最終話 これから続く物語 

 現実世界に戻った優香は、次々と新しい絵を描き上げた。

 幻想的なネイ湖、靴を作るレプラコーン、元気に遊ぶケット・シーの子どもたち。どれも素晴らしい出来で、店の中に飾らせてもらった。お客様にも評判が良く、絵を元にして作ったポスターやポストカードも売れ続けている。



 わたしは佐々木さんと結婚し、新居に移り住んだ。

 中古の家をリフォームして一階を店にしたいと伝えると、

「それはいいね! いつでも猫たちに会えるし」

 と佐々木さんは諸手を挙げて賛成してくれた。


 少し怖かったが、結婚する前に佐々木さんにすべてを打ち明けた。

 家を購入する際、結構な額の貯金があることを伝えなければならなかったし、何か国語も喋れるのは、わたしが努力したからではなく、魔法によるものなのだと告白したかった。


「騙してたみたいでごめんなさい」


「いや、そこは気にしなくていいよ。別に騙されたなんて思わないし。ていうか、言えないよね? 魔法のせいだなんて」

 佐々木さんは面白そうに笑ってくれた。

「ケット・シーの国かあ……いつかおれも行けたりするかな?」


「今度コルムに会ったらお願いしてみるね」


「うわあ、楽しみだなあ」


 ◇


 だが、それから数年経ってもコルムは現れなかった。

 今でもポケットには毎日金の粒が入っている。これが続く限り、ティル・ナ・ノーグ王国はあるはずだ。

 今、わたしには5歳になる息子がいる。彼は保育園から戻ると、すぐに店にいる猫たちに会いに行く。

 猫好きの両親に育てられた結果、この子も大の猫好きになった。


紫苑しおん、ちゃんと手を洗ってうがいした?」


「したよぉ。おいで、ハチ」


 紫苑は何代目かになるハチがお気に入りだ。のちに王様となった初代ハチにそっくりな猫で、もちろんわたしも気に入っている。

 店内は二つに仕切られていて、ガラス戸の向こうのカフェから猫を見ながら食事をすることできる。

 

 シェフは村山若菜ちゃん、23歳。前の店の常連で、レストランのシェフをしていた。

 仕事先のセクハラで悩んでいた若菜ちゃんに、

「移転する店に、料理も出すカフェを併設するつもりなんだけど、よかったら働いてみない?」と誘ってみたら、二つ返事で引き受けてくれた。


 彼女の作るメニューは、優香の絵やわたしの書く「ティル・ナ・ノーグ国物語」に影響を受けたものばかりだ。たとえば、「人魚と小鳥のランチセット」「ケット・シーの大好きなサーモンフライ」「レプラコーンのグリーンサラダ」などなど。女性たちには評判がいいが、男性が注文するのはちょっと恥ずかしいようだ。


 夫の圭は、猫カフェの経営には関わらず、会社勤めを続けている。

 仕事が早く終わると店に飛んでくるのは紫苑と同じ。二人ともわたしより猫に会える方が嬉しいようで、ちょっと複雑な気分だ。


 ハチの残してくれた魔法の腕輪は常に身につけているが、あれから魔法を使うようなことは起きていない。今、腕輪に嵌められている魔法石は、火魔法を使い切った透明な石と、水魔法を使って色が少し薄くなった青い石……そういえば紫の石は何魔法だっけ。

 あのとき王様の言った言葉が、どうしても思い出せなかった。



 ◇



 その日、いつものように、保育園から帰る途中スーパーに寄った。

 買い物を終え、紫苑とお喋りしながら歩いて帰る。

 交差点にさしかかると、後ろから黒猫が車道に飛び出した。


「猫だ!」


 紫苑が走って猫を追う。

 そのとき、信号は青だった。

 

 だが、スピードを上げて左折してきたトラックが、紫苑の小さな身体を跳ね飛ばした。


 スローモーションのように紫苑の身体が道路に落ちていく。


「あ、あ……そんな……」


 紫苑の頭から大量の血が流れ出た。

 がくがくと震える足で必死に進み、目を瞑ったまま動かない紫苑の身体に触れる。


「紫苑、紫苑……」


 ――救急車を呼べ

 ――お母さん、大丈夫ですか

 ――もう、死んでるんじゃない


 周りにいる人たちがなにか言っている。

 違う……死んでない。紫苑は死なない。

 そうだ、魔法!

 わたしは腕輪を見た。

 水魔法は役に立たない。紫は、確か治癒魔法じゃなかった。

 ああ、何でもいい。紫苑を助けて。

 わたしはぐったりとした紫苑の身体を抱き、なんとかして魔法を起こそうと叫んだ。

 

「この子を助けて!」 

 

「わたしが代わりに死ぬから!」

 

「この子の傷を治して!」

 

「元通りにして!」


 だが状態は変わらない。


「それが無理なら、お願い! 時間を戻して!」


 その瞬間、腕輪から強烈な閃光が走り、辺りが真っ白な光に包まれた。


 ◇


「え……」

 

 気がつくと、交差点の手前に立っていた。


 状況を把握する前に、黒猫が後ろから道路へ飛び出した。


「猫だ!」


 紫苑が叫ぶ。


 今にも駆け出しそうな紫苑の腕を強く掴んだ。


「行っちゃ駄目!」

 

 そのとき、スピードを上げてトラックが左折してきた。

「危ねえなあ」と誰かの声が聞こえた。


「お母さん、どうしたの?」


 わたしは紫苑の身体を抱きしめ、泣き崩れた。

 紫苑が怪訝そうな顔でわたしを見ている。


 ありがとう、ハチ。

 

 わたしに紫苑を返してくれて、本当にありがとう。 



   ◇◆◇◆◇


 

 あれから10年、紫苑は高校生になった。

 わたしが初めてコルムに出会ったのはちょうどこの頃だった。

 紫苑はティル・ナ・ノーグ国の話が実話だとは知らない。

 なぜかたくさんの外国語を話せる、わたしと優香のことを不思議がっている。


「おれ、母さんに似てればよかったなあ。英語なんか全然わかんないよ」


 わたしも優香も苦笑いを浮かべた。


「でも、ほら、わたしたち読んだり書いたり出来ないから」


「それが不思議なんだよな。なんで話せるのに書けないんだよ」


「いや、それはあれだよ、バイリンガル脳でテレビやラジオを聞いて……」


 わたしはごにょごにょと言葉を濁した。

(自分の子どもに嘘つくのって辛い)



 そんなある日、閉店後の猫カフェに突然コルムが現れた。


「キャー、コルム様だー」


「コルム!」


「リサ、ユウカ、元気でしたか?」


「今度はどれくらい時間が経ってるの?」


「前と一緒。二十年くらいです」


「こっちも二十年くらい」


「どおりで二人とも――」


「「なんですって?」」


「いえ、何でもないです」


「もしかして何かあった? もう魔法の石は青いのしか残ってないんだけど」


「違いますよ。久しぶりに顔を見に来ただけです」


「理沙はもう子どもがいるのよ」


「ほんと? 見たいなあ。会わせてくれますか?」


 わたしは優香と顔を見合わせた。


「うーん、そうだねえ」


「思春期の子どもにはかなり衝撃的だろうね」


「駄目ですか?」


 コルムが悲しそうな目でわたしを見て、しょんぼりと下を向く。

 丸まった背中に哀愁を感じる。これに逆らえるはずがない。


「わかった。呼ぶからちょっと待ってて!」

 紫苑に電話をかけ、店に降りてくるように伝えた。


「どうしたの、母さん」


 店に通じるドアを開けて、コルムを目にした紫苑が固まる。

 コルムは胸に手を当て、いつか見た貴族のような挨拶をした。


「はじめまして。わたしはティル・ナ・ノーグ王国騎士団長コルムと申します」


「うわぁあああ!」


 紫苑の絶叫が響き渡り、怯えた猫たちが逃げまわる。


 わたしの物語が紫苑へと引き継がれ、この先も続いていく予感がした。


 



――――――――――――――――――――――――――――


最後までお読みいただきありがとうございました。

楽しんでいただけましたら、下の☆☆☆で評価していただけると嬉しいです。


最後に、このお話に出てきたケット・シーたちの名前は、実際にアイルランドで使われている名前です。ちなみにコルムというのはゲール語で「優しい人」という意味だそうです。

「ティル・ナ・ノーグ」とはケルト神話で「常若(とこわか)の国」と呼ばれる妖精たちの棲み家のことだそうで、イメージにぴったりなので使わせていただきました。





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猫妖精ケット・シーと理沙の物語 ~現代の日本とケット・シーの国を行ったり来たり~ 陽咲乃 @hiro10pi

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