ヒゲゲゲン

マルヤ六世

ヒゲゲゲン

 61

 クラスの男子で髭が生えてないのが俺だけだと知られたくなくて、学校ではひた隠しにしている。はっきり言わせてもらうと髭の男はダサい。髭が生えていないイケメン俳優の方が圧倒的に多いことからもわかる。

 髭を伸ばしている男は部屋の片づけとか絶対できないと思うし、テストの順位も低い。どちらかというと俺は顔も悪くないし、勉強も赤点は取ってないし、まあ運動もできる。バレンタインチョコも去年六個もらった。その内二個は部活の先輩の友チョコだけど。

 髭が生えている男は逞しいという世界常識みたいなのが消えない限り、俺は筋トレをしてもなんか弱そうな男に見られる。別に喧嘩に強くなりたいわけではないし、全然、小学生の時は少林寺拳法やってたし、ただ暴力とかが好きじゃないだけだし。


 昨日、父の毛生え薬を顎に塗りたくって寝た。今朝、顎が真っ赤になっていた。死ぬほど痒い。刺激がいいというのでシェーバーを当てた。ミミズ腫れになった。

 うがあ! どうすりゃいいんだよ! 髭ってなんなんだよ! 髭以外の産毛は生えるし髪の毛も生えてるのにどうして髭にならないんだ! 全身の毛という毛を全部剃って鼻の下に貼ればいいのか? 教室でこれみよがしに髭の話して、これっていじめにならないんだろうか。どう思いますか教育委員会。


「うおおおおおおお! ヒゲーーーーーーーーッ!」


 半狂乱になりつつ公園のベンチの上に立っていると、てん、とゲームのポップアップみたいな音を出して目の前に老人が現れた。仙人みたいな大量の真っ白髭を何束にもしてリボンで結んでいる。なんなら眉毛もだいぶ長い。やせ細って杖をついていて、葬式みたいな黒い着物を着ている。


「お困りのようじゃな」

「嫌味?」

「この儂が……え?」


 俺は老人の髭を勢いよく引っ張った。やーん、と毛束が声を出してひとつ抜ける。


「何しとるの!?」


 なんとかして肌と結合してほしい。俺は抜いた髭を顎に当てた。なんらかの毛力、滾ってくれ。


「いや、なんで抜くの?」


 無視して髭を顔にふさふさし続けていると、その内に毛の中から細い触手みたいなものが生えてきて、俺の皮膚の中にぐにょぐにょと潜り込んできた。鼻の下と顎を這いずり廻り、俺の髪色に合わせて黒くなって、やがて俺の一部になる。顔を振ると、髭がふぁさ、となびく。関羽的な見た目。完全に俺は今、漢になった。


「おじいさん、ありがとう……!」

「そんなに感動されるとやりにくいんじゃけど、ヒゲゲゲンの飼い方を説明しとくぞい」

「ヒゲゲゲン!?」

「その妖怪の名じゃ」

「妖怪!? なにしてくれてんだよ!」

「いやおぬしが勝手にやったんじゃからね!? ともかく、ヒゲゲゲンはおぬしの栄養を吸い取って成長する。きちんと栄養を取らんと儂のように痩せ衰えるぞ。こう見えてもまだピチピチの二十七歳じゃからね。デスクワーク中も首膝腰にガタがきて、夜眠れんし朝めちゃくちゃ早く起きるし、モンエナも一日二本しか飲めんようなった」


 ピチピチとか二十代が言うわけないし絶対嘘だろ。俺は髭を撫でる。やんやん、と鳴いた。ちょっと愛おしくなってくる。

 あと普通に生活が不摂生すぎるだろ。老人の顎からは髭がずるずると抜けて、眉毛も抜けて、禿になって、その毛たちは地面に丸まっている。そいつは老人に挨拶をするように毛束を振って、去っていく。


「見ての通りヒゲゲゲンは成人すると野生に帰る。それまで育ててやればよいのじゃ。ヒゲゲゲンが抜けるとなんか皮膚がいい感じになって、自分自身の髭も生えてくる。そう怖がることは……」

「は? そしたら俺は結局ヒゲ太を失うんじゃん! やだよ!」

「もう名前つけとるの? 大胆さと順応性を併せ持つ今時の子、怖いんじゃが」


 俺はヒゲ太をかばう様にして老人から逃げた。家に帰ってすぐに親がヒゲ太を抜こうとして、やんやん、と鳴くのを聞いて気を失った。




 翌日から学校での俺のあだ名は「長老」になった。ヒゲ太の動きや鳴き声が動物っぽいので、思っていたよりも最初のうちは女子にモテた。先生には切るように言われたけど、切ったら馬鹿みたいにでかい声を出して転げまわった後に近くの水分を吸いつくしてしまうし、そういうわけにもいかない。ヒゲ太が怒った後は、俺もすごく疲れて居眠りをしてしまう。

 ヒゲ太は授業中に俺が掃除当番じゃなくても勝手に箒を握って掃除をしたり、上級生は取ってくれない高いところの本を取ってくれた。教科書をめくってくれるし、購買の売り切れやすいパンを誰よりも先にゲットできる。髭が生えたらこんなに人生が変わるのかというくらい、学校で困ることが一つもない。テストも全然ないし。

 生物の先生は、これを「共生」と言うんだと教えてくれた。ドラえもんみたいな相棒ができた気持ちで、俺はいつか喋らないかとヒゲ太によく話しかけた。相変わらず、やんやん、としか言わないけれど、返事っぽいタイミングで返ってくるようになった。


 夏休みにはヒゲ太の観察日記をつけた。古典の國木田先生が興味があるらしく、俺は夏休みのほとんどを先生の家で過ごした。宿題も教えてもらえるし、ピザとかステーキとか、うちじゃ誕生日にしか食べられないものが毎日腹いっぱい食べられる。出前のパスタって結構うまい。しかも、ごはんの時にコーラとかファンタを飲んでも怒られない。


「僕が思うに多分……名前からしても、ヒゲ太は《けうけげん》という妖怪だと思うんだ」


 國木田先生は無精ひげを撫でながら、俺にカフェオレを出した。ヒゲ太は出されたアクエリアスをぺちゃぺちゃ音を立てて飲んでいる。先生がタブレット端末を俺に向けると、シーズー犬みたいなのが映されている。将来こうなるならかわいい。


「けうけげんには諸説あってね。始皇帝の部下であった女性が山に逃れて身の軽い仙女になったという説。それから、これは結構近代になって出た説だが、湿った床下に住んで疫病をバラまくという神としての説」

「どっちの話も、ヒゲ太が栄養をたくさん欲しがっているからっていうのと繋がってそうだね」

「そう、その通り! 前に若い老人に会ったと話してくれたけど、ヒゲ太が彼から栄養をもらっていたと考えると、病気になってしまうとか、身体が軽くなってしまうという話もしっくりくるね」

「ヒゲ太がお腹いっぱいになるくらい栄養を取れない、人間が悪いんじゃない?」

「もちろんそういう見方もある。例えば既に衰弱している人から栄養をもらってしまったから死期を早めた、とかね。マサ、君の場合は若いっていうのと、生体を知っているのが強みなんじゃないかな」


 先生はハンバーガーの包みをくしゃ、と丸める。俺はまだまだ腹が減ってるのでポテトとナゲットをつまんでいた。チョコシェイクをずぞぞ、と吸って、俺は寝転がる。ヒゲ太がほっぺにすり寄ってくる。


「くすぐったいぞ」

「クスグ……タイゾ」


 最近はオウム返しみたいに話すようになってきた。國木田先生には返事をしないので、宿主の言葉を学習してるみたいだった。ヒゲ太はどんどん増えて、俺はほとんどあの仙人爺さん(27)と同じほどに髭を蓄えている。でも、眉毛や髪の毛は特に増えていないし、ガリガリでもない。少し太ったくらいだ。


「仙女は毛だらけの空を飛ぶ老人だが、床下に現れるけうけげんは独立して行動しているように思える。成人になると、湿った場所を求めて移動するのかもね。それと将貴、これは真面目な話になるが……」


 先生は前置きをしてヒゲ太を見る。


「ヒゲ太は、生物の吉田先生が言うように君と共生している。寝ている間おでこに落書きしようとしたら手を髭で叩かれたんだが、覚えはあるかい?」

「先生なにしてんの?」

「まあちょっと好奇心でね。それから、君はナチュラルに放置してるけど、ヒゲ太、さっき普通に自分でアクエリアス飲んでたよね。君も痩せていかない。つまり、そいつはもう君から栄養を取る必要はなくて、とっくに成人しているんじゃないか? そのヒゲゲゲンは人の顎から抜いたと言ったね。なら、既にある程度成長していると考えるのが自然だ」


 俺はびっくりしてヒゲ太を抱きしめる。そんな、嘘だ。俺はヒゲ太とずっと一緒にいたい。それに、なんで先生は急にそんなことを言い出すんだ。

 先生の声はすごく優しくて、俺を諭そうとしているんだとわかる。國木田先生がこんな風にしゃべるのを俺は初めて聞いた。

 ヒゲ太は、ぼふんと膨らんでキリキリと音を鳴らした。歯なんてないけど、歯ぎしりみたいな音だ。細い毛が一本、先生に向かって飛んでいく。先生はそれを軽く避けて、話を続けた。國木田先生は腰が痛いって言ってたのに、なんでそんなに早く動けるんだろう。


「将貴。俺たちはヒゲゲゲンとお前を見守ってきたけど、他の人もそうだとは限らない。妖怪が恐ろしいものとして言い伝えられるのは、畏れをもって相対するべきだという先人の教えだ。もともとけうけげんとはこう書く」


 先生はノートに走り書いた文字を見せてきた。そこには「希有希見」と書かれている。習字みたいに綺麗な字だ。國木田先生は、もっと字が汚かった。


「希有希見。それは人前にはめったに姿を現さないことを示す。大食らいなことを除けばおりこうな妖怪だ。増やして売ろうとする、悪い大人だっているかもしれない」

「先生は、だから俺にいっぱい色んなもの食わしてくれたの? 早くヒゲ太が成人して離れていくように?」

「将貴。お前のお袋さんは脱水で入院してずっと点滴を打ってる。取り扱いを間違えればそうなるんだ。ヒゲ太が悪いとは言ってない。ただ、ヒゲ太にはヒゲ太の暮らす世界がある」

「そんなの、犬とか猫とかだってそうじゃん!」


 先生は数珠みたいなのを持って俺に近づいてきた。なんで先生がそんな、お祓いみたいなことするんだ。俺は先生からヒゲ太を守るように背中を向ける。

 と、ヒゲ太は俺の顎からするりと抜け落ちて、國木田先生に毛を立てて威嚇し始めた。ぶぶぶぶ、と毛が震えている。俺を守るように毛をカーテンみたいに広げて、どこから先生が来ても栄養を吸い取ってやる、というような態度を示す。


「大丈夫だ。強引にどうにかしたりしない。将貴、落ち着け。ヒゲゲゲンに怒りを与えるな」


 先生は数珠を下ろす。でも、ヒゲ太は怒った犬みたいな声をだして唸ったまま、先生にじりじり近づいていく。寝ている時にヒゲ太に叩かれたというけど、俺はヒゲ太が食欲に関係なく人を襲おうとするのを初めて見た。

 いや、そもそも。わかってはいる。人里に降りた熊だって、民家に巣を作る蜂だって、人間は悪意で駆除するわけじゃない。向こうだってそうだ。

 俺はヒゲ太が不思議な生き物だって、いつか別れることが前提だって気づいたから老人から逃げた。でも、俺はヒゲ太の親だ。自分で育てておいて、責任を放り出すなんて、そんなのは最低だ。


「……ヒゲ太には仲間がいる? 暮らしていく場所もちゃんとある?」


 ヒゲ太がぴくりと反応する。けばけばじゃなくなって、俺に巻き付いてくる。俺だって離れたくない。


「希有希見が群れを成す話は聞いたことはないが、成さないとも聞かない。ヒゲ太はコミュニケーションがうまいしな」

「おじさんはなんなの? 國木田先生じゃないよね?」


 ん、と先生は振り返る。視線の先にはお札があって、そこにヒゲ太の毛が刺さっている。

 気づけば、俺がいるのはお寺だ。大きな仏像がある広間に立っている。國木田先生は知らないおじさんで、葬式みたいな着物を着ていた。


「おいおい、結界破りか。ひょっとするとヒゲ太は妖怪なんぞではないかもしれないな……っと、質問に答えてなかったな。俺はお前の親に頼まれた寺の坊主だ」


 お坊さんは、にか、と人のいい笑みを浮かべる。俺の頭を撫でる手は大きくて優しい。ヒゲ太もようやく緊張が解けたようで、床にだるんと広がって、やんやん言いながら匂いを嗅ぐ犬みたいにずるずる這いまわっている。


「落ち着いて聞くんだぞ。お前の母親が入院してから、お前はロクな食事を取ってなかった。そして、そのまま学校に行った。ヒゲ太はお前を害さないために栄養を奪わず、代わりに周囲から取り込めるよう適応していった。覚えてるか?」


 あんまり覚えてない。


「学校を一頻り食事して回ったお前は吉田先生にヒゲ太のことを聞きに行った。先生はお前の親父さんに連絡してすぐに倒れた。そして、親父さんは俺に連絡してきたわけだ」

「ヒゲ太は……悪くない」

「そうとも、悪くないさ。ヒゲ太が短期間で栄養を取ろうとしたのも、早くお前の顎から離れて、自由にお前を守ろうと思ったからだろう。ただ、結果として全生徒全教師が倒れたことは事実だ」

「俺のせいだ……!」

「そうだな。お前がナニカに選ばれて、育てなきゃならんようになったこと自体は事故だ。だが、話も聞かずに逃げたのはお前の責任だな」


 ヒゲ太がのし、と音を立てて毛を床に這わせる。みしみし、とお堂が揺れる。ヒゲ太は俺を好きだから、俺が怒られてヒゲ太も怒る。


「どうどう。反省してるなら俺は怒りゃしねえよ。手も回しておく。ただ、多分俺たちが思っているよりもヒゲ太は神聖な存在だ。多分、どこかのご神体の幼生か……ともかく飼うことは、無理だ」


 きっと、さっきまで俺は幻を見ていた。この人はすごいお坊さんで、そのお札をすぐに壊したヒゲ太はただのかわいいヒゲ妖怪じゃないんだろう。


「……ヒゲ太。お別れだ。もうヒゲ太は自分でご飯を食べられる。俺だってずっとヒゲ太を守ってやりたいけど……俺も大人になったら家を出ていくもん。ヒゲ太も、ヒゲの女の子を見つけて、幸せになるんだぞ」

「やん!」


 ヒゲ太はぷるぷる震えて俺の足に縋りついた。俺は一生分ヒゲ太を抱きしめた。ぎゅう、ぎゅう、と抱きしめても毛なのでするすると倒れていく。砂を掴んでいるみたいで、悲しかった。


「ヒゲ太。ちゃんと加減してごはんを食べるんだぞ。せっかくふさふさなんだから、お風呂にも入って綺麗にするんだぞ。それから、それから……俺は、ヒゲ太のことずっと大好きだぞ!」

「やん……」


 おじさんがしてくれたように、俺はヒゲ太を優しく撫でた。ヒゲ太は途中何度も止まりながら、お堂から出ていく。俺は追いかけたい気持ちを一生懸命こらえた。


 お寺の外には毛玉がいくつか転がっていて、俺と目が合うと、しゃなりと会釈をしてヒゲ太を連れて去っていく。俺はおじさんに縋り付いてわんわん泣いた。遠くで、やーん、と俺を心配する声が聞こえて、俺は口を精一杯横に引っ張って、泣くのを我慢した。




 あれから一年が経つ。学校はいつも通りで、誰もヒゲゲゲンを覚えているやつはいなかった。あとマジでこれは許せないんだが、結局髭は全然生えてこない。あの老人は嘘つきだ。

 それなのに、俺は変わらず「長老」と呼ばれていて、生徒会長なんかをやっている。両親は俺のことをいつの間にかしっかりしたなんて言ってくるけど、今でもたまにお寺に行ってこっそり泣いている。今年の冬には受験も待っている。実力より二個上の学校を受けるつもりで勉強しているが、これだけはマジだったらしく、あの老人の言うように一日にモンエナは二本以上飲めないことが判明した。胃がもたれて、最近やばい。全然眠れないし。


「アブ、ナイ」


 ふと、声が聞こえた気がして単語帳から視線をあげる。

 クラクションがなって、思わず飛びのいて、足をひっぱられるように歩道に戻る。歩行者信号が赤なことを気づかずに渡っていたらしい。

 振り返ってもそこには誰もいない。ただ、飲みかけのタピオカラテがきれいになくなっている。道路にも零れていない。ただただ、街路樹の影ががさがさと揺れていた。


「……ありがとな、ヒゲ太」


 俺は一人呟いた。やーん、と遠くで声がする。



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ヒゲゲゲン マルヤ六世 @maruyarokusei

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