第3話

試験の出来は、散々だった。



最も納得がいかないのは、他でもない先生たちが試験の邪魔をしたということだ。答案用紙と問題をめくり、一問目に目を走らせた瞬間に、モニターの向こうでみているはずの先生たちの声が聞こえるようになった。


これまで一方的だった回路が、突然逆流したことに戸惑った。これまでも俺を観察している教務室の様子がわかることはあった。だが、そこでどんな会話が起ころうとも、それが俺に聴こえたことは一度もなかった。


昂った神経が俺に高次元の認知を獲得させたのだろうか。神経回路を逆に伝い、土砂のように頭に流れこんでくる言葉たちは、あまりにひどいものだった。


「解けるはずがない」

「難しい問題だ」

「最初から期待していない」

「ハハハ、その通りだ」


まさかこの難しい試験の場で、更なる負荷をかけようというのか? 試験中にこんなことに気を取られるようでは、まだまだだとでもいうのか? 苛立ちが焦燥感に変わっていく。


歯茎の裏まで血が波打つほど心拍は速く、息があがっていく。こんなところでつまづくわけにはいかないのに。俺は選ばれた人間なのに。先生たちがどうして試験の邪魔をするのかわからないが、俺をここまで導いてくれたことは確かだ。先生たちの目とモニターがあったからこそ、最終学年まで気を緩ませることなく、怠惰な生活を送らず、課題もこなすことができたんだ。


この試験をくぐり抜け、証書を持って教務室にいくんだ。モニターの前で先生たちが待っていて、俺をエリートチームに迎え入れる準備を整えているはずだ。あの暴言もきっと俺への試練だ。「さっきは済まなかった」と謝ってくれるにちがいない。



しかし、精一杯、時間内に埋めた答案用紙は自己採点するまでもなく不合格であるということがわかった。これまでの勉強は殆どパフォーマンスのためであり、教科書の内容がろくに頭に入っていなかった。


人にどうみられるかを演出することに力を注ぎすぎていた。それらを自覚した途端、手が震え、冷や汗が止まらなくなった。試験教官の指示で裏返したテスト用紙の真っ白な裏面は、これ以上のなにをも受け付けないという頑なな冷たさがあった。



……どうしたら、よいのだろう。



周りのやつらの視線が刺さる。なんだ、なんだってんだよ。苛立ちと心細さからコウタに声をかけると、彼は俺を一瞥し、鼻で笑った。かつての友人はいつのまにかこんなにも嫌な奴になってしまったらしい。


「おい、あのとき俺は君を守ってやったんだぞ」


思わず声を荒らげてしまい、途端に反省した。これじゃいけない。感情的になりすぎてしまうと成績に響く。努めて冷静にあれるように気をつけなければ。


「……俺はどうしたらいいんだ」

「知らねえよ。大好きな先生にでも聞けよ」



そうか…… そうだ。そうだ。

俺はクラスを飛び出し校内を走った。



先生に直接聞こう。合格にして貰えるように頼むんだ。あなたたちはずっと、ずっと、ずっとずっとずっと俺を観察してきたじゃないか。俺は私生活のすべて開示し、あなたたちがかけてくれた期待に対して何もかもを捧げたのだ。俺が積み重ねた善行は試験で足りなかったポイントを埋めても余りあるはずだ。この日のために俺はやってきたんだ。毎日毎日頑張れば必ず最後は報われるということを証明するために!こんなミスは些細なことだ、そうだとも、大丈夫、積み上げてきたものは伊達じゃない!この動悸も、息苦しさも、脳の片隅で「ちくしょう、しんじまえ」となじっていることも全部お見通しなのでしょう?そのモニターでずっとみてきたんだから!



階段をかけあがり、別棟への渡り廊下を疾走し、そして教務員室にたどり着いた俺は、息を切らしながらも勢いよく部屋に踏み入った。


そこにモニターはなかった。

スピーカーもなかった。


事務員がパソコンをながめながら珈琲を啜っているだけだった。じゃあ、俺をみていたのは誰だったんだ。じゃあ、俺は、誰になにを見せていたんだ?


俺に気づいた事務員が近寄って話しかけてきた。


「君、生徒はここは立ち入り禁止ですよ。先生を探しているなら」

「……あ、あ、あんた!あんた、いつもこの部屋にいたよな?いたはずだ!そうだろ?!」

「え?ええ…」

「それならあんたも俺のすべてを知っているはずだ!みてただろう!?俺に対しての評価をここでずっと下してきたことはわかってる。試験は正直さんざんだった。でも!でもさ!そのミスを埋めても余りあるほど、俺は正しく善行をつんできたはずだ。みててくれたんだろう!?」

「あの」

「そうじゃないならなんだっていうんだ!!」



そのとき背後から呆れたような声がした。


「おいおい、何事かね」


男の顔には覚えがあった。いつも高慢そうに腕組みをしながらモニタリングしていた教務主任だ。


「あ……ああ……あなたを待っていました。先生、今すぐ皆さんを招集してください。観測者の皆さんを!それに、そうだ、いまはモニターをしまってるんだろ!?あれを出してくれ。話すよりも俺を見てもらった方がはやい。俺をみてくれ!あんなペーパーで俺の価値がはかれるもんか。俺自身をみてください!それに数字をつけるのがあなた達の仕事でしょう!?」


「君は、誰だね」


心底、迷惑そうな顔だった。『誰だ』だって?毎日18時間以上も俺を観察しておきながら、なにをとぼけているんだ。


「僕はあなたがたが選んだホープだ!そうだろ!?わかっているはずです。あなたほど賢い方ならわからないはずはない。この局面でそんな嘘をつくことには意味が無い。僕にだってわかるんだから、あなたがそんな愚かなことをする必要はないはずでしょう!」


「……すまないが出て行ってくれ、いったい何を興奮しているのか知らないが、我々の仕事の邪魔をしないでいただきたい」



そして強い力で二の腕をぐいとつかまれ、教務室の外へはじき出されてしまった。なにかのヒントがほしくて、騒ぎをききつけてやってきた先生たちに虱潰しに声をかけたが、誰になにを訊いても『頭のおかしなやつだ』という顔をされるばかりだった。



どうして…… どうして、どうして!!


なにか達成しなければならない課題があるのなら取り組む。もっと奉仕しろというならする。限界の人間を観察したいというのならそれでもいい、なんでもするから……だから、こんなふうに放り投げるようなことだけはしないでくれ……


試験中に一段階グレードアップした脳味噌は相変わらずだった。モニタリングの逆回路によって彼らの痛烈な批判ばかりが脳内にはいってきて、しまいには俺自身の思考すら追いつかなくなった。



こんなことが許されていいはずがない。まさか、まさか、みんなで俺を騙していたのか?そんなことが……ああ、返してくれ、俺の時間を、学費を、努力を、権利を、未来を、友人を。


嗚呼、俺は果たして何者にもなれなかった。試験にも落ち、すべて捧げた観測者にすら見放され、学生生活とかけがえのない友を失ってまで、俺は何者にもなれなかった……






大変な騒ぎを起こした俺は、件の静かで簡素な教務室にて、退学届を提出した。もう俺のことをモニタリングする必要はないとばかりに、モニターもスピーカーも仕舞われた教務室は、整然としていた。先生たちの目は、ただ冷淡で、去っていく俺になんの関心もなく、誰も引き止めようとはしてくれなかった。



結局、俺は特別な人間ではなかったということだけが、このモニタリングの末に証明されたようだった。去り際、玄関ホールに飾られている絵画のレプリカに、ひっそりと自分の名前を書きこんだ。



何度も練習しておいた、授賞式用のサインだった。

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観測者 伊月 杏 @izuki916

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