言の葉を燃やす

水鏡 玲

《言の葉を燃やす》

現代人はどうしてこうもデジタルが好きなのだろうか。

便利になった?

楽でいい?

気軽でいい?

手書きはダサい?古臭い?重たい?

あぁ胸が苦しい。私はただ貴方へ愛しい想いを伝えたいだけなのに。


私は文車妖妃ふぐるまようひ。名前から察することができるとおり妖怪だ。文車とは宮中や公家、寺院などで使用されていた文や書物を保管していた入れ物のこと。そこにしまい込まれた文に込められた想いや執着が積もり積もって鬼と化し生まれたのが私。

ずっと文車の中に引きこもって想いを募らせていたのだけれど、悶々としすぎて更に鬼が生まれそうだったから、気分転換にと久々に妖の世界から現世に降り立ってみた。

随分と明るく賑やかで華やか、煌びやかな街になったものだ。妖怪の私には眩しすぎる。目が眩む。着物は浮いて見えるのだろうか。道ゆく人の視線が突き刺さる。痛いほどに。所詮は引きこもりの執念から生まれた鬼。こんな場所、私には似合わない。あぁ、早く文車の中へ帰らなくては……

「あっ…!!」

焦った拍子に段差に躓き無様に転ぶ。土の道の方がよっぽど歩きやすいわ!!痛む体を起こし立ち上がろうとした時……ブチッと嫌な音が聞こえる。

「あぁ……なんてこと」

悪いことは重なる。草履の鼻緒が切れて私はまた地面に倒れ込む。長く伸ばした黒髪が地に触れる。着物も汚れてしまった。惨めな自分の姿に涙が溢れる。鼠色の地面に涙が黒く染み込んでいった。

「あの、大丈夫ですか?」

そう声が聞こえたかと思うと、目の前に手が差し出された。恐る恐る顔を上げてみると、そこには一人の殿方が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

「立てますか?どうぞ、掴まってください」

手を引かれ、ゆっくりと立ち上がる。こんな私にも優しくしてくれる人もいるのか。しかもなんと見目麗しい殿方なんだろうか。

「あの……」

「あぁ、これじゃあ歩きにくいでしょう。すぐ近くに靴屋さんがありますから、そこまで一緒に行きましょう。さぁ」

私が何か言う間もなく、殿方は私の手を引いて歩き出す。人の温もりに触れたのは何百年ぶりだろうか。だって私は妖怪。鬼。文車の中でただ想いと執念を燃やし続けていただけ。それだけの女。そんな私にこの殿方は親切に優しくしてくれる。

こんなの…こんなの……


「で?恋しちまったってわけかい?」

妖の世界に戻った私は、宮中にいた頃によく可愛がってくれた妖界の大御所、玉藻前様に今日の出来事を伝えた。

かつてその美貌と頭脳の良さを持って上皇を虜にし、日本はもちろんのことアジア諸国を股にかけたとも言われている大妖怪。現代日本でも愛され親しまれていると聞くから玉藻前様の魅力は衰えていないのだろう。こうして今向かい合っていても、美貌と見るものを惹きつける力は健在である。

「恋というと飛躍しすぎな気もしますが……なんと言いますか、その、胸が高鳴ったと言いますか……」

「それが恋であろう。人の恋文や手紙ばかりを読み漁って過ごしていたお前が恋というものに気付かぬわけがなかろう。とぼけるな」

フワフワとした扇子で自らを仰ぎながら玉藻前様は言う。あれは実は九本ある尻尾の一本なのかもしれない、なんて全くどうでもいいことを考えた。

「しかし、それではあまりにも短絡的な気が」

「何を言うておるか。恋とは短絡的なものだ。好きと嫌い、それしかない。付随するのが欲望だ。お前がその殿方を好きになったのならそれはもう立派な恋だ。存分に励め」

「励めと申されますが、一体どうすればよいものか全く見当がつきません」

私は妖怪。向こうは現代を生きる人間だ。そもそもの存在が違えば住む世界も違う。違いすぎる。今日は気分転換として現世に降り立っただけのこと。長期間向こうで生活するだなんて考えられない。むしろ無理である。あんな眩しく騒がしい街はごめんだ。

「文車妖妃よ、お前には手紙を書く才があるだろう。恋文を書けばよい。今の日本は手書きで文書を書くことがほぼ無いと聞く。不思議な世界になったものだ。しかし、だからこそだとは思わぬか?久しく目にしていなかった手書きでの恋文。綴られる美しい言の葉。自身への想い。心奪われる様が見えるわ」

「恋文ですか…」

確かに私は手紙を書くことが得意、いや、好きだ。恋文なら飽きるほど…実際は飽きないものだが…読んできた。手紙を、恋文を書けばいいんだ!


玉藻前様の元から文車の中へ戻った私は、すぐに筆を持った。殿方の顔や声、触れた手の温もりを思い浮かべると、スラスラと言葉が出てきた。しかし、書き終えて読み返すとハッと我に帰る。初回からこんなにびっしりと書いてしまっては向こうも驚いてしまうだろう。驚くだけならまだいい。恐怖を感じることもあるだろう。それは避けたい。悩みに悩み、何枚も書き損じを生み出した挙句に出来上がった文は

《本日はありがとうございました。とても助かりました。貴方のような優しい方と出逢えた私は幸せ者です。私のことを覚えておりましたらお返事くださいませ。》

というなんとも素気ないものだった。封をし、偽の名前と住所を記した後に妖力を用いて殿方の元へと送った。果たして返事はあるのだろうかと疑問であったが

「まさか……」

数日後に殿方からの手紙が届いた。なんの装飾もない茶封筒。乱れた文字。書かれていた文章も乱雑で、挙げ句の果てには

《今の時代に手書きなんてダサいし古臭いし重いし、気持ち悪い》

なんて書かれている。私に対する想いについては、正直言うとあまり期待はしていなかった。所詮は妖怪と人間だ。それでいいとさえ思っていた。けれど、手紙や手書きに対しての冒涜は許せなかった。それは私が長年大切に思い、しがみついてきた物を傷つけるには十分すぎる程だった。

気分転換のために降り立った現世だった。まさかそれが仇になるとは。いや、恋をした私が悪いのか。……違う。

「私は何も悪くない」

どす黒い炎が心に燃え上がる。あぁ、なんとも懐かしい感覚である。そうだ、私はずっとこの炎を宿していたではないか。この炎があるからこその私だ。

「許さない……」


それからというもの、私は毎日狂ったように文を書き続け、あの殿方へ送りつけていた。返事などなくてもいい。とにかく文を送りつける。手紙の、手書きの良さを分かってくれるまで。傷ついた私の心が癒えるまで。文字は私の心のようにどす黒い炎を持って紙に記されていく。妖気はたまた狂気。人間にとっては心を狂わし壊すモノ。人によっては命すらも壊すだろう。そんなことはどうでもよかった。大切なものを壊されたのは私の方だ。人間一人の命など

「どうなろうが知ったことか」


毎日のように言の葉を燃やし続けること数ヶ月。私は玉藻前様に呼び出された。私の醜態を嗅ぎつけたのだろうか。しかし焚き付けたのは玉藻前様の方だ。文を書けば良いと言ういう助言もいただいた。私はそれに従っただけのこと。何も悪いことはしていない。

「文車妖妃よ、お前の粘り勝ちだぞ。なかなかに面白いことをするじゃないか。さぁ、黄泉比良坂へ行ってみるがよい」

そう言い高笑いをする玉藻前様を後にし、私は訳が分からないままに黄泉比良坂へと向かった。全く、玉藻前様のお考えはよく分からぬ。しかし、坂の麓へついた時に私はあの高笑いの意味を理解した。

「あぁ……貴方はあの時の」

坂の下に佇んでいたのは、現世で私に手を差し伸べてくれた殿方だった。随分と病的な姿になっていたが、見間違うほどではない。けれど、ここに居るということは

「私を想うあまりに命を絶ってまで会いに来てくださったんですね」

嬉しさに涙が頬を伝う。傍へ歩み寄り、今度は私が殿方の手を取る。

「そちらへ行ってはなりませぬ。その先は地獄でございます。さぁ、こちらへ。私と一緒に楽しく幸せに暮らしましょう」

やっと掴まえた。私だけの貴方になる。


それから私は文車の中で殿方と幸せに暮らした。初めは怯えていた様子であった殿方であったが、慣れてきたのか

「愛しているよ」

と囁くようにまでなった。しかしその言の葉の先には欲望という厭らしい炎が見え隠れしている。

恋は短絡的。好きと嫌いしかない。それに付随するのが欲望。

殿方の欲望が私の身体であるように、私の欲望も殿方その人。厭らしい意味ではなく、ただ傍にいてくれればそれでいい。そうやって、長い年月を過ごしてきた。そう、長い長い時を。


「なぁ、文車妖妃よ。これは一体なんだい」

ある日、文机に向かう私に向かって殿方がそう声をかけてきた。顔を上げると、そこには頭蓋骨を持った殿方が青ざめた顔で立っていた。

「あぁ……見つけてしまったんですね」

残念だわ。もう少し貴方との時を過ごしたかったのに。立ち上がり、殿方の元へと歩み寄る。そして頭蓋骨を持つ殿方の手をそっと包んだ。

「これはね、過去に愛した方でございます。貴方には見られたくなかった。これを見られてしまったらもう……貴方は私を嫌いになるのでしょう?」

この恋は終わり。上手に隠して置いたつもりだったのに。私以上に執念深い男がいたものだ。この殿方に私を盗られたのが悔しかったんでしょう。

「嫌われてしまったら……私はもう貴方を愛せない」

黒い炎が殿方を包む。一瞬で骨だけになる。カラリと音を立てて崩れる骸の中から頭蓋骨だけを抱え持ち、奥の間へと繋がる襖を開けた。

カラリ、カラリ、コロリ。あぁ、この部屋ももうすぐ一杯になるわ。殿方の頭蓋骨をその部屋へ投げ込む。カラリ、カラリと過去の骸たちが音を立てる。

「しばらく恋はいいかしら。現世の人間との付き合いがこうも疲れるとは思わなかったわ」

次に恋する時は、同じ妖にしようかしらねぇ。そっと襖を閉じ、私はまた文机へと向かう。

「殿方へのお別れの手紙を書かなくてはいけないわね」

墨をする硯に涙が落ちる。何度経験してもやはり別れは辛いものである。それでも誰かを求めてしまう。そしてまた出会いと別れを繰り返す。


《さようなら。またいつか、どこかでお会いいたしましょう。愛していました。愛しています。これから先もずっとずっとずっとずっと………………》


私という存在が消えるまで、ずっとずっと。


愛しています。

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言の葉を燃やす 水鏡 玲 @rei1014_sekai

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