第7話
あの時あの天幕の中で会話を交わしてから、いったいどれ程経ったのだろう?
戦いに次ぐ戦いの年月はなかなか終わらない。常に二人は寄り添い共に過ごし、共に戦って……もう、いくつ国をおとしたのかさえ判らなくなった。
「おかえり、アルディ」
飛竜から下りるアルディクに、ルキアはいつもの笑顔で駆け寄ってくる。もう十代の乙女ではなく、大人の香りを漂わせた美しい女性だった。それでもまだ、アルディクはルキアから金木犀の香りを感じる事が出来る。アルディクの騎竜ウードは、その猛々しい外観からは想像できないような従順さで喉を鳴らし、ルキアに頬をこすりつけた。
「ウード、おまえは一体どこから来たんだろうね?」
ルキアはもう数え切れないくらい何度も発した質問を、人語を話さない飛竜に投げかける。世界の中でストルヘナのみが所持する飛竜はこのウードたった一騎だが、不老不死と言われ、幾千もの兵士に匹敵する働きをする。歴史が刻まれ始めた時、既に今いる飛竜は存在していたのだ。だから好奇心旺盛なルキアは、いつも飛竜のルーツを知りたがっていた。
アルディクの愛騎ウードは、彼が前の飛竜将軍から受け継いだもの。アルディクは、飛竜将軍ただひとりしか知ってはならない飛竜の秘密をも同時に受け継いでいたが、それは自身の半身と言える存在である戦王女にさえ明かしてはならないものだった。飛竜の秘密が洩れる事は、ストルヘナの終焉を意味すると伝えられているから。
「でも、私たちが全てのいくさを終わらせれば、もうそんな心配はないでしょう? その時は私に教えてよ」
普段は決して我が儘を言わないルキアが、この事にだけは妙な拘りを見せていた。
「そうだな。大丈夫だと思える世界になれば、その時は、きっとお前を連れて行こう。ウードの生まれたところへ」
「うわあ、ウードに乗せてくれるの? すっごい楽しみだよ!!」
飛竜はあるじ以外の人間を乗せる事は決してないが、ルキアが戦王女の役割を果たし終えたら、きっと彼女を乗せるだろう……アルディクは理由もなく確信していた。
「約束だよ」
「ああ、約束だ」
―――
「ねえアルディ、何だかおかしくないかい?」
はぁはぁと肩で息をしながらルキアが話しかけてくる。手には敵の血に塗れた剣。珍しく、今回は苦戦していた。疲弊した飛竜を後続部隊に預け、ルキアと並んで騎馬の上にあるアルディクは、じめじめした霧に顔をしかめながら、
「なにが?」
と問い返す。
「今、私たち、どこと戦っているんだっけ?」
「ローディスだろう。大丈夫か、ルキア、頭でも打ったんじゃないか」
「なんだか、聞いた事がある。私たち、もうとっくにローディスを倒したんじゃなかった……?」
「なに……」
「この森も、この霧も、何だか覚えがあるよ。どうして今まで気付かなかったのかな」
そんな馬鹿な事を、と言いかけてアルディクは言えない自分を知る。ずっと抱いていた違和感。
その時、茂みから敵兵が飛び出して来た。
「うあぁぁぁっ!!」
死に兵となったその敵は一目散にルキアを目指して槍を突き出してくる。
「ルキアさま!」
「将軍閣下!!」
周囲の部下が声を上げたが、皆、瞬時には動けない程に疲弊していた。
「無駄な足掻きはよせっ!!」
アルディクは怒鳴り、敵兵を切り伏せようとした。だがその時、
「やめて、アルディ!」
ルキアの高い声が響いた。一瞬手が止まったアルディクの脇を影が走り抜ける。騎馬から飛び降りたルキアは、敵兵の槍の前に身を晒したのだ。
「何してる、ルキア!」
「変えてみる……試したい」
敵兵の槍がルキアの鎧の隙間から、左肩を貫通する、その瞬間をアルディクは見た。
「……やったぞ! 悪魔の王女を討った……!!」
嗄れた声で敵兵は叫ぶ。茂みの中から歓声があがり、次々と敵兵が飛び出してくる。
「ルキア! このッ!!」
真っ白になりそうな頭に辛うじて理性を残し、アルディクの薙いだ大剣は空気と共に敵兵の首を一瞬で切り裂いた。ルキアは己を貫いた槍を握りしめてまだ立っている。そのか細い姿に、次々と敵兵が飛びかかってくる。我に返った自軍の兵士達も色めき立って騎馬に拍車をかける。
「悪魔の王女を討ち取れ! 非道の王国に負けるな!」
「戦王女を護れ! 我らの希望の星だ!」
それぞれの怒号が飛び交って、血しぶきが舞う。ルキアは自分で槍を引き抜いたが、大量の出血に膝をつきそうになる。その身体をアルディクは素早く拾い、己の馬上に引き上げた。
「将軍閣下! ここは我らに任せて退いて下さい! ルキアさまを安全な場所へ!」
副将軍が悲痛な叫びを上げる。アルディクは悔しさにぎり、と歯を噛みしめたが、その言葉に従う以外、ルキアを救う手立てはあり得なかった。
「すまぬ……ッ!」
そう言い捨てて、痛みに喘ぐルキアを抱きしめ、アルディクは後方へと馬首を向けた。
―――
初めての敗退だった。勿論、いくさ自体は負けた訳ではない。圧倒的な兵力差で辛うじて敵兵を退却させ得たものの、こちら側の痛手も大きかった。
「ルキア、しっかりしろ。この位の傷は今までにも乗り越えてきただろう?!」
傷自体は致命傷たり得なかったが、感染を引き起こしたようで、ルキアは高熱に喘ぎ、意識も途切れ途切れになっていった。
「なんであんな馬鹿な事をしたんだ! あんなただの兵士にやられるお前でもあるまいに!」
枕元に付きっきりのアルディクの言葉にルキアはうっすらと目を開け、苦々しく笑った。
「やっぱり、私も人間なんだね……傷も負うし、もしかしたら死ぬかも……」
「当たり前だろう! 王族も普通の人間と変わらないと俺に言い続けてきたのはお前自身じゃないか! 何を血迷ったんだ!」
「ちがう……王族だからじゃなくて……変化が、あるだろうか、と……思いついて……」
「変化……?」
「わたしたち……ずっと戦ってきた……もしかしたら、もうとっくに世界の果てまで行き着いて……それでもいくさを止める事は許されなくて……また元に戻ってしまったのかも……」
「どういう意味だ、ルキア」
けれど、アルディクの問いに答える力が尽きたように、ルキアは昏睡状態に陥ってしまった。彼女の手を握りしめるアルディクに、握り返す事もない。
◆◆◆
(まだ、だろう……)
(何故、駒が予定外の行動をとった?)
(こんな中途半端な終わりはいかん)
(やり直しだ。早く修理しよう……)
◆◆◆
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