第5話

 転機は約一年後に訪れた。ルキアの師、飛竜将軍ダルトスが、ルキアに会いに来たのだ。


『なんと、立派になられた、立派な戦士になられた。姫さま、やはり姫さまは戦王女に違いない』


 一年間での成長ぶりを見たダルトスは相好を崩した。そんな師にルキアはアルディクを紹介した。ルキアとアルディクの手合わせを見守ったダルトスは後から言った。


『あの者は大変な素質を持っているようです。もしも貴族に生まれていれば、私が直々に稽古をつけ、歴史に残る偉大な将官にも成せたかも知れない。……しかし、駄目です、あの者は』

『なぜ? なにが駄目なんだ?』

『あの者は生きる事を恐れている。世界を恐れている。それでは決して強い戦士にはなれません。命を惜しみ、世界を愛する者でなければ、真に強くはなれません』


 その言葉は、ダルトスが再び戦場へと去った後も、ずっとルキアの心に刺さっていた。


―――


 ある夜、ルキアは誰もいない中庭にアルディクを呼び出した。


『なんですか、ルキア』


 慇懃無礼な態度を未だ崩さないアルディクにルキアは歩み寄った。


『見せたいものがあるんだ』


 ルキアの掌には、紅玉の嵌めこまれた美しい指輪があった。


『ねえ、これ、綺麗でしょ? 母様が、お別れの時に下さった、御守り。これを見ると、母様を思い出す』

『綺麗ですね』


 自慢……? とアルディクは不審に思う。ルキアがそういう事をする性格ではないくらいは、嫌でも既に解っていたから。ルキアはその指輪を、アルディクのごつごつした指に嵌めた。


『? なんです?』

『あげるよ、きみに』

『なんでですか?! 大事なものなんでしょう?』

『綺麗なものを知って欲しいんだ。ここには、綺麗なものは、野の花くらいしかない。金木犀は好きなんだけど』

『……王都には、金木犀があるんですか?』


 思わずアルディクは尋ねていた。本当は、出会った日から知りたかった事。ルキアは笑って、


『王宮にはないけどね。離宮の裏山にたくさんあって。誰もそんな所に行きたがらなかったけど、私はあの場所が好きだったんだ』


 と応える。


『おれの故郷にも、金木犀がありました。王都にもあるなんて思わなかった』


 アルディクの警戒が少し、解けた。する必要のない警戒だと、ずっと知ってはいたけれど。


『金木犀のあるこの国……私たちが生まれた国。世界はいくさばかりだけれど、それでも私は世界を護りたい。そしていくさをなくしたい。金木犀を、綺麗なものを、好きなものを、護りたいんだ。きみにも、護りたいものを持って欲しい。とりあえず、綺麗で護りたくなるものって、これしか思いつかなかったから、これをきみにあげるよ』


 そう言ってルキアは指輪を嵌めたアルディクの手を握った。


『そんな……大事なもの、貰えません』


 アルディクは俯き、絞り出すように応える。なんでこの王女はこんな事をするんだ。自分の事なんか、いつだって放っておいて欲しいのに。あの試合の時に庇ってくれたおかげで、家族が死なずに済んだ。本当は、それだけでずっと感謝していたのに、どこかで意地を張っていた。


『じゃあ、代わりに、きみの大事なものを頂戴』


 ルキアはそう囁きかけた。アルディクの大事なもの。それは、訓練兵になる為に家を出た時に母親がくれた、粗末な麻織りの守り袋。


『こんな高価な指輪に見合うようなもの、俺は持ってません』


 と返答したアルディクにルキアは、


『きみもきみの母様から貰ったものがあるでしょ? 絶対大事にするから、私に預けてくれない?』


 と言いつつ、アルディクが怒らないかと心配げに顔を覗き込んだ。琥珀色の瞳は、アルディクに生きる理由を与えようと、ただそれだけを物語っていた。アルディクの中の何かが壊れた。あの一年前の日に、諦念が崩れて王女に剣を向けた時のように。大事なものは、物ではない。物に込められた想いと、想うひとなのだと知る。アルディクは母から貰った守り袋を懐から出す。ルキアは笑顔でそれを受け取った。


『綺麗じゃない! 刺繍がしてある』

『田舎の……庶民の……拙いものです』


 何度も辛い時に握りしめたそれは、もう原型を留めてもおらず、ただの汚い布きれのようになっている。それを、ルキアは綺麗と言ってくれた。


『ねえ、お互いに、これを護って生きようね!』


 ルキアの言葉に、それが言いたかったのか、とアルディクは納得し、そしてようやくその気持ちを受け止める事が出来た。


『そう……だね。こんな綺麗なもの、絶対に護らなきゃ』


 それからルキアは、深夜にアルディクに飛竜将軍仕込みの剣技を教えるようになった。アルディクはぐんぐんそれを呑み込み、やがて二人の腕前は互角になった。


 本来ならば、13歳になると訓練を終え戦場に送り込まれるのだが、ルキアの願いにより、ルキアが13歳になるまでアルディクは訓練場に留まった。二人が本物の兵士になって戦場に立った時、二人は無双だった。老いを感じ始めていたダルトスは、そんな二人を見て、アルディクに直々に指導し、次の飛竜将軍に推した。王は、思考するのも面倒くさがるようになっていたので、ダルトスの希望を容れてアルディクを飛竜将軍に任命した。


 20歳の竜将軍と、17歳の戦王女は、いつからか、同じ天幕で眠るようになっていた。庶民出とはいえども、国一番の戦士である飛竜将軍と、王族の特権を捨てて戦王女を名乗る娘が恋人同士になろうとも、異を唱える者はいなかった。王都に住む者は、最早ルキアを王族ともみなさずに、好き勝手に生きる戦乙女としか思っていなかったから。本当にルキアが世界を統べる事が出来れば、その時初めて王都の民は彼女を戦王女の生まれ変わりと認めるだろう。だが、それにはまだ届いていなかった。そしてアルディクとルキアは、恋愛関係にはなかった。ただ、互いに必要だと感じる、傍にいるのが当たり前……そういう関係だった。周囲がどう思おうと関係ない。指輪も守り袋も、それぞれが大事に持っていた。


 勿論、二人とも年頃になったのだから、異性としてまるで意識していない訳ではない。だけれども、そういう関係になってしまったら、二人の絆は陳腐なものになってしまう……という恐れが、二人を一定の距離に保っていた。

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