食わず女房
かなぐるい
食わず女房
むかしむかし、喜兵衛という一人の悪知恵ばかりがよく働く札付きの男がいた。
ある月の綺麗な晩に、男は友人である与一を家に呼び出し、酒を飲みつつ談笑に耽っていた。
「そいやよ、与一。おめぇも、ついに嫁を貰ったんだってな」
喜兵衛が聞くと、与一は待ってましたとばかりに片膝をついて身を乗り出し、
「そうなんだよ。今までは、お前さんとバカな事ばかりやってきたが、これからは心を入れ替えて真面目に働いてやろうって意気込んでるとこよ。喜兵衛もよぉ、早く女房になってくれる人を見付けるんだな。まあ、お前さんの評判を知ってて寄ってくる物好きなんざ居ないだろうがな」
と油紙に火を付けた様な調子で捲し立てた。
「おめぇ、祝いの言葉の一つでも言ってやろうかと思ってたのに、むしろ一発ぶん殴ってやろうか。いや、殴らせやがれ! 嫁貰ったくらいで浮かれやがって、こんちくしょうめ。大体な、嫁なんざ貰ったって、おめぇは養うことが出来んのか? 路頭に迷って野垂れ死ぬのがオチよ」
酔いもまわっていたせいか、お互い饒舌に語り合っていると、突然、与一が真剣な顔になり言った。
「でもよ、もし、もしもの話だ。お前さんが嫁を貰うとしたら、どんな女がいいよ?」
「なんでぇ、そんなに聞きたいか。そうさな、美人で、俺の代わりに働いてくれて、俺に飯を食わせてくれる。そんな嫁さんが欲しいなぁ」
喜兵衛が真顔でそんなことを言うモンだから、与一の真剣な顔は盛大に崩れ、それを見た喜兵衛も頬が緩み、お互い顔を見合わせながら大いに笑い合った。
ひとしきり笑った後、喜兵衛はまた真剣な顔になり、言った。
「ああ、それともう一つ、子持ちはダメだな」
それを聞いた与一はキョトンとして尋ねる。
「へぇ、いったい何でだい?」
すると、喜兵衛はにやりと笑い
「そりゃあ、嫁さんが美人なのに子供がいたら邪魔だろうよ」
それで合点がいったようで与一も「違えねぇな」と笑ったのであった。
そんな話をして三日ほど経った朝。
与一の家に純白の上等そうな浴衣を身にまとった喜兵衛が訪ねてきた。
「おう、喜兵衛。どうした、今日は随分と洒落た浴衣着てるじゃねぇか。良いことでもあったか?」
居間に上がるや否や、与一が尋ねる。
すると喜兵衛は満面の笑みを浮かべ呟いた。
「・・・ったんだ」
声が小さくて聞き取れなかった与一は聞き返す。
「え、なんだって?」
「嫁さんを貰ったんだ」
今度は与一の耳にしっかりと声が届いた。
「なんだ、なんだ。頬が痩せこけてるから、悪い報せかと思っちまった。でも良かったじゃないか。おめでとさんよ」
「おう、ありがとうよ。にしても、恩に着るぜ。あの日、おめぇさんが帰った後に女が来てよ。嫁にしてくれって言うんだ。今までは嫁さんを貰う気なんざ、サラサラ無かったんだがよ。おめぇを見てたら欲しくなってな。それが、大正解だったわけよ」
喜兵衛の話を聞いた与一はびっくりして聞き返した。
「おいおい、まさか見ず知らずの女を嫁にしたってのかい! こいつはたまげた」
しかし、喜兵衛は与一の前に掌を向け制止させる。
「まあ待て。こんなんで驚いてるんじゃ先が思いやられる。なんとまあ、それだけじゃなくてな。その女、えらく別嬪なのよ。あれは、ここいらの男共を十人集めたら十人みんなが美人だと言うくらいだぜ」
「なんだって、そいつは羨ましい話だな、おい」
与一が目を丸くさせ驚いていると、それを見た喜兵衛はニンマリと笑い、それから続けて尋ねた。
「おうおう、ところでよ。おめぇん所の嫁さんは飯を食うだろう?」
「そりゃ、食うに決まってんだろう。仕事すりゃあ、どうしたって腹が減るからな」
それを、うんうんと頷いてから
「だがな、俺の嫁は飯を食わないんだ。それに俺が働かずとも、見たこともない綺麗な
さすがの与一もこれには驚いた。飯も食わず、更には金に換わる物まで持ってくるという。喜兵衛は浮かれていて気付いていない様子だが、どう考えたって怪しすぎる。
「それじゃあ、嫁さんも待ってる事だし、そろそろ帰るとするわ」
与一はその声で我に返った。
「お、おう。また来い」
そうして喜兵衛は帰っていった。
喜兵衛が嫁を貰ってから、早くも十日ばかり過ぎた。朝から晩までぐうたらと布っ切れにくるまり、横になっているだけの日々。さすがの喜兵衛も暇で暇で退屈になってしまった。嫁さんは何処かに行ってしまっている。朝の内に用意されていた飯もすでに平らげてしまった。
今は何時だろう。喜兵衛は起き上がろうとするが身体に力が入らない。食っちゃ寝、食っちゃ寝を繰り返しているにもかかわらず、日に日に身体の肉が削げ落ちているようだった。
昨日もたんまりとご飯を食べたのに太るどころか痩せていく。ここにきて、ようやく喜兵衛も何かおかしいと思い始めていた。
「まさか、俺に変なモンでも食わせてやがんのか?」
そう考えると、不自然な身体の痩せ方もしっくりくる。あの女、もしそうだったとしたら、ただじゃおかねぇからな・・・。
そんなことを考えていると嫁が帰ってきた。手には小さな米俵を持っている。
「すぐにご飯を作りますからね」
そう言うと釜に薪をくべ、火を起こし、
料理支度を始めた嫁を横目に見ながら、喜兵衛はくるまっていた布っ切れを取っ払い、なんとか立ち上がろうとする。しかし、足腰は馬鹿になってしまっているようで力が入らない。
それもそのはず、辛うじて上半身を持ち上げた喜兵衛の目に飛び込んできた自らの下半身の有様ときたら、まるで骨と皮だけになっていたのだ。
「うわぁ! どうなっちまったんだ、俺の身体は」
叫び声を聞いた女はクルリと振り返って、喜兵衛の方を向いた。
「あら、どうしたんです」
「どうしたもこうしたもあるか。俺の足を見てみろ! まるで鳥の足みたいにガリガリになってるだろう。おい、おめぇ食いもん中に何か変なモン入れてねぇだろうな!」
「いいえ、入れてませんよ」
女は首をふるふると横に振って否定した。しかし、浮かれ気分の吹っ飛んだ喜兵衛は、この実に奇妙な女を信用出来るはずもなかった。
「もういい。お前とは別れる!」
気付いた時には、そう叫んでいた。
「別れるですって?」
女はその言葉を聞いた途端に、顔に貼り付けていた笑顔を消した。その顔はのっぺりとしていて、まるで死人のようであった。
「そうだ。お前を嫁に貰ってから俺の体は弱まる一方だった。これがお前のせいでなくて誰のせいだっていうんだ。えぇい、さっさと俺の家から出ろ!」
男が喚き散らしていると、女がスーッと男に近寄ってきた。そして、男の顎に手を這わすと耳元に口を寄せて囁く。
「それは出来ませんよ。だって貴方は私達の大事な食糧なんですからね」
そう女が言うや否や、家の隙間や天井から無数の小さな蜘蛛がわさわさと這い出てきたのである。
「ひぃっ!」
男は悲鳴をあげた。そして、狼狽し女の顔を見る。
「おい、さっきは言い過ぎた。ゆ、許してくれ」
そんな男の嘆願など露知らずとばかりに、女はぷいっと顔を背けた。
「顔を向けてくれよ。なあ、話を聞いてくれ」
「えぇ、聞きますとも。その為に今から顔を向けるんですよ」
嫁が身体を後ろへと向け切ると、艶やかで黒い長髪が女の半身を覆い隠す。かと思えば突然、髪のちょうど真ん中からガパッと大きな穴が空いた。
「なんだそりゃ、……ひぃっ!」
穴の奥からキラリと光る赤い点が八つ覗く。
それから女の身体は抜け殻のようにするりと地面へ落ち、穴の中からは大きな蜘蛛が這い出てきたのである。
大蜘蛛は尻を喜兵衛へ向けると糸を放った。糸は喜兵衛の身体を絡めとり、その周囲を大量の小蜘蛛たちが纏わりついてくる。
「栄養の詰まった人間の血が私達の大好物なのです。これからも殺さないように大事に大事に生かし続けてあげますから、新鮮な血をこの子たちに与えて下さいね」
それを聞いた喜兵衛はサッと顔を青くさせつつ、最期に悪態を吐いた。
「ちくしょう。これだから子持ちはダメなんだ」
食わず女房 かなぐるい @kanagurui
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