SF掌編

鹿島さくら

人類はみな黄金盤の上

 そうして人類は永遠の眠りについた。原因は核戦争とそれに伴い発生する大規模な環境変動、通称「核の冬」。21世紀初頭に始まった混迷と分断は22世紀の努力もむなしく23世紀初頭で本格化した。その結果、地球上の人類はそのことごとくが死滅したのだ。

「あれだけ青い星だったのに真っ黒になっちゃって、もったいない。敵を倒すために核を使った結果みんな死んでしまうだなんて、人間って本当に愚かだわ」

 一面が黒い雲に覆われた地球を眺めて、十二単の女は月の上で独りきりで嘆息した。いや、彼女の隣にいる無人探査機に搭載されたAIの認識によっては2人きり、かもしれない。

「デハ、かぐや姫、あなたハなぜ月ニ残ッタのですカ? 月宮殿ノ方々ハ全員移住したのデショウ?」

 VOYAGER ver.8の刻印がされた箱が喋る。妙に人間味のある声は約6500の言語を習得しているらしいが、今は日本語と中国語を交えて会話している。

 人類が滅亡した。それだけなら地球の問題、人類の自己責任、と言われて終わっていたかもしれない。だが事態はそれで済まなかった。今回の地球での核戦争は月に住まう人々に移住を余儀なくさせたのだった。

 月の人々が恐れたのは宇宙空間を浮遊する軍事人工衛星を破壊するべく放たれる予定の核弾頭であった。

 人工衛星の物理的破壊。これ自体は20世紀半ばから存在する発想だが、これに核弾頭を使用することは西暦1967年の宇宙条約において禁止されていた。だが、2300年代の戦争はもはや数世紀前の約束事に構ってはいられないほど苛烈なものになっていた。月の人々は大いに焦った。今はまだ大丈夫だが、万が一本当に核弾頭が放たれることがあれば月にどの程度の影響が出るかわからない。月の内部の巨大な空間にある月の都、その中央にある金と銀と青瑠璃でできた月宮殿の住人らは額を突き合わせ、ついに一つの結論を導き出した。

「我々はこの月の都を放棄する。いずれ地球の放った核弾頭による影響がここに及ぶ可能性がある。これより移住船を建造、これを以ってこの地より脱出する」

 こうして月に住む人々、月人たちは急ピッチで移住船を作り上げ、この星を去っていった。それが実に10年ほど前のことである。だが、人工衛星が破壊されることは終ぞなかった。そんなことをする前に人類は自身の首を自らの手で絞めてしまった。

 パラボラアンテナの付いた無人探索機に問われて、黒髪の女は心底あきれたようにため息をついた。無重力の世界で腰よりも長い彼女の髪と十二単にまとわせた羽衣がふわふわと漂っているのが人類の言うところの「優雅」や「優美」に相当するのだな、と過去のデータに照らし合わせて最新のAIは判断を下し、それをデータとして蓄積する。ボイジャー8号に積まれたAIは情報を収集することで成長する。

「どうして移住しなかったのかって言われても、仕方ないじゃない。……離れがたいんだもの。それに、愚かというのなら私たち月人も同じよ。地球人類など取るに足らないものだという慢心のせいで彼らの行動に対する分析が足りずに早とちりして星を出てしまったのだから」

 そう言って、かつて人の手で育てられた月人のかぐやは向こう側にある暗い星を見つめている。彼女が地球に滞在したのは1000年以上前、それもほんの短い間だったが彼女はあの地に言いようもない思い入れを抱いている。そこにはかつて愛した人々がいて、その子孫も生きていた。彼女が月に戻ってからもかぐや姫の物語は人々に語られ、彼女は月にいながら地上でもまた「なよ竹のかぐや姫」として生きていたのだ。

「それを言うならあなただってどうしてここまで戻ってきてしまったの? 冥王星よりもっと先まで行っていたのに。ねえ、ボイジャー8号」

「ボイジャー、デ良いですヨ。……これモ私ノ任務デス。万ガ一地球上ノ人類ガ死滅シタ際にハ地球ニ向かイ、地球ノ様子ヲ撮影してレコードニ記録する。ソシテ、それヲ完了した今こそ私ハ本格的ナ探索任務ヲ開始スル。月人ノようにコミュニケーション能力ヲ持った生命体ヲ見つけテこのレコードヲ渡すのデス」

 無人探索機ボイジャーはそう言ってパラボラアンテナをかすかに上空に向けた。人間であれば胸を張っているような具合だな、とかぐやはそれを見つめる。

「レコードを届ける相手、月人じゃ駄目だったの?」

「月人ノ皆さんハ地中カラ出て来ナカッタじゃナイですカ。それニ、大事なのハこのレコードヲ保存シテ貰うことデスカラ」

「……ま、私たち月人は月人以外には昔っから興味なかったものね」

 だから月人の都は月の内部に作られた。そうして人類は終ぞ月の真実を解き明かすことはできなかった。永遠の神秘であり続けた、とも言う。

「ソレデ、かぐや姫、あなたハまだここニ留マルつもりデスカ?」

 彼女はかれこれ10年はこうして月の地表に座り込んでぼんやりと宇宙を眺めている。優しい老夫婦のもとを離れ地上から月に戻る折、不死性を取り戻した彼女にとっては時間の流れなどあってないようなもの。鉱物で構成された身体が老朽化することもない。それ故に彼女は自身が望むのならいつまでもこうして月の上に座って、地球を覆う暗雲が晴れていくのを待つこともできる。

「ねえボイジャー、あの雲が晴れた後ってどうなると思う?」

「ソウデスネ……。長い時間ヲかけテ雲ガ晴れレバまた新たナ生命ガ生まれルデショウ。タダ、そこカラいずれ生まれル人類、あるいハそれニ相当スル生物ハ最早私たちノ知るソレではないデショウ。私ノ愛すル人類ハもうここニしか残っていまセン」

 そう言って無人探索機は自身に格納していた黄金のレコード盤を見せた。ゴールデンレコード、その表面にはver.2の刻印がされている。かつてボイジャー1号に乗せていたものから容量、内容ともにアップデートしたもので、様々な音楽や環境音や画像、動画が収められている。

「デスカラ私ハ行きマス。カツテこの星ニ私ノ愛しタ人類ガいたこと、それヲ誰かニ伝えたいノデス。……覚えていテ欲しイのデス。彼らノことモ、私ノことモ」

 合成音声の語りの末尾が微かに震えている。だが、それさえも作り物であることを聡い月人は理解している。だから彼女は苦笑して、パラボラアンテナを軽く指ではじいた。

「馬鹿ね、ボイジャー。人工知能であるあなたが本当に愛するなんてことがあるわけないでしょう」

「……ソウ、デスネ。私ヲ作った人々ガ言っていまシタ。砲撃デ揺れル研究所ノ地下室デ、私のパラボラアンテナに口づけヲして、私ノことヲ離レがたク、手放シがたク、愛おしいト。私モ、あの地球ヤ人類ヲそんな風ニ思ってイマス。デモ、もしかしたラ、この感覚ハ任務ヘノ使命感ガそうさせてイルのカモしれませんネ」

 そうして、苦笑するときの微かな呼吸の音が入る。月人は呆れて、それでも目を細めて親しげに笑う。

「ま、私とあなたと、偽物の愚か者同士でちょうど良いわ」

 かぐやはすっと立ち上がった。膝を伸ばすのは実に10年ぶりのことだったので膝がパキパキと音を立てて、足元に微かに乳白色の粉が散った。白や黄色の十二単がふわりと持ち上がって、彼女の足元で揺蕩っている。

「行きましょう、ボイジャー。ゴールデンレコードを届ける相手を探すのでしょう?」

「……よろしいノですカ? かぐや姫、あなたハ私ト違っテ本当ニ地球ヲ愛しテいるノデショウ? 離レがたク、手放シがたク思っているのデショウ?」

 人工知能の戸惑ったような声に、月に住まう天女は眉をハの字にして笑った。月白色の羽衣の放つ光に照らされて、彼女の鉱石の頬がちらちらと光っている。

「本当に愛してはいないわ」

「エ?」

「竹取物語を参照なさい。地球から月に戻るためにこの羽衣を付けて月人に戻った時に、私を育ててくれたおじいさんやおばあさん、それに地球の人々を愛する気持ちはなくなってしまったの。それは本来月人の抱く感情ではないから。月人の愛情は月人にのみ注がれるべきで、それが正しい在り方だから」

「ジャア、ドウシテ……」

「彼らを愛する気持ちは失っても、彼らを愛した事実は忘れていないわ。月人として誰かを大切に思ったり思ってもらうときに、いつも確かめてた。地球にいた彼らを愛して愛される時もこんな気持ちだったはずだって。私は確かに彼らのことをこんな風に思っていたって、言い聞かせるみたいに何度も、何度も」

 月人の黒々とした瞳が滲む。目尻に溜まった水分は無重力の中で球状になって彼女の顔の周りできらきらと輝きながら漂った。

「あなたと一緒。大昔に失ってしまったあの地球人類への愛を、偽物の愛をなぞり続けている愚か者よ」

 ふわり、と両者は月面を離れた。黒い雲の覆う星を振り返ることはなく、そのまま太陽系を抜けて冥王星よりも先、天の川銀河の外へ向かっていった。

 静寂の宇宙を、奇妙な2人組が漂っている。片方は人工知能とゴールデンレコードを搭載した無人探索機ボイジャー8号。もう片方は十二単に羽衣をまとい、長い黒髪に鉱石の肌の月人かぐや。2人は時折思い出したように黄金のレコードを回し、その音に耳を傾けた。今はもうこうしてでしか確認することができない地球人類の音、彼らのいた証。「夜の女王のアリア」や「鶴の巣ごもり」、ver2に新しく収録された曲としてはライヒの「WTC 9/11」など、多彩な音を穏やかなアンドロメダ銀河の闇に響かせながら進む。その音を聞きつけて、時折船がやってくる。どこかの星に住まう、地球人類とも月人とも異なる生命体の宇宙船だ。宇宙船はこの奇妙な2人組を迎え入れ、もう今は存在しない地球人類の話に耳を傾けた。中にはゴールデンレコードや彼らの地球人類の話を気に入る者もいて、ボイジャーの持っていたオリジナルからコピー版が出来上がった。ジャケットにはこの2人組の姿があしらわれ、アンドロメダ銀河中に流通した。地球を覆っていた黒い雲が晴れたという噂を聞き、その様子を見に行く者もいた。そうこうするうちに、かつて月から離れた月人たちの一部も故郷に戻っているという話も聞こえてきた。けれど、今は亡き人々を愛していた2人が天の川銀河太陽系第3惑星周囲に戻ることはなかった。

 いつしかこの2人組も姿が見えなくなった。その行方を知る者は誰もいないが、アンドロメダ銀河の人々はまことしやかにささやくのだ。黄金のレコードを携えて、この銀河を抜けて2人でまたどこかへ旅に出たのだろう、と。


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