傘と毒針
ハヤシダノリカズ
傘と毒針
「雨が降るみたいだぞ。傘は持って行かなくていいのかー」
間延びした声でルームメイトの坂崎がそう言ってくる。オレは思わず「物騒な事を言うな。せっかくの休日に傘なんて持って行くものか」と言いかけて口をつぐむ。ここは住処だ。平和な方の住処だ。アジトじゃない。アジトじゃないここには平和な傘しかありはしない。「あぁ。ありがとう。小雨程度ならパーカーのフードを被るよ。大雨なら雨宿りだな。傘を持ち歩くの、好きじゃないんだ」オレは坂崎にそう答えて家を出る。
傘はヤドク姉弟を思い出させる。猛毒を持つヤドクガエルを
同僚である彼らだが、彼らの流儀は毒殺で、オレの流儀はその場にあるものだから、オレの仕事道具であるその場にあるもの……例えばただのハサミだとか何かの紐だとかは彼らには使えないが、彼らの毒を用いた道具はオレに使えない訳じゃない。ただし、致死量が極少量の猛毒を仕込んだ針やナイフなんてものは取り扱いが面倒すぎて好きじゃない。でも、彼らはたまに好意で言うのだ「雨が降るみたいよ。傘は持って行かなくていいの?」と。先端に毒針を仕込んだ仕事用の傘を持って行け、と。傘ならあなたにも扱いやすいでしょ?と。
知っている者にだけ扱えるギミックを動かす事で、傘の先端から鋭い針が出るその毒殺傘は、確かに便利なものかも知れないが、別に普通の傘でも目や喉を刺突すれば簡単に人は死ぬし、持ち手の半円を引っかけて窒息させる事もできる。オレにとっちゃそっちの方が楽で簡単だし、万が一オレがそんな使い方をする中で、誤って自分を毒針で刺してしまっては目も当てられない。ヤドク姉弟の好意をオレが素直に聞き入れた事は未だにない。
雨が降って来た。だが、ここはいつもの公園だ。雨宿りができる木の下なり東屋なりは熟知している。オレは一番近くにある簡素な屋根と長椅子だけがある休憩所に入り、椅子が濡れていない事を確認してそこに座った。壁も自動販売機もないそこで、おれはただ佇み、雨の公園の景色を眺めている。
一人の男が雨の中を走って来た。ソイツは綺麗に巻かれた傘をさす事もなく雨に濡れながら屋根の下に入って来た。
「やー、急に降ってきましたね」黒い帽子を被ったその男はオレに話しかけてきた。
「傘、持ってるならさせばいいのに」とオレは言う。
「あ、そうですよね。そう思っちゃいますよね。でも、英国紳士は傘の巻き方にもこだわりがあって、キレイな巻きを崩したくないが故に傘を敢えてささないそうですよ」
「あんた、英国紳士なのかい?」
「いや、ハハハ。違いますけど」
愛想笑いをしながら、男はハンカチで顔を拭き始めた。そこへ、オレのポケットの中のスマホが鳴る。
「もしもし。やぁ、カモノ。こんな時間に電話をくれるなんて珍しいな」オレはすぐ傍の男に気を使う事もなく、座ったままスマホで通話を始めた。
「すまねぇ、スズキ。傘を盗まれてしまった。例の傘だ。あの傘がなくなったタイミングを考えると、どうにもあの男……、スズキに恨みを持つあの男が持って行ったとしか思えないんだ。昨日、オマエがいないタイミングでうちに来て、オマエの恨み言を散々言っていたあの男が、あの傘を持って行ったに違いないんだ。気を付けてくれ!あいつはおそらくオマエを狙ってる!」
雨が地面を打ち付ける音がそれなりに大きいが、スマホから出ているカモノの声は帽子の男に聞こえているに違いない。男は傘の先端をオレの頬に突き付けて立っている。
「残念なお知らせだ、カモノ。
「スズキ……」
帽子の男は傘の先をオレに突き立てたまま、ニヤリと笑い、傘の柄にあるボタンに親指をかけ、力を込めた。
「やっぱり毒ってのは性に合わない」オレはカモノと通話を続けている。
「セイフティを解除しないままに毒ボタンを押したら、握っている柄の方から毒針が出る仕掛け、万全みたいだね」カモノは電話の向こうでケタケタと笑っている。
「オマエ達兄弟が作る毒の
「ま、スズキには必要ないもんな。でも、今回で何度目だ?オレ達の道具でスズキの敵を返り討ちにしたのって。案外役に立ってんじゃね?オレ達の道具」
「バカ言ってんじゃねぇ。いい加減そのザルみたいな管理を改めやがれ」通話を切り、オレは死体と一本の傘を見下ろす。
死体なんざ怖くもないが、その横の傘はどうにも不気味だ。
弟の作品をこよなく愛するビィが回収に来るはずだ。おれはその傘に触れる事もなく小雨になった公園を歩きだした。
傘と毒針 ハヤシダノリカズ @norikyo
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