第6話

「で、どうだったの?」


 とルキアは見回りの結果を問う。飛竜将軍であるアルディクは、偵察を部下にさせつつも、自らも屡々危険を冒しても遠くまで索敵を行っていた。勿論、アルディク程に飛竜を自在に操れる者はないからだ。


「ああ、飛竜から見ても、敵影は行軍一日内にはないな」


 アルディクはそう言って、革袋の中の酒を喉に流し込んだ。冷えた身体がかっと温まる強い酒だったが、ルキアが手を伸ばして来たので渡すと、彼女もそれを口に含んで軽く飲み込んだ。本来の王女の姿であれば、陽の当たるテラスで細く白い指でカップをつまみ、高価な紅茶でも飲んで笑っていられただろうに、この型破りな姫は簡易兵装のまま、粗く鞣した革の敷物にあぐらをかいて、革袋に口をつけて酒を呑む。それでも、その姿もまた美しいといつもアルディクは感じていた。長年傍にいる間に、ルキアはアルディクに王都の暮らしを物語り、アルディクも生まれ育った貧村の生活を語った。一間しかない傾いた家の話をルキアは熱心に聞いていた。


『面白くないだろう、こんな話』


 華やかな王都の日々の娯楽について聞いていると、自分には縁のない世界と判ってはいても時には胸が高鳴り、それを見てみたい、という気にさせられてしまう。水が循環していつまでも噴き出してくるという庭園の噴水……そんな設備が村にもあれば、身重の母は村はずれの共同井戸まで水汲みに行って、重い桶を運ぼうとして転倒し、流産する事もなかったろうに。一方、村の話はただただ惨めな事ばかりのようにアルディクには思えた。けれどルキアは言ったものだった。


『村の人の方が、王都の人間より、生きる事の意味を知っているみたい』

『意味を知っていたところで、長く生きられないんだから何にもならない』

『そんな事はない。生きる事が当たり前の王都の人間には、有り難いという感情がない。あれでは生きている意味がないよ』


 そう言った上で、まだ納得のいかない顔のアルディクにルキアは、


『だから私は、生きる意味を知っている人々が豊かに暮らせる世界にする為に頑張るんだよ』


 と笑って言うのだった。か細い乙女の身体は、いくら戦技に長けているとは言っても、常に身を置く最前線では他の兵士と変わりなく死と隣り合わせ、幾度も重傷を負ったし、死にかけた事もある。その殆どは、部下を逃がす為の囮になった時だった。戦王女を名乗るルキアは、味方からは勝利を導く女神と慕われたが、敵にとっては最も潰してしまいたい存在である。幾度か暗殺されそうになった事もある。それもあって、アルディクは常に彼女の傍にいて生活を共にするようになったのだった。


「ふう、元気が湧いてくる」


 と彼女は言って、革袋をアルディクに返した。


「外は霧?」

「ああ」

「最近ずっとだよね。敵にも出会わないし」

「この森を抜ければローディスの村がある筈だ。敵兵はそこに潜んでいるだろう」

「あと三日くらいかな」

「ああ。戦力的には我が軍が圧倒的有利だ。あまり死人が出ん事を願おう」


 そう言ってアルディクは炉の傍の椅子に腰を下ろした。ルキアはまだ敷物の上に胡座をかいたまま、


「ローディスを落としたら次はどこかな」

「南のサレジアか東のオーランド辺りか」

「いったい、私たちいくつの国をおとしてきたのかな」

「おいおい、忘れたのか? 俺達が兵士になってから十、俺が飛竜将軍を継いでから八」

「……そっか」


 ルキアは軽く息を吐く。


「世界にはいったいいくつの国があるのかなあ? 私たち、いつまで戦うのかな?」


 この世界には世界地図がない。世界の果てを誰も知らない。隣国をおとしたら、霧の中からその向こうの国が見えてくる。そして、戦う。それが、この世界の歴史であり仕組みでもあった。世界の果てを、誰も知らない。


 ストルヘナは、おとした国を悪くは扱わない。敗北を認め臣従を誓った国にはストルヘナの王都から統治の為に王族の誰かが派遣され、それまでのその国の王族は一貴族家として存続を許される。庶民達は、ストルヘナ軍に併合される。

 昔、ルキアは、おとした国の庶民については、軍隊を解散させて普通に暮らさせればいい、と王都へ進言した事がある。これはストルヘナのいくさなのだから、他国の兵士はいらない、と。だがその願いは父王に黙殺された。おとした国には大抵それまで、ストルヘナ程厳しい軍事訓練の慣習はなかったが、白旗を揚げる事で王族は身の安泰を保証されても、庶民はストルヘナの庶民同様に子どもの頃から徴兵され、一層苦しむ事になる。


『処刑もしない。奴隷にもしない。これが慈悲である。ストルヘナは神の国であるのだから、ストルヘナに併合される事は祝福される事である』


 父親から送られてきた書簡を見たルキアはそれ以降、二度と同じ事は口にしなかった。兵士が増えれば、犠牲を少なく勝つ事が出来る。そうして勝ち進み、いくさのない世界を作ればいい……ルキアは自分にそう言い聞かせたようだった。


「きっと、もうすぐ終わる。ストルヘナから俺たちは随分遠くへ来た。もうすぐ世界は戦王女のものになり、その時全てが苦しみから解放される」


 アルディクはそう応えた。そう信じなければ、戦えない。終わりの見えないこのいくさを戦い抜き、望みを果たす為には、そう信じるしかなかった。ルキアは小さく頷いた。


「さあ、そろそろ出立の時間だ」


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