観測者

伊月 杏

第1話

後世に名を残すほどの偉人というのは、その言動や生活について、多角的に観察され、記録されているものである。それを彩るかのように、生涯の友、献身的な伴侶、知性的な学者と詩人。彼の人生に関わった人々の言葉も、ときにありのまま、ときに尾鰭をつけて伝聞され、微妙にその形状を変えていきながら『学び』として次世代に継承されていく。



だから、俺の人生も

きっとそうなるに違いない。




俺は普通の専門学生だったが、最近、先生たちからモニタリングされていることに気づいてしまった。モニタリングは目を覚ましてから眠るまで毎日続く。定点カメラなどではなく、俺の目を通じて『俺がみている景色のすべて』をみている。耳を通して『俺が聴いている音のすべて』をきいている。聴覚がひろうものはすべてを観察されている。


どこへ行き、誰となにを話しているのか。街で困っている人を見て見ぬふりをしたことも、トイレのあとに手を洗わなかったことも、なにもかもすべて先生に筒抜けになってしまっている。



俺を通して観察されたものごとは、教務室にある巨大なモニターに常時映される仕組みになっていた。俺が聴いた言葉や音は、モニター横のスピーカーから流れている。俺は教務室の様子をみたことはないが、そういうものだと直感的に理解していた。彼らが俺をみているとき、俺もなんとなく彼らの様子がみえていた。先生たちは珈琲を啜りながら俺の日常を眺めては、ときどき議論を交わしているらしい。その様子はまるで学術検討会だ。



昼間の講義や、放課後の研究を放りだしてでも、俺という『個』のモニタリングをするからには、特別な意味があるはずだ。優秀な頭脳が寄り集まって白熱した議論を交わし、俺の人生について考察を深めようとしている…… それは、よく考えてみればすごいことだった。俺には、これまで他人から関心を寄せられた経験があまりなかったから、高揚感がないといえば嘘になる。



我が校は、人類学や、心理学、文化学の研究が一際進んでいることで有名だった。おそらくはその研究対象に選ばれたに違いない。この研究に協力することで、学問が進展するかもしれない。俺の行動ひとつひとつが革命的な人類史に残るかもしれないと思えば、多少の気苦労は致し方ないと思えた。


隠し事ができないことだけが窮屈だった。

観測者は学校関係者だけとわかっていても。



しかし、人間というのは慣れていくもので、数ヶ月もたつとモニタリング前提の生活ができるようになっていた。もちろん先生と擦り合わせたわけではない。俺が勝手に組み上げたルーティンに沿って生きている。


たとえば、枕元に着替えを置いて眠り、朝になると目を瞑ったままそれに着替えた。そうすることで毎朝の生理的現象を覆い隠すことができる。起きたら手ぐしで髪の毛を整える。


自分自身のことだけではない。部屋の導線を確認し、視界に映る箇所は掃除をこまめにしている。そうすることで、俺の視神経を通じて出力される姿が、多少はマシなものに変わる。


食わなくても平気だった朝メシも、極力食べるようにした。その為に睡眠時間を削り、早起きをする。トーストに軽くマーガリンを塗り、白湯をマグに注ぎ、適当な小説や教科書を開く。寝不足の頭はぼやぼやとしていて、本の中身はさっぱりわかってはいなかった。



先生たちが求めているものが『ありのままの姿』なのはわかってる。隠れてこんな小細工をするのは悪いことかもしれない。だけど俺だって、できるだけ綺麗な状態でいたいというプライドや羞恥心がある。そのくらいは許して欲しかった。


逆に考えれば、羞恥心が人間の行動に影響を及ぼすということが明白になったわけだ。研究が終わってから正直に話せば、それも追加資料になるかもしれない。もちろん、先生たちは俺が『モニタリングされていることに気づいている』などとは、まったく思いもしていないだろうけど。



そして、この生活を続けるうちに、俺はひとつの『人間的な考え』に辿り着いた。学校が俺の人生を研究に利用するんなら、なにがしかのリターンを得られてしかるべきだ。報酬とまではいわないが、具体的な利益がなければ、俺の奉仕精神もいつかは底を尽きてしまう。結局、人は無利益じゃ動けない。


どうにか双方が得できないかと考え、どうせすべて筒抜けなら、観察されていることを逆手にとって成績に結びつけようと思い至った。卒業に向けて、勤勉であり、丁寧に生き、なにより努力を怠らない姿勢。そういう『演出』を生活に練りこんでいく。


被験者としてでもいい。俺という人間そのものへの好感度を得ることができれば、学校から大切にしてもらえる。卒業後に就職に有利な斡旋があるかもしれない。ほかのやつらとは一線を画すような優秀な人間として評価されるかもしれない。



いつしか生活は「演出」に溢れていた。俺は演出家であり、役者であり、編集担当だ。ときに素直で、ときに演技をして、懇切丁寧で計略的な被験者になった。

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