世界の終りにペンを持つ

 おお、久しぶりだな前山。え、俺の眉間のしわ? うるせぇやい、学部時代から俺はずっとこうだろ。……俺のことはいいよ、お前は最近どうしてた? お前は院でも優秀だったからな、研究所はどうだ? ……あはは、そんなに謙遜するなよ。確か睡眠の質を向上するって研究所に勤めてるんだよな。枕作ってるとこだっけ? 8時間睡眠だとしたら人間が一生のうち3分の1を預けるもんだからたかが枕、されど枕だよな。

 今確か政府と連携して夢と睡眠の質の調査プロジェクトやってるって聞いたぞ。大活躍だな! ん? ああ、研究室の後輩から何となく話は聞いてるよ。俺もなんだかんだ言って10年近くあの研究室にいたからな。

 え? 俺のほう? 

 えーっとな、実は今度単行本を出そうって話になってるんだ。今担当編集と打ち合わせ中。俺に担当編集が付いただけでもすごいのに、単行本、しかも今時漫画の短編集だぜ。短編集を出してくれる出版社もあんまりないからさ、ありがたいよな。……あれ、これ言ってよかったんだっけ? あはは、前山、これ内緒な。まあお前は口が堅いから言いふらしたりしないの知ってるけどさ。

 まあでもなんにせよこのご時世にありがたいことだよな。未知の感染症だ戦争だってどこもかしこも移民とか地下シェルターとかって話になって誰もいなくなった国もあるのに俺もお前もこうやって仕事があってやりたいことやれてさ。うちの国だって政府が地下施設だか、なにか国民を避難させる策を練ってるとかなんとかって話だけど。

 って、ごめん。直接会うのが久々なのにこんな湿っぽい話して。あ、そうそう、打ち合わせの時に担当さんに言われたよ。俺の描くものは……あれ? なんだっけ? えーっと確か……ッ、痛、なんだ急に。ごめん前山、なんか頭が痛くて。ごめんな、せっかく会いに来てくれたのに。

 ……あれ? 前山、なんで俺に会いに来たんだっけ? だってお前、用事もないのに誰かに会ったりしないじゃん。……んはは、「お前の顔が見たかった」ってなんだそれ、少女漫画かよ。照れるじゃん、俺もう大人なのに。……お前、人付き合い悪い癖に俺とはいっつも遊んでくれたよな。修論の中間発表で先輩にボロカスに言われた時も俺が泣いて愚痴ってるのを深夜2時の居酒屋で聞き続けてくれたしさぁ。俺が漫画家になりたかったのを俺自身だって諦めてたのにお前はずっと応援してくれたよな。出版社への持ち込みの時もずっと俺の話聞いてくれてたよな。……ありがとな。

 ……え? ああ、担当さんに言われたんだ。俺の描くものは絵がきれいでキャラも悪くない……け ど……。

 けど。

 けど……。

 ………………。

 ……………………。

 ……なあ、前山、俺は本当にプロの漫画家になったのか? 本当に単行本を出すことになったのか? なんで忘れてたんだ。俺、言われたんだ。講評をくれた編集部の人と話してる時に。絵もきれいでキャラも悪くないしストーリーもそれなりに面白いけど「どれもいま一つ」って。それで、アドバイスをもらって手直ししたのをまた見せてほしいって言われて。言われて……。

 ……。

 どうなったんだっけ……。

 ……思い出せない。前山、俺、お前に何か言ってなかったか? 俺、確か修正したネームを出そうとして……。あれ? そっちが嘘? ……嘘? 本当? 単行本のことは、ネームを書き直したのは……。夢でも見ているのか、俺は?

 え、前山? なんで謝るんだ? お前が謝ることなんて何もないだろ? 前山のせいって、どういうことだ?

 ……。

 眠っている? みんな……俺も? この国の人間の全員が? 感染症や戦争から逃れるために? それでここが夢の世界だって? 嘘だろ、『マトリックス』じゃあるまいし……。

 ……ああ、そうだった。みんな突然病院に行き初めて……。新種の病かって話が出回ったけど、解明されるよりも早くみんなどんどん病院に行って、帰ってくる者はいなかった。みんな眠りに行ったんだな。そうだ、あの編集部の人たちはどうしたんだ!? あの人たちは……。

 ……。

 皆、夢だと気が付かずに自分の本当に叶えたかった夢をかなえている、と?

 起こしてくれ。

 起こしてくれ、前山。俺を。起こしてくれ。

 ……嫌だよ、俺だって気付きたくなかったさ、ここが夢だなんて。俺だって漫画家になりたかったさ。でも……でも、気付いてしまった以上、何の確認もせずにそのまま眠り続けるなんて。そんなの……そんなの、あんまりじゃないか。 

 ……。

 本当か?! ありがとう、前山。……ありがとう。

 ……。

 …………。

 ……ここはどこだ? ベッド? いや……水。カプセルベッド? 本当に『マトリックス』の世界じゃないか。あいたたた、体起こしたとたんに腰がバキバキと……。あちこち色んなチューブがつながってるし……。このチューブは、えーっと、あの巨大な機械につながってるのか。すげーな、部屋一面のカプセルベッド……。

 ん、なんだこれ、政府主導国家安全プログラム『睡眠避難計画』概要説明書? プログラム実行メンバー一覧……。ああ、そっか、あいつこのプログラムのメンバーの一人だったんだな。……あれ、前山。前山、お前も眠っているのか。そうだよな、全員が眠ったって言ってたもんな。……ああ、思い出した。俺、確かお前に研究所の見学に誘われて、それで、出された紅茶を飲んだら意識が落ちたんだった。

 説明書は難しいが……すごいな、睡眠中に肉体が死亡状態になった後も意識はあの機械に残り続ける。これが避難計画の最終シークエンスなのか。こっちは研究日誌か? ……ああ、そっか、俺が最後まで眠るのを拒否し続けて漫画書いてたのを前山が最後まで庇ってくれてたのか。

 ……ごめんな、前山。お前がいつも俺の味方をしてくれてたの、すごくうれしかったよ。人付き合い悪いから俺はよく研究室の後輩に「ちょっと怖い」って相談を持ち掛けられたけどさ、お前はいっつも優しい奴だったな。だからさ、お前が応援してくれてた夢を不完全でも俺なりに成し遂げたいんだ。わがまま言ってごめんな。自分でも馬鹿なことだとは思ってるよ、だけど、せめてこれだけ終わらせたいんだ。

 えーっと、紙と……ペン、あった。話のモチーフは胡蝶の夢で、それから……。


 宮橋、研究所の人間は君のことを愚かだと言っていたよ。もちろん、口に出しはしなかったけれど。あの機械につながってカプセルの中で眠ってしまえばそこではどんな夢も思いのままだからね。かなわなかった夢も諦めてしまった夢も叶えられる。それなのに君は戦争と環境汚染と未知の病のはびこる地上で漫画を描くことにこだわった。残酷な現実の上にあってこそフィクションは意味を持つのだと言って。その真偽は分からないが、どれだけ忙しくても苦しくても描くことをやめなかった君がまぶしかった。中間報告のたびに泣きながらも論文を仕上げた君が輝かしかった。……再三のこちらからの説得で嫌な思いをしたのにわざわざ研究所に遊びに来てくれた君を騙すような形になって悪かったね。友人として、君にこんな現実で苦しい思いをしてほしくない気持ちがあるのは本当だよ。君の単行本だって読んでみたかった。その感想を誰かと語りたかった。でもそれよりもずっと、何か面白いネタを思いついたときに目の色を変えて慌ててメモを取る君が、あのころからずっと好きだよ。


 どこかの国の地下施設でペンを走らせる人がいる。施設内にあったわずかな食料と水と文房具をかき集め、座り心地の良いデスクに就くと地上の爆音がかすかに聞こえてくるのも意に介さず手を動かし続けた。そばに置いていたラジオ曰く、戦争をしていた国はついに戦争を放棄したらしい。平和的解決を選んだのではなく、前線にいた者たちから「生存放棄症候群」という病にかかり、眠ってしまったらしい。未知の病に侵され、医療崩壊した国もある。そうして、どの国もゆっくりと幕を閉じていく。ラジオはとぎれとぎれに世界各国の様子を届けたが、それもついには伝える者がいなくなり、伝える内容もなくなって、最後はMCが録音した祈りの言葉だけが流れ続けた。だがそれもじきに聞こえなくなった。地下施設の食料が底をついても漫画家は最後までペンを走らせ続けた。トーンの代わりに色鉛筆を使った。消しゴムをかける手に力が入らなくて、下書きのシャーペンの線はほとんど消えていない。けれど、ようやく出来上がった作品をかすむ目で読むと満足そうに息を吐いて、最後のページに震える手で「終」と書き込む。

「さて……前山に読ませる前にちょっと寝るか」

 かすれた声でつぶやいて、ひび割れた唇をかすかに持ち上げる。そうしてそのまま机に突っ伏した。大学院時代、徹夜した際に研究室でそうやっていたように。あるいは持ち込み時代、明け方の四畳半の自室でそうしていたように。

 そうして人類は永遠の眠りについた。




おまけ:以下の文章は、キャプション部に書きこんだ本作品のあらすじです。さなコン2ではこのあらすじも選考対象の一部でした。


 久々に会った大学時代の研究室の友人・宮橋が念願の漫画家になった。今度単行本が出るらしい。未知の感染症だ戦争だとせわしなく、どの国も避難や地下シェルターを作り、この国も大掛かりな避難計画が最終シークエンスに移行した今、こうして漫画家になって本が出せるというのは素晴らしいことだ。長年の友人のことならなおさらである。

 ……だが、それは現実の世界の話ではない。すまない、宮橋、君が過酷な現実でこそフィクションは意味を持つのだと言ったのを馬鹿にしているわけではない。だが、この国の人間は君以外のことごとくが眠り、そうして安らかに死んでいくのを選んだのだ。自分はこの避難計画の企画側の一人として、何より友人として、君が現実のことで苦しむのを見たくなかった。だけど宮橋、君がどれだけ苦しくてもいつでも本気で漫画を描いているのがまぶしかった。だから、特別サービスだ。君をこの世界から起こすよ。好きなだけ漫画を描くと良い、満足するまで。だから、書き終わったらそれを一番に読ませてくれると嬉しいな。

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SF掌編 鹿島さくら @kashi390

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