第3話

「やっと本気になったのか!」


 王女は琥珀色の瞳を輝かせた。何を喜んでいやがるんだ。お前は人生で初めてのちょっとした痛い目に遭って、そして俺はそのせいでぼろぼろになって死ぬんだ。それだけだ。それだけでも……それだけでも、俺はいま、少しだけ、生まれてきた意味を持った。庶民でも、王族を打てるのだと、王族は神じゃないと、皆が知る!


 かぁん、と訓練用の剣が打ち合う音が、高く、鈍く、短く、大きく、鳴り響いた。上官達さえも思わず足を止めた。何百人もの観衆が絶対的な命令を受けたかのように静まり返った。それは、アルディクの反逆に驚いたからだけではない。十歳の少年アルディクの、おのれの生命を込めた一撃を、七歳の少女は正確に受け止め、弾き返したのだ。寸分にもその受けた剣の角度がずれていたならば、したたかに打ちのめされたのは少女の方であった筈なのに、針の穴のような細隙を見出し、少女は年上の少年の剣を跳ね上げた。


 アルディクは呆然となる。同期で最も強い、実力は皆が認めていた。上官達も、お前は飛び抜けて優秀な兵士になれる素質がある、と評価していた。それなのに、この、年下のお姫様が自分の剣を……。

 だが、それ以上ものを思う暇もなく、アルディクは後頭部を掴まれ、顔面から地面に叩きつけられた。


「姫さま! お怪我はございませんか?!」


 幾人もの上官達が叫びながら王女に駆け寄る。王女にかすり傷でも負わせようものなら、自分たちも処罰を免れない。そして数人がアルディクに飛びかかり、ねじ伏せていた。鼻が折れ、歯が折れたのがアルディクはわかった。でも、罰はこれからだ。そこまで覚悟していたのに、王女に負けたのが悔しかった。やっぱり王族は神なのか? 王族は何か特別な力を持っているから、庶民が王族の為に死ぬ事の方が正しかったのか? 自分は間違った事の為に、自分と家族の命を捨ててしまった……?


 上官達の叫び声も、観衆のどよめきも、どこか遠いところのものに思えた。今すぐに死ねたらいいのに、と思う。でも、神に逆らった自分にそんな恩寵が与えられる筈もない……。


「皆、退いて」


 その時、静かな、だが凛とした声がして、全ての音を消した。


「その子を放しなさい。これは、試合でしょ? 打ち合って何が悪い? そして、私は勝った。お前達がすべき事は、その子を打ち据える事ではなく、私を褒め称える事ではないのか?」


 上官達ははっとしたようだった。アルディクを押さえる手が離れた。


「お、王女殿下、アウレルキア・アリア・ストルヘナ殿下が勝利された! 皆、王女殿下に敬意と賞賛を!」


 その声に、呆然としていた観衆はすぐに我に返り、わあっと歓声を上げ、アウレルキアの名を熱狂的に叫び、神の力を持つ王女に大波のような祝辞を浴びせかけた。そうだ、これが筋書きだったんだ。王女が打ち、相手の兵士は少しだけ防御し、やがて打ち負かされる。皆が神の子と讃え、そして王族は満足げに王都へ帰ってゆく……。


「王女殿下には訓練のご必要はございません。神の力でもって、首席訓練兵士を負かされたのですから。王都へのご帰還の準備を今すぐ調えましょう」


 ああ、兄の時にも聞いた台詞だな、とアルディクは地に伏したままぼんやりと思う。そんな彼に、


「貴様、ただの処刑で済むと思うなよ」


 と傍にいた上官が吐き捨てる。そりゃあそうだろう。仮に、いくら王女が最初に言った通りに処罰なんかさせないように命じたとしても、王女が王都へ帰ってしまえば、自分を護るものなんか何もなくなる。王族に剣を向けた者を上が放っておく訳がない。そして、一人の訓練兵がこの世から消え去ったところで、いちいち王女がそれを知る筈もない。


 その時、賞賛の熱狂的な声がぴたりと止んだ。王女が手をあげて止めたのだ。


「賞賛は、この者にも向けて欲しい。……アルディク・アルム。神の子である私には、剣を合わせた瞬間に判ったのだ。この者は私に次ぐ強き者だと」


 そう言って、王女はアルディクに近付くと、その手をとって起き上がらせた。焦点の合わない目でアルディクは王女を見た。何が起こっているのかよく解らない。それは周囲も同じようで、束の間、誰も何も言えなかった。


「ひ、姫君、そのような者の手を……お手が穢れます」


 この場の責任者がようやくそのように言うと、王女は彼を睨みつけ、


「何を言う。私はこの者が気に入った。私はこの者を私付きに任命する」


 ひくっと責任者が息を呑む音が聞こえた。


「そ、それは、その反逆者を王都へお連れ帰りになると、いう、意味でしょうか?」


 王女はその言葉に、にやりと笑みを返した。大の大人に向かって自然にそんな態度を取れるとは、やはりこの少女は普通の子どもではないのだ、とアルディクはぼんやりと思った。


「私は王都へは帰らない。このまま、この訓練所で生活させてもらう。私は確かに勝ったが、まだまだここで学べる事があると思う」

「な、なんですと! 王族の方がここで生活なさると?! こんな不潔でなんの設備も娯楽もない場所で?! 有り得ません。それに、ご家族がお許しになる訳もございません」


 その言葉に、王女はあははと声を立てて笑った。


「なんの設備も娯楽もない所の方が、嘘と欲で塗れた所よりかましだと思うよ。それに、ちゃんと両親の許可は得ている。私が本気の勝負で成績優秀な訓練兵を負かせば、好きにしてよいと」


 王女は懐から封筒に入った立派な紙を出して見せた。


「これは……たしかに国王陛下直々の……畏れ多い……」

「一般兵と同じように扱えと書いてあるだろう?」


 少し得意げにそう言うと、王女は不意に剣を天に掲げて叫んだ。


「私は、伝説の戦王女になる為にここに来た! 私がストルヘナを世界の頂点に導き、いくさのない世界を作ってみせる!」


 伝説の戦王女……それは、ストルヘナの建国の伝記に出てくる乙女戦士。周囲の国を併合し、神と婚姻してストルヘナの王族を生み出した、鬼神のような美しき姫。そして、遠い未来に生まれ変わり、戦を終わらせ、ストルヘナの全ての民を神の子となすと伝えられる存在。

 栗色の髪が、黄色い砂混じりの陽光を浴びて、黄金色に輝いた。七歳の少女は神々しくも美しかった。鈍色の訓練用の剣が煌めいたようだった。呆然としていた上官や観衆は、次の瞬間には、お仕着せではない歓声を爆発させていた。


「アウレルキアさま! 戦王女!」

「ああ、庶民が神の子に!」


 そんな叫びに包まれながら、栗色の髪の少女は、アルディクに微笑みかけた。


「私の願い……叶える為に、手伝ってくれないか?」

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