しき
此糸桜樺
夢見草
山梨県
「わあ、きれい! 大きいね!」
「おーすごいなー。樹齢2000年だってさ」
さすがに幹が太い。ゴツゴツとしたこぶは、桜の歴史の壮大さを物語っているようだった。
「ねえ、写真撮ろうよ!」
「そうだな。撮ろうか」
僕はカメラを取り出す。すると、南は意外そうに首を傾げた。
「スマホじゃないのね」
「うん。せっかくなら綺麗に撮りたいだろ?」
「写真家にでもなるの? そんな本気にならなくても」
「いいんだよ。ほら、撮ってやるからそこ立って」
「はーい」
そのとき、花びらが、ひらり、と彼女の肩に落ちた。南はゆっくりとそれを手に取る。そして僕に差し出して、にっと笑った。
「小さくて可愛いね!」
萌黄色のワンピースが風にそよぐ。
「なあ、
僕は少し声を張り上げた。南は「うん?」と首を傾げる。
「ずっと、一緒にいような!」
「ふふふ、もっちろん! 死ぬまで一緒だよ!!」
南は満面の笑みでピースサインをした。
カシャリ。僕はカメラのシャッターを切った。
◇
燃える夏。暗闇に咲く大輪の華。マツバギクが咲き、牡丹が散る。ハゼランが咲き、イワハナビが散る。パーンという音とともに次々と華が打ち上がり、最後は音もなく消えてゆく。
秋田県全国競技花火大会。通称、「大曲の花火」。日本三大花火としても名高い権威ある大会だ。
やはり夏の風物詩といったら特大サイズの花火に限る。
「迫力すごい」
感嘆したような、感服したような、気持ちのこもった声だった。鮮やかな光の色彩が、南の顔を染めていく。
「今のうちに目に焼き付けておかなきゃね!」
「別に、また来ればいいだろ」
僕は少し苦笑した。
「だってこんなにすごい花火初めてなんだもの」
「今度は、もっとすごいところへ連れて行ってやるからさ。だから、大丈夫だよ」
南は、ふふ、と微笑むと、黙って夜空に目を戻した。
「行けたら、ね!」
僕は、光の色彩に染まった南の横顔を、パシャリとカメラに写す。
「何撮ってるのよー? 撮るのは花火でしょ!」
「ああ、そうだったな」
南には分かるのかもしれない。
これで夏の旅行は最後になるだろう、と。
◇
橙、紅、黄。小さな窓から見える黄金の山々は、太陽に照らされてキラキラと輝いている。油絵のようにくっきりとした色彩は、金箔の錦をまとったように、ひどく美しかった。
名所でもなんでもない、ただの近所の山だが、こうしてじっくり見ると風情があるものだ。
「素敵な景色! に〜しき〜おりぃな〜す〜」
「本当だな」
南は何度も、うんうん、と相槌を打つ。白い毛布をかぶりながら、機嫌良さげに鼻歌を歌った。
「あーあ、紅葉狩り行きたかったなあ。私の生きがいは旅行だけなのにショック!」
「来年行こうよ。紅葉の綺麗な所にさ」
「えー、紅葉の名所? どこだろう?」
南は、うーん、と考え込んだ。「吉野とか?」と呟く。
「それは桜だろ。吉野の桜」
「あ、そうか!」
南は、ポンと手を打ち、恥ずかしそうに笑った。
「京都の嵐山とかどうだ? 嵐山の天龍寺とか、よく綺麗って言われるよなあ」
「天龍寺、いいわねえ! えーとね……ここでしょ?」
南はベッドの裏から旅行雑誌を取り出すと、『天龍寺』と書かれたページを指さした。僕は、ゆっくりとうなづく。
「ねえねえ、写真撮ってよ」
「え、何を?」
「私と紅葉に決まってるじゃん!」
「あ、ああ」
南はベッドからおりると窓際に立ち、にこりと笑った。
僕はパシャリとシャッターを切った。
「ここの紅葉と天龍寺の紅葉。どっちが綺麗かな。もし行ったら比べてみてね!」
南は満足そうに笑った。
違う。違うんだ。僕は、君と一緒に見たいんだ。
◇
静かな冬。柔らかな綿あめがしんしんと降り積もる。素手で触ると、すぐにしゅっと消えてしまう。南に見せるために、僕は手袋をして、小さな宝石の結晶をたくさん捕まえた。
細かな白粉が降りかかった山は、洋菓子に使われる粉砂糖のようだった。しかし、死化粧のように白くて怖い。
「ほら、ちゃんと結晶だよ」
南は、コクコクと小さくうなづいた。目がキラキラと輝いている。言葉を発していないのに、「うわあ! 結晶だ!」という声が聞こえてくるようだった。
「……南はさ、何の季節が好き?」
僕がボソリと呟くと、南は「春」と小さな声で言った。
「どうして?」
南は穏やかに笑う。
「あなたと、ずっと、一緒にいたい、から」
「春じゃなくても一緒にいようよ。ずっとずっと一緒にいよう……!!」
僕は南の手を取る。
南の手は温かかった。それなのに、弱々しかった。
「冬の名所はどこかな。やっぱり北海道? 函館とかいいよね。雪まつりとかグルメとかさ。それとも暖かい地域にでも行って……」
「ええ」
僕の声を遮るかのように、南は静かに目を閉じた。
「南……」
「山高神代桜、もう一度、行きたかった……な」
◆◆◆◆
春は桜。夏は花火。秋は紅葉。冬は雪。
南の笑顔は、いつもここにあった。
あの頃に、戻りたいと思うときもある。
南ともっと話がしたかった。もっともっと遠くへ行きたかった。たくさん旅行して、喋って、笑って……。でも、時間は、いくら願っても戻らない。
花が咲く。一面見渡す限り、真っ白な桃色。純白に満ちた
ぶわりと風がたつ。ざああっと絢爛に散る。――薄桜の友禅着物が、風に煽られ飛び立つように。袖をいっぱいに広げ、
薄い
日に照らされて白くなっては、影に入って暗くなる。濃い
来年も色んな所へ行こうねって。いつまでも一緒にいようねって。辛い治療を終えて病気が治ったら、二人でたくさん旅行しようねって。……そう約束したのに。
それなのに。酷いよ、南。あまりにも早すぎるよ……。
南が好きだと言った春は、今では僕の一番好きな季節になっている。この桜の木の下で、「ずっと一緒にいよう」って言ったっけ。
──僕は、南を幸せにできたのだろうか?
今年の僕の目標は、南との約束を守ること。
嵐山の紅葉を見に行くのだ。病院の窓から見えた紅葉と、嵐山にある天龍寺の紅葉と――どちらが美しいのか確かめに行く。そして、遺影の南に報告する。
あれはおそらく、僕が南の後追いをしないための予防線だったのでは、と思う。南がああ言えば、僕は少なくとも秋までは生きることができるだろう、と。
僕の考えすぎかもしれない。でも南はいつもそういう所があった。……温かくて、優しくて。
「僕は大丈夫だよ。心配しないで」
僕の
しき 此糸桜樺 @Kabazakura
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