第2話
学校までの道中は、アピールの場としては最高だった。本来、指導の目が届かない場所でも勤勉な様子をみせていれば、評価が高まる。たっぷりとマーカーをひいた教科書を何度もぱらぱらめくった。
町中の人々の様子にいつも気を配り、迷い人には道案内をしたし、目の前に老人がいれば席を譲った。体調の悪そうな人がいれば、次の駅で一緒に降りて駅長室まで連れて行く。そのせいで遅刻することも幾度もあり、取り逃がした単位が少しずつ増えていった。何度も怒られ、再試験を受け、どうにか形式上は学生らしく進んでいった。
俺は気にしなかった。先生もご苦労なことだ。怒るフリというのは心理的負担が大きいのでしょう?遅刻した理由とその一部始終は、モニターで先生たちはみているのだから、叙情酌量の余地があるはずだ。たかが単位。処理上はチェックボックスと数字だ。本当ならこれくらい、なんてことないはずなのだ。それでも体裁というものが向こうにもあるのだろう。俺は兎角、『理解ある生徒』だった。
それに、これだけ途方もない時間と量を扱うのだとしたら、少なくともうちには対比検証者がいないのだろう。被験者のデータを2人分も捌くリソースはこの学校にはない。
先生はモニタリングしていることをなにひとつ匂わせなかった。反対に俺がチラチラと先生をみていると授業に集中しなさいと一喝されてしまい、秘匿義務ということか、と受け入れざるを得なくなった。断りもなくこのモニタリングを続けている先生たちもまた、俺の知りようのない事情を抱えているのだと思う。
たまたま俺が聡明だったせいで、このことに気づいてしまっただけだ。これはきっとはじめての事案だろう。被験者の『自然さ』を採集するために神経へのアクセスをジャックするとは、思いつきもしなかったが…… 流石、人間研究のプロが絡んでいるだけはあると舌を巻く。
あるとき、俺の感覚が経由されるのなら、声に出した会話や、チャットのようにメッセージを視認して送る行為も、すべて筒抜けになってしまうことに気づいた。誰かに話しかけられた内容も、俺の耳に入ればそのまま先生にも聞かれてしまう。俺を媒介にして、誰かが巻きこまれるのは嫌だった。
例えば、よく一緒に昼飯を食べるクラスメイトのコウタ。ワンナイトで雑にヤッて捨てた相手の話や、時折発せられる先生への痛烈な批判。本来、モニタリング対象ではないはずの彼の行動や個人情報が筒抜けになっていることが心配だった。根は悪いやつじゃないが、素行が悪いのは否めない。先生にバレたら指導対象になることは確かだ。
火車のごとくヒートアップするコウタの話を「まあまあ」と宥めると「なんでだよ」と問われて答えに窮した。言えるわけもない。けれどこのまま放置して先生に叱られてもかわいそうだ。そうしているとコウタは「お前、なんかつまんなくなったよな」と言い捨てて、不機嫌そうに去っていた。
許せよ、コウタ、お前のためなんだ。
そして、俺のためでもあるんだ。『大切な友を守れる人間である』ということを証明するため、それからは彼を避けて、ひとりでいるようにした。
イヤホンは充電が切れても困らないよう、必ずふたつ以上持ち歩き、いつも音楽やラジオを聴いていた。誰かから話しかけられた内容が伝わらないように。情報を遮るためにはこれが一番効いた。公衆の電波や流行りの音楽なら聴かれたってなにも問題はない。誰かに連絡することも避けた。タイムラインを俺が覗くことで巻き添えを食ってしまう可能性を考えて、SNS上の知り合いもすべてブロックした。
ようやく完全にひとりになった頃には卒業試験を目前に控えていた。
いままで被験者としての日々を積み重ねてきた。きっとこれが最終課題なのだろう。試験前の緊張にも耐え、勤勉であり、たったひとりになっても諦めず、虎視眈々と成功を狙ってきた。試験の合格と同時にモニタリング生活も終わり、俺は特別な功労生として、華やかな人生が用意されているに違いない。
もう誰も、俺に話しかけはしなかったが、たまに先生が話しかけてくるようになった。わざとらしい天気の話題や「最近どう?」などというつまらない問いだった。俺の顔色を伺うような言動に無性に腹が立ち、先生からも距離をとった。
被験者の意図を確認するフェーズに入ったのだろうか。それにしても雑だ。俺がここまで繊細に努力してきたというのに。今更、そんなまねをしてくれるなよ。
大丈夫、俺は全部わかっていて、気づいていますから。五感と行動と時間を使い、僕はあなたたちにすべてをみせてきた。あなたたちの研究のために、ずっとずっと奉仕のような気持ちで生きてきた。俺の努力がもうすぐ実を結ぼうとしているんだ。
今更、種明かしはいらない。難なく試験に合格し、俺という人間をテーマにした素晴らしい論文を追い風に、約束された未来を勝ち取ってみせる。
そして、試験当日はやってきた。
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