第2話 FUJI BEGINING

  1935年、日本はまだ沸き立つ戦火に勢いを抱いていた。様々な思想や思わせぶりな科学が人の欲でもって、欲を呼びながら、世界は希望と絶望の混ざり合ったぎらつきに満ちて。そんなどこもかしくも、血だらけに生きていた、猛暑の折に。

 煮えたぎって、俺は産み落とされていた。

あれは三軒茶屋の真向かいの、古い産婦人科の奥で、桶に湯を張った状態のこれまた古いやり方が漬物石に響いていた。看護師の白さが天使でも招きそうな、照らす太陽でももって、俺は母親の胎内から引きずり出されてしまった。羊水がどばどばと垂れながら、ああ生きていくんだと言った感嘆を叫び。

 俺は、ただそこに存在を許されてしまっていた。

覚えている、母親の透き通るような目に浮かんだそれ。落ちていった雫一つ、真夏の蝉に弾かれながら、まだ息をしていると。

 ただ、次の瞬間にはその雫は燃えてしまって。聞こえていたサイレンに、木霊していたのは母親のもう少ない吐息だけだった。


 

 1940年、産み落とされた俺は最悪な事に、孤児ではなかった。母親が死んじまったことは情けない話、まぁ戦後よくあることであったし、なにより俺には父親が存在していた。名を勘九郎という。職業は整備士、出雲に世話になったらしいというのは親父の七輪の上でよく聞いた話だった。ぱちぱちとなる、酒のあてに、少しばかし俺に焼け焦げた梅干しを茶碗にやりながら。提灯垂れた電球が、ぶらぶらと。随分と裕福ではないにしろ、良い暮らしはしていた。それが、まぁまぁな家族の確執とやらを生み出していたのも事実であった。

 この頃は石ころが転がるたびに、近所のガキどもと別のガキを虐めていた。確か、陸軍のどっかのお坊ちゃんで、その割には体が小さい子供だった。あれをガキ大将のたっちゃんが、短い木刀を商店の家から持ち出しては、その坊ちゃんの尻を殴って。俺とその周りの奴らは、坊ちゃん見て笑いながら、今日も胸糞が悪いと。親父が俺を殴り飛ばすまでの間、随分と八幡宮の前の砂利でやりこんでいた。

 俺には、母親がいない。その所為でないものねだりに、欠けた存在だと指さされたくなくて、坊ちゃんの金の持ち方に、クソだと唾吐いては、たっちゃんの悪口を裏で言ってやっていた。まぁそれも、親父がとんかち持って、俺を引きずりながら、坊ちゃん家まで土下座しに行かされるまでの話だったが。

 世の中はしょうもなしに、出雲の整備士だった親父は、陸軍を偉く恐れていた。それこそ海軍なんか目じゃないように。だからこそ、坊ちゃんの綺麗に着こまれた軍服のような背広に、親父はびくびくしながら、酒臭い鼻を膨らませていたもんだった。

 あれは、どうしようなくデカい門をくぐった午後六時半。暮れのカラスが泣きながら、電柱の具合とその木目に引き寄せられて。焼き菓子のまだ食った事もない匂いが立ち込めながら、目元に傷のある坊ちゃんを前にした時だった。親父が、そこの儚い女主人に土下座しながら、じわじわと焦りを俺の背中にあった手でもって、汗で伝えていた。その、世の中なことを俺は褪せた思いで見ていた。

 女主人は、主人が留守中の代理であって。これまた坊ちゃんを妙な目で見つめていた。それこそ、たっちゃんの目ん玉のような、見下す目線ならば、まだ可愛いもんだと思わせるぐらい、その女主人は坊ちゃんを、いやまるで化け物を見るかのように、見ていた。そいつが気持ち悪くて、俺はさっさと頭を下げて謝った。そうすれば、いち早く、家に帰れると思ったからだった。暮れのカラスが、沈むように。坊ちゃんの横顔が下の磨かれた廊下に、日本家屋の恐ろしさに沈んでいった。

 1940年の暮れ、坊ちゃんの家が燃えてしまって。たっちゃんは、帰る途中にある川に飛び込んで、熱い熱いと言いながら。サイレンが、頭にガツンと響いて。

あれが空襲でないと、俺だけが知っている。


 

1945年、死が生をもたらしていた。その頃には親父が死に掛けて、右足一本、そいつをムスタングに持っていかれていた。不自由になったというのに、最早負け戦と化していた日ノ本は、太陽が出だけに、親父の脳みそは自由になり始めていた。港の近く、丘の上に棚田の端っこにいた俺は、奥に見えた船共の色どりを見つめながら。頭上を飛ぶ、星条旗を焦げさせられないかと。届くはずもないのに、泥んこ手に握りしめて、木で作り上げたパチンコをそれゆけと目掛けて打ち込んだ。ザっと聞こえたラジオから、どうにも馬鹿な話がのたうち回れば、産み落とされた日でもって、親父が鼻水ぐしょぐしょに。右足を引きずって、俺が引きずられていた筈が、いつ間にやら、親父は酒すら飲まずに。頭上を飛んでいった、その巨体を眺めながら。背を向けて、地面に頭を落としながら、大いなる海へと敬礼をしていった。

 敬礼の指先は、ピンと伸び。いつも頭下げていた神棚の裏にあるお方は、人にまで落ちてしまいながら。俺の泥が当たらなかったのか、泥すらないブーツが沢山、あちらこちらへ。上野に出向いた時には、もう何も残ってはいなかった。

 ただ、あんまり好いたもんじゃない学校がないことに、喜びを感じることにして。鮭が焼けたようないい臭いが、川の中から漂っていた。

 空を見上げて、米が食いたいと。投げ込まれたチョコレートを見つめて、そう思っていた。1945年、俺たちは何もかも負けちまって。

 _ちくしょう、畜生にも成れやしない。

親父が吐いた言葉が、死ぬほど忘れられずにいる。


 1948年、_訪れる、その日まで。

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