観測者とは何だったか

伊月さんの文章の何より素晴らしいのは、その強制力にあるようだ。
私はしばしば、その内に囚われて動けなくなる。
強制力とは何かと言えば、それは物語へ引きずり込む引力であり、はたまた終わり去った物語に留めさせる余韻の重力である。
ようは言葉の圧が強いとも言い換えられるのだが、今作は特にそういった印象が大きいように思われた。

なんともおかしな話だった。
観測者は常日頃から彼とともにあり、彼はそれを心の頼りにし、なにか崇高な目的意識を持って日々を送るための杖にしていた。
彼は誰かに見つけられ、その作り上げた「素晴らしい自分」を認められることを願った。そうすれば、ガラクタのような人生は光を取り戻し、迷わず生きて行けるような強力な指針が得られることを信じた。
しかしそれは自身を客観視し、遠目に眺める、あるいは見下すのと同じであった。限りなく人間的ながら、ほんの少し歪み方を間違えたような人間というべきか。
私もかつて同じように思ったことがある。誰かがこの姿を、見てはいないだろうか。今の私は大変素晴らしいことをしているぞ!しかしそんなことはなかった。
だが彼はそんなことを堂々とやってみせたのだ。
だからこそ、彼の言動は極めて狂気的であり、その姿に苦しみを覚えたのである。
彼はおかしなやつなのだ。
荒唐無稽というやつである。

一通り見ているうちに、私は自分の過去を棚に上げながら、そんな主人公を笑ってやろうと思い、大口を開けた。
しかしその時はじめて、違和感に気がついたのだ。
ふと、足元を見た。
私はどこに立っている?
ここは、彼の頭の中ではあるまいか?

不思議なことである。
この物語が終わるとき、我々読者は伊月さんの巧みな筆によって彼の隣に立たされていた。
そしていつしか、我々もまた観測者に成っていた。
彼を研究し、その言葉の一つひとつに耳を傾けていたのだ。
しかし私達は彼より少しズレたレイヤーの上に立つ者であるから、手出しは出来ず、逆回路を応用して神になることもない。
さて、どうしたものか。
彼をどうしたものか。
この物語の行く末をどうしたものか。
そうやって不適に笑ってみせる。
だがそこで幕は降りる。
高まる鼓動を抱え、血眼になり、息を切らせる我々の目に映るのは、暗闇のみである。
やられた、と思ったときにはもう遅いのだ。
私はいつの間にか蚊帳の外であった。
どうすればいいのか。
私は頭を抱えて祈った。
見返りを捧げろと言うなら何でも出す。
彼に向かって「解けるはずがない」などと嗤うことはしないと誓う。
あんまりじゃないか。
こんなつもりではなかった……

こうしてまた強制力にやられ、一人で静かに打ちひしがれる。
カンソクシャなんて、何者でもないのか。
私は呼吸を落ち着けてブラウザバックした。

私は伊月さんの散文作品に心酔している身であるが、物語もまた良いものである。
今回も私はいつの間にか物語的深淵に棒立ちして、しばらく抜け出せなかった。
毎回こんな調子では私生活が瓦解しそうで恐ろしいが、この時間が私の数少ない楽しみであるので辞めることは出来ないのである。

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当初はネタバレせずにこれを書き切り、誰かへ贈るオススメとするつもりだったのですが、結局中身に触れて書きすぎてしまい、このようなレビューになってしまいました。
しかし、もし読まれる前にこれを見たという稀有な方がいらっしゃれば、溜息が出るほどに素晴らしい作品なので、どうか素直にオススメされて下さい。
つまるところ、大変素晴らしかったです。
どうも有難うございました。

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