった。

 ミズカゼは何も言わずに医務室を後にした。

 無性に熱いシャワーが浴びたいが、それだけではこの心を洗い流せないだろうとわかっていた。





 ゲンチョウのパイロットである人間とルーフェの関係は対等のように扱われているが、指揮命令系統の観点ではルーフェに独自に行動する権限はない。機長の指揮下に入りその補佐を行うというのがルーフェに与えられた役割の全てだった。

 しかしミズカゼの異変を目の当たりにしたユキシロは、そろそろそうした取り繕った関係のままでは様々な摩擦を生むのではなかろうかと考えた。まずアダナミに相談した。ルーフェの問題はルーフェにしか解決できない、というより、まずミズカゼが何を感じ、どう考えているのかを整理したかった。

「実際問題、どんな感じ?」

「長閑な森の中で風を感じている、それがミズカゼらしさだったけど、あの時は荒れ狂う海のようだった。痛いほどだったわ」

 アダナミはただ頷いただけだった。抽象的な概念でも言葉にすればニュアンスとして多くの情報を共有できる。それだけの豊かな感性と鋭い機微がルーフェには備わっているのだ。

 ユキシロはアダナミを伴い神室応助少佐の元へ出頭し、ミズカゼの問題について報告することにした。デブリーフィング後もまだ艦橋の航空管制ブースに詰めていた神室少佐は第二〇三飛行戦隊からあがった今回の意思探査任務について、<サギリ>のデータベースに記録された航海日誌まで参照しつつ分析を進めているところだった。

 パイロットたち以上に忙しくしていた神室少佐に頭痛の種を持っていくことになるのではないか、とアダナミとユキシロは心配していたが、当の本人はディスプレイテーブルから顔を上げると意外にも笑顔を見せた。

「珍しい取り合わせだな。ミズカゼの件か?」

 お互いに顔を見合わせて、アダナミが唇をすぼめて軽く顎をしゃくるので、ユキシロが不承不承に頷く。

「医務室より報告がありましたか?」

 神室少佐はディスプレイテーブルの隅に置かれている保温ポットを手に取り、一口飲んだ。においからしてコーヒーだろうとユキシロは見当をつけたが、いま思えば彼女の関わってきた人間はことごとく同じにおいをまとっていた気がする。全員がそろいもそろってコーヒーが好きとは人間は不思議な種族だ。

「いいや。だがだいたい想像はつく。結論からいえばミズカゼがどれだけ動揺した様子を見せようとも問題はないとわたしは考えている」

「わたしたちには、彼女の様子からして何も問題ないとは到底思えません、少佐。どう解釈したってミズカゼは取り乱していますし、実際、そうです」

「それはそうだろう。何しろ、彼女はいま新しい概念と向き合っているんだ」

「概念、ですか」

「そう。まあ、口にしても詮無きことだが、そういうことだ。気にするなというのも無理があろうから、気を付けてミズカゼを見ておいてほしいとでも言っておくか。ルーフェ同士であればこそ気付けることもあるだろうし、彼女の今の状態を理解することは、君たちがルーフェという存在として成長するのに非常に有用だろう」

「少佐、もし気に障るのであれば謝罪しますが」

「うん?」

「あなたの仰りようからして、ミズカゼが何を感じているのかを把握していると推測しますが、どうしてそこまで確信を持っておられるのか理解できません」

「要するに、大丈夫でなかった場合はどうするのか、ということか」

「わたしもユキシロと同意見です」黙っていたアダナミが割って入る。「少佐、ミズカゼの心はここにいてもわかるほど、乱れていました。要少尉があんなことになり、ミズカゼも再起不能となれば我が飛行戦隊は戦力を減じます。ラシルフの言葉からして、サラマンド以外にも人類に敵対的なエウーリアスの勢力が存在するはずですし、それらが連合するような局面ともなれば一機でも大きな損失です」

 しばらく、神室少佐は腕を組んで考えていた。返答に窮しているというよりも、既に回答はあるのだが、どこまで話すか、どう伝えるかと言葉を選んでいる様子だった。だから、ユキシロとアダナミは待つしかない。

 やがて神室少佐は腕をほどき、顎を撫でた。

「先ほど、わたしは新しい概念と言った。だがそれは語弊がある。君たちルーフェはすべて人為的につなぎ合わせた遺伝子で製造されたのではない。遺伝的にある人間の女性をベースとして改良した人造人間なのだ。エウーリアスにおける意思探査任務において超能力サイキックを発揮できるように手が加えられたが、ほとんど人間といっていい。そうした意味では、君たちは人間なのだ」

 ユキシロとアダナミは驚いて顔を見合わせた。<サギリ>艦内では、誰も三人を人造人間などと呼ばなかったし、人間以下の扱いをされることもなくルーフェの製造方法について言及されることもなかった。お前たちはルーフェなのだから、と強制されることもなく、その能力を求められて人間と共に仕事をしてきた。

 二人が受けている衝撃には構わず、神室少佐はさらに話を進める。

「人間とは比べ物にならない身体能力は戦闘機の高負荷環境に耐えられるようにという意図と、もうひとつの理由がある。それは君たちの明敏な神経の受け皿が必要だったからだ。その身体でなければ、君たちは体の上に拘束服を着せられているような不自由な感覚から逃れられなかったろう。しかし、それでも人間と同じものがある。なんだかわかるか、アダナミ?」

 突然に水を向けられたが、アダナミは頷いて、答える。

「心です。わたしたちの心は、人間と基礎設計が同じなんだと思います」

「その通りだ。ルーフェとしての存在、人間と比して短い人生経験、閉鎖空間での生活。そうした背景から形成される意識は人間とは異なる世界観を構成する。しかし心、それが感じ取る感情については人間と同じだ。そうでなければならないのだ。知識として与えられた感情には、しかしまだ知らないものもあって、ミズカゼは正にそうしたものと相対している。だから今は戸惑っていても、いずれは落ち着くだろう、というのがわたしの言いたかったことだ」

 今度はアダナミが腕を組んでうなる。

「ちょっと難しいですけど。わたしたちは人間と同じ感情を有しているけど、まだ自覚できていないものがある、そういうことですか?」

「そういうことだ。そしてわたしが見る限り、君たち二人もまだその感情に気付いてはいない。だから、気にかけてやってくれ、と言ったのだ、ミズカゼを」

 他に話はあるか、と遠まわしに退出を命じられ、二人は敬礼し、艦橋を出ていく。

 厳重な防護措置の取られたハッチを潜り通路へ出たところで、アダナミがため息をつく。

「なんだかわたしたち、宿題を出されちゃったわね」

 宿題などという軽々なものではない、とユキシロは頷き返しながら臍を嚙んだ。

 神室少佐が示唆したのはルーフェにとって極めて重要なフレーム問題だ。

 人間を基準に製造された人造人間であるがゆえに、人間というくびきから逃れられない業がある。そしてその全てしない限り、ルーフェは自身が持つ最大性能を発揮できないということだ。

 わたしはどうだろう、と自問する。わたしは、わたしの中に新しい感情を見つけた時、ミズカゼほどいられるだろうか。

「人間って厄介だわ」

 まったくだ、とユキシロは首肯し、二人は連れ立ってシャワールームへ向かった。

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落翼のエウーリアス 夏木裕佑 @Alty_A_Ralph

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