その夏に拐かされて
「被験者K“ナム狂い”の容態はどうか」
「今のところは従順です。多少“話を合わせる”必要はありますが……そういえば、昨日、それで一悶着ありまして」
「尋問担当にはベトナム戦争の歴史書を読んでおくように、と指示したはずだが」
「既に読了しており……それでなお揉めた、というのが事実です。曰く、北爆に対する話題になった際、ローリングサンダー作戦の中止における議論になってから急に黙りはじめ、そして突然怒りはじめたとか」
「意見の相違か?」
「いえ、最初は議論も弾んでいたのですが、尋問担当が歴史書から導いた考察を述べはじめたところ、様子が変わったのだと。それで、ここからは自分の推論ですが……おそらくあの男、ああいった物言いをしておきながら、ベトナム戦争の歴史については非常に浅い知識しか持っていないのかと」
「わかった。今後は話題を選べ。場合によっては鎮静剤の投与も許可する」
「それより……いいのですか。あれだけ“夏”に曝露してなお記憶処理もせず、そのままにしておくなど」
「“狂気を狂気で上書きする”」
「はあ」
「それが人為的に出来るならさらなる研究の予知はある。彼は特異な例で、そのための被験者だ。今後の作戦にも引き続き投入する。監視と調整を怠らないように」
「了解しました。引き続き実施します。それでは」
―――
「被験者N“ゆるふわちゃん”の容態はどうだ」
「いつも通りですよ。食堂のキッチン担当に配属させてからは何事もなく。同僚のオバちゃん達にも人気で、最近はよく笑うようになって」
「休みは充分に取らせているか」
「今度、友達と高尾山に行くんだって言ってましたね」
「わかった。念のため、登山の後“友達”には帰還後にスクリーニング検査を受けさせておくように」
「……ハチさん」
「どうした」
「彼女にはもう何回記憶処理を受けさせたか分からないんですよね。毎回、偽の記憶を植え付けたまま、囮みたいに投入して……しかも、今までは一回の処理で済んでたのを、今回は頭ん中がカラッポになるまでやったわけで」
「言いたいことは分かってる」
「や、いや、別に自分も生半可な気分で仕事してるわけじゃないんで、そのへんは心得てますよ。あの“ゆるふわちゃん”の特性……“雨女”が今後の作戦の役に立つ、ってのは。でも、まあ……ここまで来ると……自分達も“夏”も、やってることは大して変わらなくなってきちゃったな、って」
「そう。それを指示したのは僕だ。だからどうせ僕は地獄に落ちる。夏みたいに暑い地獄に」
「そん時は自分もお供しますよ」
―――
某所。屋上。
ようやく秋めいた季節になったのか、夜の冷たい風がハチスカに吹きつける。
煙草をくわえてライターを取り出す。風から守るように掌で覆い、火を付ける。
――自分はいずれ地獄に落ちる身だ。
何度となく彼はそう言ってきた。“夏”が支配するエリアに投入を指示したエージェントが任務を果たせる確率は半々。そこからさらに帰還できる確率も半々。死んでこい、と言っているようなものだ。その罪は、自分が背負わなければならない。
エージェント・タコも引退した。短期間ながら異常な事象に曝露してしまったため、これ以上の任務続行は不可能だった。そろそろ俺もトシだからな、とタコは笑っていた。それが彼の姿を見た最後だ。どんなに親しくとも、どんなに任務に忠実でも、“夏”の拡散を防ぐためにはそうするしかない。人間の心を弄んでいるという意味では、“夏”も自分達も大した違いはない。
あの二人も――ホトハラとエビナもそうした。かつての“晩夏バスター”の二人の再来とも言える活躍をした二人だったが、これ以上は無理だった。戦場で生まれる絆も、その殆どが記憶処理によって消える。後にどれだけ残っているかは本人達次第で、そこまで経過観察する余裕もない。場合によっては再処理すらもありえる。つまるところ、人と人の繋がりすらも自分達はメチャクチャにしているのだ。
それでもやるしかない。“夏”と戦うことこそが自分の使命なのだ。
あの一件以来、各地に出没した“夏”の活動は沈静化している。本来の季節が“夏”に多少の影響を及ぼすようになったのか、それは来年の夏が来るまでわからないだろう。良い方向に向かっているのか、打破の糸口を見いだすことが出来るのか……あるいは、手が付けられない存在へと変えてしまったのか。何が成功で何が失敗かも、今は分からない。次の作戦もまた、少なからず犠牲者が出るだろう。
それでもやるしかない。
繰り返し、ハチスカは自分に言い聞かせる。
人々の心の奥底に――まだ“理想の夏”が眠っている以上は。
―――
9月下旬。某日。昼。もう秋になるというのに、その日の気温は三十度を超えていた。
エアコンはまだしばらく付けっぱなしのままだ。設定温度を一度下げ、ホトハラは左手に持ったタオルで髪を拭きながらスマホを手に取る。十分前に入っていた着信が一件。折り返す。
「もしもし……どうしたのアネキ」
『どうしたの、じゃねえんだよ。何で電話に出ねえ』
「フロ入ってたし。寝汗凄くてさ」
『まぁーた昼まで寝てやがったな。で、お前、明日ちゃんと実家に帰ってくるんだよな? 早く確認しろって、オヤジがうるせえんだよ』
「オレ、メッセージに返信しなかったっけ?」
『してねえから電話してんだろ』
「明日帰るよ。明日な」
『ぜってーだぞ。私だけでオヤジと顔つき合わせ続けてるの、クソだりーんだよ』
言いながら、彼は右腕をゆっくり動かす。リハビリの結果どうにかここまで動かすことが出来るようになったが、日常生活にはまだ不便が残る。
「ところでさ、アネキ」
『なんだよ』
「アネキが車椅子から降りたのって、どれくらいかかった?」
『アア? ……まあ、義足に慣れてきて……それでも半年くらいは掛かったかな』
「やっぱそれくらいかかるか」
『お前こそ、今ちゃんとリハビリ行ってんだろうな』
「行ってるって」
電話を切り、それからスマホのメッセージを確認する。
確かに姉からは一件入っていた。それも二日前。まったく気づかなかった。
そして、新着メッセージが一件。
『今日は暑いね』
たったそれだけのメッセージに、しばらく悩んでから返す。
『今日は出掛ける、やめておきます?』
――そう。
お互い、暑いのは嫌いなのだ。こんな“夏みたいな気温”の日は、特に。
しばらくあってから、相手からメッセ―ジが返ってきた。
『あれ』
『出掛けるのって、今日じゃないよね?』
『明日には涼しくなるから、明日にしようって』
『ボクもキミも、暑いのは嫌いでしょ?』
ホトハラの背筋が冷えたのは、クーラーのせいだけではないだろう。
「やっべ」
家族を取るか、“仲間”を取るか。
ホトハラは頭を抱え、返信もせぬまま、冷蔵庫の中から麦茶を取りだした。
―――
同日。時を同じくして――。
いちめんの……真っ白な灰の中、一人の少年が立っていた。
あの日に島を覆った熱波は、向日葵も町も、あらゆるものを全て溶かしつくしていった。もはや夏の気温ですらない、それはまさに灼夏と呼ぶべきものだった。
そして、それはまだ続いている。
この島に人が戻ってくるのは、どれくらい先になるだろうか。かつて漁業で栄えた小さな島の町。そこから人がいなくなり、やがて“夏”に飲み込まれ――そして今は、真っ白な灰の世界。
だが少年は絶望などしていない。何があろうと、この島は自分が守るべき場所だ。何年かかろうと、何十年かかろうと。
この島は“夏”のものではない。いつかまた彼女が戻ってこようと、二度と“夏”になどさせない。それが――彼と交わした約束だ。
少年は呟く。
「たいいが。かえってくるまで。このしまを。なむに。してみせる」
その島は――五十年後『フォート・ムーア』と呼ばれることになる。
―――
同日。夜。
ニジノは明日の天気を確認し、テレビを消す。明日は“あいにく”涼しい日のようだが、雨が降ることはなさそうだ。――今のところは。
一緒に行く友達は「雨でも構わないよ」と言ってくれた。それは素直に嬉しかったが、やはり出掛けるのは晴れの日のほうがいい。
だいじょ うぶ だよ
頭の中の声が、優しい声で言う。
それを少しも不思議に思うことなく、ニジノは笑って応える。
「そうだね」
声の正体は分からない。いつの間にか聞こえるようになっていた。彼女はその声のことを信頼していた。他の人には聞こえない、自分だけに聞こえる声。誰にも言ったことはない。言わないほうがいいよ、と言われたから、そうしている。
き っと はれる
約束の時間に遅れないよう、スマホのタイマーをセットしてベッドに入る。
大丈夫。大丈夫。明日もきっと良い天気になる。
彼女がそう言ってくれているから。
灯りを消し、布団を被る。
閉め切ったはずの窓のカーテンがふわりと揺れる。
その隙間に、一人の少女の影がうつった。ニジノはそれに気づかない。
カーテンと共に、壁に掛けていたカレンダーも揺れる。
日めくり花言葉カレンダー。その日付は、8月30日からめくられぬまま。
音もなくカレンダーがなびき、31日の日付がのぞく。
そこに書かれていたのは、向日葵の花言葉。
向日葵の花言葉はいくつかあった。
憧れ。情熱。崇拝。幸せ。
そして――。
あなた だけ を みつめて いる
S.U.N.F.L.O.W.E.R. -Call of the Sea- 黒周ダイスケ @xrossing
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