トウヒヒコウ
湖城マコト
頭皮飛行
「
繁華街近くの公園にバイクを停め、非行少年の
今日は平日で本来なら高校で授業を受けている時間帯だが、計磨は私服の派手なアロハシャツ姿で堂々と遊び歩いていた。学校をサボるなどまだ可愛い方で、喫煙に暴力沙汰、無免許運転などやりたい放題の問題児だ。
「ジュース買ってましたよ」
「遅いぞ征己。ジュース如きにどんだけ時間かかってんただよ」
「すんません。思ったより自販機が遠くて」
「のろまが。置いてこうかと思ったぜ」
征己が缶ジュースを抱えて戻ってくると、計磨は感謝の言葉もなく荒々しく征己からジュースを奪い取った。自分のバイクを持たず、いつも計磨にタンデムさせてもらっている征己は計磨からパシリのような扱いを受けている。それでも征己には計磨にどこか惹かれるものがあるらしく、不満は抱かず今の関係に満足していた。
「計磨さん。あれなんすかね?」
缶ジュースのプルタブを開けながら、征己が繁華街の方角を指差した。計磨が目を凝らすと、空中を長い糸の束のようなものが大量に浮遊していた。
「何だあれ。髪の毛か?」
遠目だが、大量に浮遊するそれは頭髪のように見えた。ロングヘアにショートヘア、黒髪にブリーチ、メッシュの入ったものまでバリエーション豊富だ。
「
想像を働かせながら、計磨は中身を飲み干した缶を構わずその辺にポイ捨てした。
「けど何でそんなことを?」
「映画の撮影か、誰かがバズらせようとオモシロ動画でも撮ってるんじゃねえの?」
あまりにもシュールな光景だが、ドローンを使った何らかの撮影と考えれば、一応は絵面の説明がつく。
「征己。面白そうだから行ってみようぜ」
「いいっすね。もし撮影だったらエキストラで映りこめないかな」
この後の予定は決めていなかったので、退屈していた二人にとって、大量の頭髪が浮遊する奇妙な状況は良い暇潰しになりそうだった。現場に行って真相を確かめなくてはいけない。
「おい、征己。ださいからヘルメット被るのは止めろって言っただろうが」
計磨がバイクに跨りエンジンを吹かし、征己は後ろのタンデムシートに騎乗する。計磨は違反行為なのもお構いなしに普段からノーヘルでバイクを乗り回しているが、タンデムする征己はしっかりとヘルメットを頭に被っていた。
「けど、何かあったら危ないし」
「その弱腰がださいってんだよ。まったく」
呆れ顔で溜息をつくと、計磨は繁華街の方へとバイクを走らせた。
※※※
「大分近いな。気持ち悪」
繁華街が近づいてくるにつれて、その上空を浮遊する頭髪もはっきりと目視出来るようになってきた。遠目にはシュールに見えた光景も、距離が近づくと不気味さの方が勝ってくる。
「計磨さん。何だか騒がしくないっすか?」
「確かに悲鳴みたいのが聞こえるような。やっぱり何かの撮影みたいだな」
バイクのエンジン音ではっきりとは聞こえないが、繁華街の方向が何やら騒がしい。通行人が何かから逃げるシーンでも撮影しているのかもしれない。
「計磨さん! バイクを停めて! 何だか様子がおかしいっすよ」
「あっ? 何だってたんだよ」
繁華街の入口近くまで来たところで征己が突然声を荒げ、計磨が舌打ち交じりにバイクを一度停車させた。ムカついたので征己を一発殴ってやろうかと思ったが、彼が指差す方向を見たら、一瞬でそんな気も失せた。
「……ドローンじゃない。それにどうして血が滴って」
計磨は我が目を疑った。詳細を目視出来る距離まで接近したそれは、ドローンに乗った鬘なんかじゃない。あれは本物の人間の髪の毛だ。しかもその根元からは真新しい血液が滴り落ちていた。何故なら。
「髪の毛だけじゃない……剥がれた頭皮が浮遊してる……」
髪の毛は単体ではなく、それが生える頭皮ごと空中を浮遊していた。頭皮は不格好に下の方の皮が千切れ、そこから鮮血が流れているのだ。
「ぎゃあああああああ!」
「痛っ! いやああああああ――」
バイクを停めたことで、悲鳴もより鮮明に聞こえるようになった。否、これは悲鳴ではなくもはや断末魔だ。
「……計磨さん。これってきっと撮影っすよね?」
引き
「……計磨さん。大勢がこっちに向かって走ってきますよ」
繁華街の方向から、計磨と征己がバイクを停めた通りへと、大勢の人影が走って来るのが見えた。全員が鬼気迫った表情で、全力疾走でこちらへと向かってくる。
「早く逃げろ! 頭を持ってかれ――」
最後列を走っていたサラリーマン風の男性の頭皮が、唐突に爆ぜる様に剥がれて、髪の毛と頭皮が空高く浮遊していった。男性は頭皮が剥がれた際の激痛でショック死しており、目を見開いたまま、頭皮が千切れて真っ赤に染まった、無残な頭頂部を露わに倒れ込んだ。
「嫌! 嫌! いあっ――」
同じく最後列を制服姿で全力疾走するカフェ定員の女性の頭皮が爆ぜるように剥がれ、ポニーテールの髪形ごと空高く浮遊していく。爆ぜる勢いが強すぎたようで、女性の頭皮は眼窩付近まで持っていかれ、顔面の上半分の筋肉繊維が露出した状態で息絶えていた。
その後も、繁華街の方角から走って来る人々は、次々と頭皮が剥がれ飛ぶ凄惨な最期を迎え、死体となって倒れていく。後続があらかた死亡すると、次に中団の人々の頭皮が剥がれて死んでいく。
「計磨さん、何が起きてるんすか」
「知るかよ。何だか分からねえがヤバイのは間違いない」
状況に理解が追いつかないが、人間を死に至らしめる何らかの現象が計磨たちにも差し迫っていることだけは紛れもない事実だった。繁華街から逃れようと走る人々もどんどん死んでいく。即ち現象の範囲は徐々に広がっているということだ。
「あの現象に追いつかれたら死ぬ。早くこの場を離れないと!」
ついに逃げる先頭集団にも被害が及び始めた。早くこの場所を離れなければ計磨たちも危険だ。
「お前は降りろ!」
「がっ!」
バイクを反転させた計磨は、あろうことかタンデムシートに座る征己の
「……計磨さん、何を」
「タンデムしてると速度が落ちるだろうが。お前のせいで俺まで死んだらどうする」
「そんな……」
道路に倒れた征己は絶望していた。確かに計磨との関係は対等とはとても言えないが、それでもずっと一緒につるんで来た仲間だ。命を見捨てるような真似は絶対にしないと思っていた。それなのに。
「あばよ! のろまの征己」
悪びれる様子もなく、計磨はその場に征己を置き去りにして、一人でバイクで走り去ってしまった。
「ふざけるな! 計磨――」
征己の恨み節は、繁華街から逃げて来た人々の足音と断末魔の絶叫に掻き消されていった。
※※※
「飛行する頭皮の数がどんどん増えていく。もっと距離を取らないと」
繁華街を離れた計磨は逃避を続ける。バイクを走らせながら後方を確認すると、すでに繁華街の外にも頭皮の飛行は及んでいた。飛行する頭皮の位置はそのまま、現象が及ぶ範囲を示している。発端となった繁華街から飛行する頭皮の数が円形に拡大していく様は、まるでこの世の終わりだ。
「
おびただしい数の烏の鳴き声が聞こえたかと思うと、徐々に鳴き声が少なくなっていく。頭皮が剥がれ飛ぶのは人間以外の生き物も例外ではないようで、烏の群れは頭部から出血しながら次々と墜落していく。空を飛ぶ烏さえも巻き込む程に、現象の拡大速度は速い。
「どけどけ!」
現象がまだ広範囲に及んでいないため、交通網にはまだそれほど混乱が広がっておらず、ほとんどの車が法定速度で道を進んでいる。このままでは現象に追いつかれるかもしれないと焦り、計磨は車と車の間を縫って猛スピードでバイクを走らせていく。
その甲斐あって、現象から一定の距離を取ることには成功するが。
「前のバイク、停まりなさい!」
ヘルメットを被らずに猛スピードで走行する計磨のバイクを、居合わせた白バイが追跡し始めた。現象の及んでいない地域までやってきたからこそ、計磨のそれは逃避ではなく単なる暴走行為だ。
「馬鹿野郎! それどころじゃないんだよ!」
いつ現象が追いついてくるか分からない。停まっている暇も、ましてや律儀に事情を説明している暇もない。計磨は何とか白バイを振り切ろうと、さらに一段階加速したが。
「しまっ――」
加速し過ぎたために操作を誤り、計磨のバイクは大きくバランスを崩す。そのままガードレールの方向へと突っ込み、計磨の体は頭からガードレールへと接触した。
「これは酷いな……」
白バイ隊員がバイクから降り、慌ててガードレールと接触した計磨の元へと駆け寄ったが、一目見て生存は絶望的だと分かった。ヘルメット無しで頭部からガードレールと接触した計磨の死体は頭頂部を大きく損傷し、髪の毛ごと頭皮をごっそり持っていかれていた。
「至急至急、応援を要請。バイクによる単独事故により――」
無線で応援を要請しようとした白バイ隊員の後方から突然、ノーブレーキでオープンカーが突っ込んできた。跳ねられ即死した白バイ隊員の遺体が宙を舞う。オープンカーの運転手は頭皮が剥がれてすでに絶命していた。走行中に現象に飲み込まれ、車が暴走したのだ。繁華街から始まった現象は、さらに範囲を拡大しようとしていた。
※※※
惨劇から一週間が経過した。
昼下がりの繁華街で何の前触れもなく始まった、人間の頭皮が突然剥がれて飛行を始める怪現象。現象が報じられると社会は一時大混乱に包み込まれたが、現象発生から一時間後、現象の範囲は繁華街の周囲十キロで拡大が止まり、その三十分後には現象そのもの消失も確認された。
この現象がどういったメカニズムで発生したものなのか、現状では詳細は不明だが、現象発生時に未知のエネルギーが観測されており、衛星軌道上に未確認飛行物体の機影が確認されたとの情報もある。頭皮や頭蓋骨ごと脳を失った遺体も多数確認されており、人間の体の一部をサンプルとして求めた地球外生命体による大規模な収集活動だったのではないかという見方が強まっている。
確認されているだけで数万人に及ぶ死者を出した凄惨な出来事ではあったが、現象の範囲内にいながらも、大勢の人々が生還を果たしたという事実も存在する。
屋内や、車や電車の車内といった、屋根のある場所にいた人々は全員無事に生存を果たしている。鉄道に関しては直後は外での異変を知らず走行を続けていた程だ。
この事から、地球外生命体が用いた未知のエネルギーは、屋根などの
それを裏付けるように、屋外にいた人々の中にも生還を果たした者が多数確認されている。彼らの生死を分けたのは、遮蔽物となる日傘や帽子を身に着けていたか否かである。
「連れが俺を置いてバイクで逃げ去った時はもう終わったと思ったすよ。けど、どういうわけか周りの人の頭皮が剥がれても俺だけは大丈夫で。後で聞いたんですけど、ヘルメットを被ってたから助かったらしいっすね。違う意味だってのはもちろん分かっていますけど、やっぱりヘルメットは大事っすね。ノーヘルは駄目です絶対」
現象の中心近くにいながらも奇跡的に生還を果たした征己は、後にそう語っている。
了
トウヒヒコウ 湖城マコト @makoto3
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