49's~54's_不死身の藤

第4話 FUJI AFFECTING

  1949年、西日本を中心としてワクチンを受けた多くの世代で、様々な能力に覚醒してしまう"NH2010"、巷じゃ噂の的になっていた。

 だが、そんなもんが飛ぶぐらいには、日本は大層な態度を取れるほど他人に興味すら持てなかった。どてらさえ、寒さを凌ぐのに必死でいて。親父の仕事が遂には、あのでっかい出雲からなくなりゃ、米粒も久しく見れたもんじゃなかった。俺はこの頃には、もう働きに出ていて。なんぞ偉い先生の、妙にシンメトリーな建物を見つめながら、ぼそっと呟かれた言葉に、上野で驚いたもんだった。ぼそっと、麻の帽子を被ったその身なりのいい、先生。その先生が、焼け野原を眺めながら。ああ、綺麗だと言った。それが耳に残りながらも、確かに無はいいもんだと感じていた。

 どうにも、注射針が肌を貫いてから。どうにも、俺は無が一切ない身の上になってしまって。考えれば、積み重なるだけの有がそこにはあった。

 その偉い先生は、新聞の配達先のひとつでいて。

毎朝届けるために自転車こげば、寄棟の家が広がる通りで、遠くにでかい重機が見ていた。それが気に入っているのか、その先生は口をつぼめながら、砂利道の端っこで毎朝飽きもせずに目玉を動かして。俺はそれがどうにも気に喰わない気分で、せかされているように感じる雰囲気が、腹立たしくもあった。

 その先生は客であったが名前もしらず、家に表札もかけないような無頓着な主人であったために、俺は最後まで名も知らぬ先生だった。だが、この先生は馬鹿げた人でもなく、確かに人としておおよそ、どうかしているとは思っていたが、それでも偏屈な男でもなく、ただの先生であった。

 新聞を届ける、そうすれば大概のことは耳に入ってくる。やれ、どこの魚屋が高くなっただの、次の政治家はよろしくないだの、そういった”生きた情報”が宙ぶらりんになっていた。先生はこれに目を付けたのか、新聞なんて目を通さずに、やって来た俺に向かって、毎回こう聞いて。

 _最近はどうかね。

 俺は困った顔を敢えてつくりながら、やれどこの誰が死んだなど陰気臭い話題を選んでいた。だが、先生はそんなことも屁でもないのか、にこやかに頬を上げながら。あれはまっさらな空を指さして、いつも人の話なんか聞いちゃいないお人だった。

_あそこに、お前さんの家でもこさえるか。

空襲で全て閉ざした雲のうえ、釈迦ですら喋る言葉を忘れたというのに。先生の言葉が頭から離れないまま、俺は持ち家なんて大層なもん持てるような。

 不死身になっちまった。先生のところまで配達に行く途中で、そりゃもう派手に坂から転げ落ちて、それでも血さえ出ずに、俺の剥けた肌の血栓は固まったままだった。あのワクチンが、俺を変えて。あのワクチンの残りカスだと知れ渡らなかった、知られることはなかった筈でいたと。それでも、上野の駅を降りた時点で、何になっちまったのか。親父は、俺をこれでもかと目玉を見開いていた。

 俺の目玉は、母親譲りだって言うから。

ぼろぼろの俺を家に招き入れた、先生は前よりもやせ細っていた。坂から転げ落ちた俺の姿をこれまた坂の上から覗いたそうで。無になれずにいる、有の蓄積が感情を震えさせながら。ふと、ふとだ。たぶん、俺は死ぬことはないのだろうと。

 奥座敷の暗がりが、先生の背中を吸い込んでいた。

_気味ぃ悪くないんですか、せんせい。

聞いた言葉は戻っては来ないもんだった。玄関の一部に小さなボトルに入った戦艦があった。あれは、大和だろう。それでいて、隣りに軍服に刀の青年が佇んでいた。その写真が擦れて、端は焼けて。なぜ、人は馬鹿をやると、燃えるのか。

 みな、燃え盛る夏に存在していた。

 _私は、家を建ててるんだ。

_ええ、知っております。

 _だから、人を守っているんだ。

茶を出された、熱い入れたての茶。いつだって配達は、先生の家が最後だった。ひっそりと暮らすように、まるで隠れるように。先生の家にはいつだって人はおらずとも、何かしらの目線が当てられていた。それは、親父の姉、おばさんが俺に向ける目ん玉に似て。静かに、静かに、それこそ坊ちゃんの母親を思い起こさせるような、そんな歪さがあった。

_守れた人は、どうなるんでしょうか。

 守られるべき人とは、きっと不死身の身の上でない者だろう。

俺も男だった、だから最初から思っちゃいなかった。だが、脳裏を焦がす臭いが焼け野原から、防空壕から、あのクソ共のプロペラ音が離れない。後を追いかけられた奴もいて、そのまま川に身を委ねた奴もいた。誰しもが鼻に煤をみつくろって、俺たちは幼心に、あの空に浮かんだ星空の嵐が恐ろしかった。丸玉が落ちてれば、そいつがぼんっというときもある。最後のほうなんて、そんな玉しか落ちちゃいかった。

 ひと思い、屋根は何を防いでいたのだろうかと。

 _知っているだろうか、...パラシュートを開いている男を撃ってはいかんそうだ。

例えそれが、_それが、クソ野郎でもな。

 建築の先生だった、内には激しさのある人だっただろう。だが、持ち前の理性が薄情にも、そいつを静けさに引き込んでいた。茶を出す手は震えすらなく、陶器に薄らと浮かんだ顔が、ゾッとさせる面持ちだった。そいつを、俺は知っている。

 人が、人でいることを諦めた一瞬。それを俺は、知っていた。

_皮肉なものだ、ほんとうに。

 _なぜですか。

_最も多く人を始末できるすべが、なにかを建てることだとは。

 たとえ、街に爆弾が落ちようとも、吹き飛ばされた箇所のみ死ぬのだろう。もし、そこに街があるのならば、それは美しい建物を巻き沿いに、一体どれだけ死ぬのだろうか。もし、一ミリでもズレた複雑な構造ならば、それはたわみを呼び、崩落を招くのだろう。人を守るためのものが、多くの人を殺せるとしたら、そいつは酷くロマンチックなやり口だった。

 どんな科学よりも、昔ながらの方法が美しいんだろうと。


_おまえに、不死身のお前に教えてやろう。


 1949年_先生は、俺に学を教えた。多くの人を守りながらも、殺せる危険性を秘めた昔ながらの美しさを学のなかった、ただのクソガキへ。


_再生され続ける、恐ろしさを。


 焼け野原だった筈でいた。

東京は、元の形を取り戻しつつあった。

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