第9話
飛竜のウードは、ルキアを拒まなかった。あるじと王女を乗せ、ただぐんぐんと空高く舞い上がり、ストルヘナの方角を目指す。
「いくさが終わったら、って約束してたのに、世界が終わったら、になってしまうなんて」
ルキアは小声で呟いた。初めての上空はこれも深い霧に覆われて、慣れている飛竜やそのあるじと違ってルキアには何も見えない。あの約束をした日には、平和になった世界を陽の光を浴びながら青空を飛んで見るつもりだったのに。
「まだ約束は果たし終えていない。ウードの生まれた所へ連れて行くと約束した」
「……ん、そうだね……」
どれくらい飛んだのかわからない。二人は身を寄せ合って飛竜の背に運命を預けていた。病み上がりのルキアの身体の負担を少しでも軽くしようと、アルディクはマントで彼女の身体をすっぽりと覆い、抱きしめた。彼女がしっかり健康を取り戻してからでも良かったのに、と少し後悔もしていた。寝込んでいた間にすっかり細くなってしまったルキアは、時折うとうとしながらも、アルディクの体温と男臭さに包まれて安心したような様子を見せていた。
やがて飛竜は降下を始めた。飛竜は世界中のどんな場所でも、行った事さえあれば自分で判断して向かう事が出来るのだ。
雲の間から、少しずつその下が見えてきた。アルディクとルキアは息を呑んで光景を見つめていた。
ルキアの生まれ育った王都のあった場所には、何もなかった。廃墟さえもない。大地とも海とも空間ともつかぬものがただ延々と広がっていて、それが二人の故郷、ストルヘナのいまの姿だった。
「ああ、母さま……」
ルキアは涙声で呟き、片時も離した事のない、アルディクと交換した母親の思い出の品をぎゅっと握った。アルディクも、ペンダントにして首から下げている指輪を無意識に掴んでいた。二人が護ろうとした世界は、もうない。いつの間にか消えていた。あの元いた野営地もきっともうなくなっている。戦王女と飛竜将軍の二人は、何もなくなった世界で二人きり、飛竜の背にあるたよりない存在に過ぎなくなっていた。
『長きにわたって、ご苦労だった』
空のどこかから声が響いてきた。
「だれだ!」
アルディクは精一杯の気力を振り絞って叫んだ。
『そなた達の言うところの神……だろうな』
と、その声は答えた。
「教えてください、神さま」
か細い声でルキアは言った。
「どうしてこんな事になったのですか? 戦王女である私は世界を平和に導けなかった……勝ち続ければ、世界からいくさがなくなれば、皆が平等に神の子になれると信じてきたのに」
『いくさはこの世界の運命だった。いくさがなくなればこの世界はなくなる。始めの戦王女は、文字通り、いくさを好む娘だった。だから我々は彼女に世界を与えた。飽きる事のない、いくさの絶えない世界を。不平等に民が喘ぐ世界を』
「そんな……じゃあ、私が目指したものは……」
『この世界からいくさがなくなれば、この世界は役目を終わらせ、消滅する。最初からそういうプログラムだった。長い間……そなた達の感覚で何億年もの間、それは続いてきたのだ。我々は時々、それを眺めて楽しんでいた。どの国がどう動くか、賭け事の種にもなった。我々は世界を終わらせたくはなかった』
「じゃあ、じゃあ何故! 救いを与えて下さらないのですか」
『アウレルキア、アルディク……そなた達という異分子がこの世界に生まれたからだ。生きる事を諦めず、生まれ持った運命に囚われず……そうした異分子の活躍が、最初は面白かった。だが、そなた達は夢を持って勝ち続け、遂にいくさを終わらせてしまった』
『わたくし達は、まだ楽しみたかった。だから幻影を与えて、ずっとそなた達を戦わせ続けた。もう何万年も、そなた達は戦い続けて来た。記憶を辿って、同じ道を何度も何度も行き来した』
別の声が混じったが、それは更なる残酷な事実を告げただけだった。
『そなた達は気に入りの玩具だったのに。これまでとは違った行動を取った時も、修復して続けさせようと思ったのに、全てが明らかになってしまっては終わりにするしかない』
これは神なんかじゃない。ただの残酷な遊戯者だ。アルディクは、遠いむかしに兄を殺したルキアの兄を思い出した。しかし彼らは、あの少年より遙かに大きな規模で同じ事をしていたのだ。楽しみの為に人を殺し、世界を殺し……。
「それでも、この世界を作ったものを、私たちは神と呼ばねばならない」
ルキアは泣きながら言った。寒さに震えていた。神々は、世界から温度も消し去ろうとしているようだった。
「あらがうことは出来ない……だから、たとえ夢でも構わないから、あなたといたいと言ったのに」
「ルキア」
「私たち、消えるのね。この世界ごと。ずっとやって来た事は、この世界の終焉を招く事でしかなかった……」
「ルキア、俺がいる。最後までずっと一緒にいる。そうだ、約束を果たそう。ウードの生まれた所を見に行くんだ」
「……」
涙を流しながら、ルキアはアルディクの胸に顔を埋める。アルディクは愛騎の手綱を引いた。もう、ストルヘナを見ているのも、神々との対話もまっぴらだった。
『…………』
神々はもう言葉を発さない。ただ、色んなものが少しずつ、奪われてゆくのが感じられた。温度も、色も、風も……。世界が生まれる前の、空虚な場所に戻そうとしているのだ。神々は、新しく別の遊び場を作るのだろうか。でも、もうふたりには関係のない事だった。
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