「誰も、生まれたときのことは記憶にないもんじゃろ。後から周りの大人に、こうじゃったといわれて、それを本当と思うしかないんよ。そんなもん、大人が後から、なんぼでも作れますで。坊ちゃんの生まれたときのことを、春が作ってあげてもええんですよ。

 いや、これは冗談じゃ。坊ちゃんは川上からどんぶらこ、どんぶらこと、桃に入って流されてきてな、春が拾い上げて真っ二つに割ったら坊ちゃんも真っ二つに……なっとったら、ここにこうして、居らんじゃろ」

 追憶の中の春が、怖い人になっていく。それでも、恋しさは変わらない。怖い春の幻影を追い払うのではなく、何度も読み返した金光の手記に、また没頭しようとする。

「今の小金屋の客人で最古参なのは、一階左側に住むセンだ。

 断髪の妻を除き、ここの女達は皆、長い豊かな黒髪をしている。センは結い上げず、腰まで垂らしている。いつでも踊っているようなセンの動きに沿って揺れるのではなく、髪そのものが別種の生き物のように動いていた。

 風もないのに、ふっと誰かの手ででられているように見えるときもある。仕事をしていないときも、ダンスの衣装のような薄手のひらひらした洋装だ。中国の服、安南の服は着たくないらしい。

 長身で顔が小さく手足の長いセンは、西洋の人形が化けたようだった。化けた、といっても悪い意味ではない。これも美しい進化だ。

 センによると、二階に上がり下りはしんどい、踊りと色事の他にはあまり体を使いたくないそうで、一階がよかったという。

 さらに子どもの頃、水浴場でとても怖い目に遭ったから、水浴場から遠い方に決めたという。水浴場で何があったかは、詳しくは語らない。一言、お化けに襲われた、とだけいう。たぶんそのお化けは、生きた人だ。

 中華街に実家といっていい親の家もあるが、そこにはいたくないという。

 センは特に住処すみかに希望はなかったが、仏蘭西の情人がここがすべてにおいて手頃だと借りてくれたから住んでいるだけで、特に不満もないそうだ。

 昔いた生き地獄に比べれば豪邸だし、住人は天国の人達みたいだと漏らす。

 センは、生い立ちに関することもほとんど語らない。父親が中国大陸からの移民、母親は安南から渡ってきたというのも、矢加部に聞いたのだった。セン本人は、私は新嘉坡人だとしかいわない。

 仏蘭西の情人は、ラッフルズの近所の家に暮らしていて、妻と子は本国にいるらしい。彼は、小金屋には足を踏み入れない。センは、仏蘭西の情人の家に行くのはいいが、一緒に暮らすのは嫌だときっぱりいう。

 私は呪いをかけられたの。誰かと一つの布団で寝ると、顔も姿も変わる。崩れていってしまうの。隣で寝ている人は、私を見て頭が変になる。そんなふうに、いっていた。いや、そんなふうに、歌っていたのだったか」

 センの部屋には竹の鳥かごが下げてあり、鳥がいないのに鳥の鳴き声がするそうだ。きっとセンが鳴き真似をしているのだと、金光は書いている。

「次に来たのは、台湾の林夫婦だという。客商売なのもあり、生来の性質もあるのだろう、夫婦ともに誰にでも愛想がよく、まるで小金屋の従業員であるかのように宿泊客の世話を焼き、本当に従業員だと勘違いする客も多いとか。

 こちらはセンとは逆に、水浴場が近い方がいいと今の部屋を選んだそうだ。水が近くにあるのは風水開運の見地から良いのだ、とかなんとか。

 どうも主人は副業で、いや、もしかしたらそちらが本業なのかもしれないが、占いもよく当たるそうで、こっそりそちらの客を部屋に招いてもいた。特に問題も起こさないので、矢加部も黙認している。

 拝み屋と占い師は全然、違いますよ。それとなく探ってもみたが、きっぱりいわれた。

 私ら、幽霊は見えません。よって、幽霊を追い払うなんてこともできません。そして拝み屋は、未来は見えないし、未来を変えることもできない。

 安く見てあげますよ、冗談めかして付け加えた。林の主人に、本当に見てもらおうかと迷った。しかし、妻の未来が見えないなどといわれるのも恐ろしい。妻はいったん死んでいるので、未来はあってないような、ないのにあるようなものだからだ」

 保和がこれは面白いな、自分も機会があればやってほしいものだとかれた記述は、いにしえよりの占星術だの四柱推命だの手相だのではなく、林の主人が客を深い催眠状態に導き、そのとき客の心に家を見せるという方法だ。

 それは現実の家ではなく、過去や現在や未来を象徴する、本人の心の中にしかない家で、豪邸なのに隙間風がひどかったり、掘っ立て小屋なのに常に室内が春のような快適な温度に保たれていたりするそうだ。

 自分の家は、墓石の下、の影が落ちるところか。金光は今、どんな家にいる。

 もしや金光は林の主人によって心の中にしかないはずの家に導かれ、まさに小金屋の二階の真ん中の部屋にいる自分を見せられているのではないか。

「林の妻は長い髪をきっちりと撫でつけて小さなまげに結い、古風な中華の服を着ていた。若い頃は美女だったろう。今も、その面影とあいきようはある。

 ふとっているのではないが、肉が固くみっちり詰まっている感じで、ころっとした愛嬌ある感じが、こちらも中国の古い人形のようだった。商売繁盛を祈る、福の神的な。なんとなく、大鹿家にいた春と遠縁だといわれれば、信じられる」

 たまに、春のことが挟まれる。そのたび、保和は鼓動が高まる。何者かに、心臓をわしづかみにされる。誰の手だ。春なのか、春でないのか。

「その次に、朝鮮から来た李おやが入った。簡単に忍び込まれないよう二階がいい、そして真ん中だと両端が気になるからと、右端を選んだ。左端の部屋の幽霊話も、誰からか聞いて知っていたようだ」

 この小金屋で最も若いジニは、黒髪をぴっちりと真ん中で分け、後ろで結んでいるそうだ。それは朝鮮女性の髪形で、端整な頭の形を強調しているとある。

 誰もがジニを見れば、その髪に花を挿してやりたくなるが、ではどんな花がいいかとなれば、花などない方がいいかもと落ち着くのだとか。

「小金屋にいるときは、胸の高い位置でひもを結び、長いようばかまのような朝鮮式の着物を着ている。女になる前の乙女の体は、柳の木でできているようにしなやかだ。ジニは炎暑の国よりも、凍える国の方が似合う」

 美しい女達が暮らす、南洋のホテル。どの部屋にも不穏な物が渦巻いているはずなのに、楽園と天女ばかりをふと夢見てしまう。

「それから印度人の家族が来て、やはり悪い噂の部屋は知っていて、そこを避けるとなると真ん中しか残ってないのだった。

 主人は郵便局、妻は雑貨店に勤め、双子の息子と娘は学生だったとか。宗派が違うのか、すぐ隣の寺院ではなく、ちょっと離れた寺院に家族でよく拝みに行っていたそうだ。

 子どもらも無事に卒業でき、馬来に家を買えたので、と出ていったことになっている。

 これも矢加部に聞いたのだが、その印度人夫婦は印度にいたとき双子が生まれたが、体の一部がくっついた状態で生まれてきたという。

 実は双子でもなく三つ子で、もう一人は人の姿はしていなかったとか」

「それが神様の姿に酷似していて、信仰の対象にされそうになったので、神様ではなく人として生きていってほしいと逃げるように新嘉坡に来て、医者に分離してもらったという。生き残った二人はどちらも、素直で優秀な子に育った」

 雑誌の写真でしか見たことはないが、印度の神々や神界の生き物はすさまじい姿をしている。一つの体に顔がたくさん並んでいたり、何十本という手足が生えていたり、象や猿やの顔の神もいる。

 日本にもりようびんなど、人間と他の生き物が混ざった天界の存在はあるが、圧倒的に印度のそれらの方が肉食獣めいている。

 さて、自分が人を大いに驚かすような姿をして生まれてきていたら、どのようなその後を辿たどっただろうか。印度の寺院を訪ね、神々の間で考えてみたい。

 その印度人の子の、もう一人はどこに行ったのだろう。もし頭だけだったとしたら、ちゃんと一人の人間として数えられるだろう。手足だけなら、それは人の数に入れられるのか。手足だけでも、名前は付けられるのか。

「彼らと入れ替わりにやってきたのが、怪しい日本人夫婦だった訳だが。印度人の一家がまだ居れば、私達は二階の左の部屋に幽霊と同居することになったはずだ。幽霊も、生きているのか死んでいるのかわからない妻を恐れ、退散したかもしれない」

 夕暮れ時、外から小金屋を見上げると、たまに二階の左の部屋に人影らしきものが映るのを、金光も見たと簡単に記してある。

 そんな頼りない物のの影などより、はるかに濃い闇と情念を抱えたものが隣にいるわけだから、金光も隣の部屋を怖がるのは面倒だろう。

「小金屋には、ちゃんと宿泊料を払わず住み着いたり休んだりしている存在はまだあったが、主人がその存在を否定するのだからどうしようもない。

 建物の真ん中にあるあめ色の木の階段下に、これも中華風のたんがある。最初から、異様な重々しくもまがまがしい存在感を放っていた。

 下部の引き出しは簡単に開けられ、中は空っぽだ。その上部の扉は二枚が真ん中で合わさっていて、まるで巨大な仏壇だった。

 もしかして、矢加部の妻はここに入っているのではないか。そんな気配を感じるときが、ときおりあった。ここだけは、堅くかぎがかかっていた。

 矢加部によると、女房の着物など入れていたが、うっかり鍵を持ち帰ったか紛失したかで開けられないそうだ。中身を取り出せなくても自分はまったく困らないから、無理に開けないともいう」

 保和が耳にした、新嘉坡の矢加部らしき男の噂の中には、女房が現地の男と逃げたのを、どちらも密林の中に追い込んで殺し、ひようわせたというのもあった。

 矢加部なら、さもありなん。真顔でうなずいてしまった。金光が不興を買ってわにに喰わされたりしないか、心配にもなる。

「私は宿泊料として前金でかなり払い込み、名前はそのままでも身分は偽っていた。日本人相手に画商をしている、などと。

 妻は、病気のため耳と口が不自由になった、まだ病み上がりなのでいろいろと不具合がある、ということにしておいた。

 誰も、せんさくなどしてこなかった。むしろ、何くれとなく気を遣ってくれた。外地では強い日本が可哀想な彼らの国を支配しているが、ここでは駄目な日本人が情け深い彼らに助けられ、生かしてもらっているようなものだった。

 近所周りには安くて美味うまい食堂も屋台もあり、まったく日本食から離れても苦にならなかった。中華料理は日本にいたときからたまに食していたが、生まれて初めて口に入れた印度のカレーには驚いた。

 美味い不味まずいを超え、その強烈な辛さと刺激は食べ物とは思えなかった。それがしばらくすると、気候に合った現地の食べ物は美味なる食べ物として私を中から変えてゆき、妻の唇も燃え立たせるようになった。

 南洋の果実は、ゆっくり体を冷やしてくれる。実に、上手うまくできているものだ。

 自分も、体の内側から南洋の人間になっていくようだ。このまま、私も別の人になってしまいたい。そうすれば、妻への渦巻きよどむ感情も薄らぐはずだ。

 妻は食べなくても平気だったが、食べさせてやった。人形ごっこのように」

 それにしても金光の妻、八千代についての描写は、読み進めるうちにどんどん感情の高ぶりは薄まっていく。金光も心がゆっくり、していったのか。

「商店街で買った白粉おしろいと紅で、妻に化粧をしてやる。汗をかかないのでひどくげはしないが、ときおり化粧直しをしてやる。あざうつけつも、消えないが隠せる。

 毎日同じ着物では怪しまれるかと、着替えもさせる。妻のためにといって、自分が着たい鮮やかな色合いのひらひらした服を商店街で買い込み、妻のふりをして夜道をそぞろ歩くのは、楽しい息抜きだった。

 大鹿さんと岡山市内を、夫婦のふりをして歩いたりもしたと、懐かしく思い出す。

 ときおり、女と見て声をかけて来る酔客もおり、こそばゆい嬉しさが湧き上がる」

 養母に女の子の格好をさせられていた日々が、保和も懐かしくなってくる。それよりも、養父だ。本当に金光と親しかったのだという以前に、ただならぬ仲であったのかと自分も何かの深みにはまっていく甘い危機感におぼれかける。

「半ば人形になってしまった妻との暮らしを、希望も絶望もない中でどこか楽しんでもいた。いや、人並みの希望も絶望も、あるにはある」

 保和の脳裏にも、幼い頃のいびつなお遊びの記憶が過ぎていく。自ら女装を楽しんでいたところもあるが、養母に文字通り玩具おもちやに、人形代わりにされていた息苦しくも甘美な日々。

「新嘉坡にまで持ってきたものは、私の原稿用紙や帳面、筆記用具に、妻の簡易な絵の道具。けれど妻に絵筆を渡しても、良き反応はない。

 妻が描いていたように、私が真似て画帳に描いてみる。ときおり、そこに誰かが手直しをしてくれている形跡がある。妻なのか。

 机に帳面や原稿用紙を広げておくと、誰かが読んでいる気配もある。これも妻なのか。

 何はともあれ、小金屋ホテルは居心地がよかった。誰も私達を知らない。そもそも、矢加部の他はみな日本人ではないのだ。日本の領土となっていても、やはり異国の人達だ。

 日本であって、日本でない。日本語ができても日本人ではないというのは、種類は違うがどこか妻に共通するものがあるように感じられる」

 深入りしなければ誰もがいい人じゃ、という、養母のいつかの言葉を保和も奇妙に思い出す。

 八千代は、声は出せても会話はできず、動けるが連れ歩くことは躊躇ためらわれる見た目と動作のままだ、と繰り返し書かれる。何より、心がないのだ。

 何も考えず何もせずでは、金光も書くこともなくなってくるのだろう。

 小金屋ホテルの面々については、彼らのしんせきより詳しくなったかもしれない。

 とはいうものの、妻についての記録だけは、そこはかとなく常に不気味さが漂う。

 ホテルで噂の幽霊だの、矢加部に聞いた日本人同士のにんじよう、犯人が捕まっていない近隣での殺人事件、人を食う豹が密林から抜け出してきたり、人間をめるほどの大蛇が路地をっていたといった描写よりも、背筋が冷えてくるものがある。

 妻は鳥のような目で虫を食べ物として見ているとか、毒虫に刺されたがれもせず痛がりもしないとか、うっかり日なたに放置したせいで肌が燃えるように熱いとか、絵筆を持たせたらくしの代わりに頭をいただけだったとか。

「だが、南国とは相性がいいのか、妻はときおり声を出し、自らの意思でこちらの着物がいいと指差したりできるようになった。とはいえ、心はまだ感じられない」

 金光も妻に対する熱い心を失っていき、ただ動作や外観を機械的に義務的に記録しているときがある。読む方も、気楽で寂しい。

「あー、といえば、あー、と答える。というより、ただ真似をする。バナナ、といえば、食べたい、とはいってくれない。やはり、バナナ、とおう返しだ。

 もどかしいが、ゆるゆると回復している、といえばいえる。せいして間がなかった妻は、一言も言葉を発することはできなかったのだから。

 このままいけば、あー、といえば、何が、と首を傾げてくれ、バナナ、といえば、飽きた、などと笑ってくれるようになるかもしれない」

 むしろ、同じホテルに住む矢加部や林夫婦、李父娘、セン、の身に起きたことを面白おかしく、ときに抒情的に描き、入れ替わる客室の人達についても興味深げに感情移入し、あれこれ推察や思い入れを記していくようになる。

「まさか。いや、もしや。妻を回復させる存在とは、小金屋ホテルの全員を合わせたものなのか。薄々、そんな気もしていた」

 保和も、そんな気になってきていた。だが、決定打はまだない。

「拝み屋としては今の妻を見れば、回復した、進化したといい切るのではないか。声を発するようになった、それだけで。もはや私は報酬も払って、満足せねばならぬのか」

 保和は次第に八千代より、センとジニが気になるようになっていった。若い男としては、華やかな美女やはかなげな乙女は、どこにいても彩りだ。

 想像の中で、さらに二人は美女になっていく。そんなとき、やきもちを焼いたか里子の気配がするときもある。完全に死んでしまった女は、もはやいじらしい。

 実際に小金屋に行ってみれば、林の妻が最も男好きのするつやっぽい年増、と心ときめかせてくれるのかもしれない。あるいは、八千代が異様な磁力のある存在として、保和をとらえに来るかもしれない。

「妻は死んで生き返ったときのままで、腐ったり白骨化したりもないが、生き生きと元の妻に戻ることもない。私は何をしている。いつまでこの生活が続く。妻を元通りにしてくれる人は誰だ。まだ、現れない。現れていても、気がつかないのか」

 投げやりな空気を漂わせるときもあるが、淡々と新嘉坡とあやかしの人々の描写は続く。保和は、追体験させられていく。もしかして自分の最古の記憶も、金光に作られたものではないかと、疑わしくなっていく。

 なんとなく、これは怪奇小説の下書き、金光の完全なる創作ではないのかと疑わしくなる話も、不意に挟み込まれる。

 それをいえば、帳面のすべてが創作と考えられなくもないけれど。

「私は八千代を一人で街なかへ出すことはしなかったし、八千代本人も出ようとはせず、出たがりもしなかった。それはもしかしたら私の目の前でだけ自制し、私の様子をうかがっていたのかもしれない。

 というのも、八千代が時おりホテルの前を歩いていた、思いがけず遠方で見かけた、といった話をホテルの面々、もしくは出入りする商人や御用聞きから聞かされるのだ。

 似た女でしょう、異国の人からは、着物を着た日本女はどれも同じに見えるのかもしれない、などと私は苦笑して答えていた。

 八千代本人は、外に出たとも出てないとも答えず、誰それさんに会ったかと問うたところで、ぽかんとしたままだ。

 四六時中、見張っているのではないし、私自身がふらっとホテルの近辺をうろついているので、絶対に八千代は外出していないと強くいい切れないものはあった。

 目撃そのものも、八千代が川辺のカユ・アピアピの下で蛍を捕まえようとしていただの、商店街で鮮やかな馬来の反物をうっとり眺めていただの、他愛ないものばかりだった。

 だから私も、そこまで神経質になることもなかったのに。先日は、かなり気味の悪い話を聞かされたというより、私も現実の薄気味悪い話に巻き込まれてしまった。

 まずは、顔見知りの馬来人の珈琲コーヒー店の主人が血相を変えてホテルに駆け込んできた。私が毎日ではないが、週の半分くらいは顔を出す店の彼は、いつも穏やかだった。

 妻である女が、店員もしていた。南洋の島に移り住んだ仏蘭西の画家が描いた南洋の女そのままの、野性美あふれる豊満な年増女だ。

 私は馬来の言葉はさっぱりわからないので、会話を交わすことはなかったが、商店街ですれ違ってもこの夫妻とあいさつをするくらいにはなっていた。

 八千代の加減がよさそうだと私が判断したとき、外に連れ出しているが、その店にも伴ったことはある。確か、今までに二、三度ほどだ。

 私はそのとき八千代と二階の部屋にいて、階下で何やら騒ぎが起きている気配があったので一人で下りてみたら、例の珈琲店の主人が私を指して現地の言葉で何かわめいた。

 まったく聞き取れないが、彼がひどく怒っているのはわかった。とりなしているのは矢加部と、ホテル内で見かける馬来の運転手の青年だった。この青年は、センの送迎をしているのだ。青年はかなり微妙な感じではあるが、日本語ができた。

 その辺りを介して私が知ったのは、怪談としかいいようのない話だった。まず八千代が一人でふらりと、珈琲店に来たそうだ。

 そのとき主人はたまたま所用で出ていて、妻だけが店にいた。八千代はその妻に、馬来の女が上着のボタンの代わりにつけている金貨、といってもきんの偽物だが、それがきれいなので欲しいと身振り手振りで伝えてきた。

 しかしお金がないので、これと交換しないかと、髪に挿してある櫛を抜いた。

 べつこうのそれは私が結婚前に買ってやったもので、八千代の気に入りの一つだった。

 馬来人の妻は、それを心底から美しいので欲しいと思ったか、常連さんの奥さんだから親しくしておこうとそんたくしたかわからぬが、まだ金貨の釦は幾つかあるからいいですよと、取り替えてやった。

 そうして八千代はそのまま、珈琲も飲まずふっと消えるようにいなくなった。

 妻はその櫛を髪に挿して店番をしていたら、主人が帰ってきた。妻を見るなり、叫び声をあげた。妻の髪に、子どものらしい干からびた手の骨が挿さっていたのだ。妻は平然と、きれいでしょう、などといっている。

 最初は何故に主人が驚くかわからなかった妻も、これは八千代と交換したのだといいながら髪からそれを抜き、見たところで同じく叫び声をあげた。

 もらったときは、絶対に鼈甲の櫛だったと。

 悪戯いたずらにも程がある、いや、これは悪戯のはんちゆうを超えている、これを返すから釦を返せなどと、主人は地団太を踏みながら懐からそれを取り出し、突き付けてきた。確かに本物らしき、干からびた皮膚のついた小さな手の骨だった。

 八千代を出せと興奮する主人に、八千代はずっと具合が悪くて寝ていて、今日は一歩もホテルを出ていない、と私は運転手の青年らを介していい立てた。

 ずっとホテルにいた矢加部も、同調してくれた。私はしばらく待っていてほしいと部屋に上がり、物言わぬ、騒ぎも知らぬ風の八千代の体や着物を調べた。

 釦など、どこにもない。部屋にも、ない。だが、八千代の髪に櫛はそのまま挿されていた。八千代には何を話しかけても、虚空を見つめるばかりであった。

 とりあえず櫛を持って下りてみると、また別の騒ぎになっていた。干からびた手の骨が、金貨の釦を握っているのがわかったのだ。

 結局、これは悪霊の仕業ではないか、ということで無理矢理に決着させた。突然に珈琲店の妻が転がるようにホテルに入ってきて、釦が戻ったならもういい、と収めてしまった。

 主人は手の骨を持ったまま、妻と帰っていった。とりあえず、め事も怪異もなかったことにしようとなった。私も、現地の人と揉め事を起こしたくない。

 その後、しばらくして珈琲店に顔を出したら、主人も妻も何事もなかったかのような態度であった。だが、しばらく八千代は連れていくまいと、かすかな緊張感の中で思った。妻の上着に、きちんと金貨を模した釦は留まっていた。

 結局、あの干からびた手はどうしたのだとは、聞けなかった。

 この話を李や林夫妻、センに話せば、それぞれが薄気味悪いことを教えてくれた」


※試し読みはこちらで終わりです。続きは書籍でお楽しみいただけますと幸いです。

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煉獄蝶々【五万字試し読み】 岩井志麻子 @iwaishimako

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