~ほんだい~
とうとうこの時が来てしまった。
これまでひた隠しに隠し抜いた、僕の内なる
男が立ち上がる理由なんてひとつしかない。
それは、立ち向かうべき男が現れたからだ。
これまで交わることのなかったその相手だが、交友関係の少なさに定評のある僕でさえ、その名を聞き及んでいた。
男の名は「青空ひかり」という。
その清涼感溢れる名前に反して悪名を轟かせる、いわば不良である。
青空ひかりとは元は別のクラスであったが、進級に伴いクラスが一緒になってしまった。
不良とは縁遠い僕らの集団は彼とは距離を置いていた。
だが、青空ひかりはその切れ長く鋭い眼光を僕らに向けた。
教室の隅の方で誰にも迷惑を掛けまいとこそこそ談笑していた僕らに、青空ひかりは「楽しそうじゃん。なに話してんのー?」と割って入った。卑劣な男だ。その細長い両腕を僕らの肩に回し逃がさんとする。
それまでの「キャッキャ」「うふふ」の僕らの戯れは鳴りを潜めた。
友人たちは怯えていた。
無論、僕も怯えていた。
だが、内なる
・.*~*~*.・
「どうした、金剛力士アヤメ! 我らの楽しみに横やり入れるこの不届き者を張り倒さないか!」
「無理だよ、そんなことできない」
「この、臆病者のへっぴり腰め!」
「好きに言いなよ、僕にはできない」
「ふん。ならば右手を見せてみろ」
「こう?」
「グーにしろ」
「こんな感じ?」
「そこにあるのは何だ?」
「グー?」
「バカヤロウ! 男のゲンコツに決まっているだろう!」
「痛い! ひどい、また殴った! 法的処置を取ってやる。民事に訴え出たっていい!」
「その気概があるならあの男にぶつけろ! その男のゲンコツを使って!」
「できないよ、それはできない」
「なにを!」
「違う! 違うんだよ」
「何が違うんだ!?」
「まだ、その時じゃないんだ」
「どういうことだ?」
「まだアイツは何もしていない。僕らの会話に入ってきただけだ。それなのに男のゲンコツをお見舞いするなんて、それは男のすることじゃない」
「……ふむ、確かに一理ある。お前も少しは成長したようだ」
・.*~*~*.・
それで僕の内なる
青空ひかりはまだ僕らに手を出していない。そんな相手をいきなり殴りつけるなんて僕にはできない。怖いから出来ないとかじゃなくて、男のプライドがそうさせているんだ。本当だ。
それにひょっとしたら、青空ひかりは僕らとお友達になりたいのかもしれない。その可能性だってある。それならそうで無碍にはできない。
でもやっぱりそれだけは違った。
青空ひかりは、お気に入りの玩具でも見つけように、僕にターゲットを絞り、頻繁にちょっかいを出してきた。
白飯を食べるスピードが「異常だ」と中傷された。
白のブリーフは「心の病気か?」と揶揄われた。
僕が9時半に寝ていると聞き付けると「子供かよ」と笑われた。
スタバでダークモカチップクリームフラペチーノをホイップ多めで注文するところを目撃されて、「女子かよ」と気味悪がられた。
それでも僕は我慢した。
これで頭にきて手を出してしまえば、それは男ではない。僕の男のゲンコツはそんなことの為に握りはしない。内なる
だが、とうとう青空ひかりは僕の男の琴線に触れてしまった。
男が立ち上がる理由はひとつしかない。厳密に言えばこれで二つ目だが。
青空ひかりは、僕の仲間に手を出したのだ。
僕ら仲間内では、お誕生日にプレゼントを贈り合う習慣がある。
この時お誕生日を迎えたのは、僕と一番付き合いの長い、親友だった。
僕はその親友に、ネコちゃんのぬいぐるみのキーホルダーと、ずっと友人でいようね、と想いを綴った手紙を贈った。
だがそこに青空ひかりの魔の手が伸びた。
青空ひかりは僕が贈ったプレゼントを親友から奪い取り、ネコちゃんを引き裂き、手紙は朗読までして破り捨てた。
親友は悔しさのあまり泣いていた。男泣きだった。
僕は男のゲンコツをきつく握りしめた。
ここまでされて黙っているわけにはいかない。
僕の内なる
アイツを貶める方法なら幾らでもある。
きっと法に触れることもしてきているだろう。
それを暴いてしまえば簡単だ。
だが、僕は男だ。
男の中の男だ。
「漢」と書いて「オトコ!」とルビをふるくらいに、僕は
これは男同士のぶつかり合い。
男なら拳で語り合う。
そう、喧嘩だ。
僕は古くからの流儀に倣い、「果し状」を青空ひかりに送り付けた。
場所は人目のつかない河川敷を選んだ。
時刻は夕暮れ時を指定した。
そして、その当日。
一足早く到着した僕は、高ぶる気持ちを落ち着かせるために目を閉じ瞑想して待った。だが、目を閉じても伝わる夕焼けの陽射しが何だか逆に気持ちを高ぶらせた。このエモーショナルな雰囲気でちょっと悦に入ってしまったのだ。
これはいかんと、僕は親友の男の涙を思い出し、男のゲンコツを更にきつく握りしめた。
そうして待つこと小一時間。ようやく青空ひかりが現れた。遅い登場であったが、考えてみれば時刻を「夕暮れ時」と曖昧にしたのがいけなかった。
「なんだよ、こんなところに呼び出して」
青空ひかりは事態が呑み込めていないのか、きょろきょろと辺りを窺って落ち着きがなかった。この期に及んで理解もできない相手に僕は腹が立った。
「自分の胸に手を当てて考えてみろよ!」
「え? な、なんだよ、それ、何が言いたいんだよ?」
「この、分からずや!」
「どういうことだよ、お前は分かっているってことか?」
「当然だろう! いいか? ここで僕とお前は雌雄を決するんだ!」
「し、しゆー?」
「雌雄だよ、雌雄! メス、オスと漢字で書いて雌雄! とにかくそれを決めるんだ!」
「なっ、なにを言ってんだよ! メス、オス決めるってどういうこと?」
「もう、分かってないな! 要するに喧嘩だよ、喧嘩!」
「はあ? 喧嘩? 俺とお前がここで喧嘩?」
「そうだ!」
「なんで?」
「そんなの決まっている! お前は僕の親友に酷いことをしただろう!」
「……ああ、それね」
「僕は怒っているんだぞ!」
「はいはい、悪かったよ。お前ら気持ち悪いくらいに仲良くしているから、やきもち焼いたんだ」
こんな一大事であるというのに、青空ひかりはへらへらとしていた。それには僕の内なる
「調子に乗るのも今の内だ! 痛い目みても知らないからな! これでも僕は空手をかじっていたんだぞ!」
「シュビッ!」と空を裂く音を脳内に流して正拳突きを披露した。空手を習っていたのは本当だ。体験入学だけだったのを青空ひかりに教える義理はないが。
「俺はやらないよ」
「何だって?」
「俺はお前と喧嘩なんてしないよ」
「問答無用! 男同士、拳で語り合おう!」
「やだよ」
「な、なんで、なんでだよ!?」
青空ひかりは「めんどくせえなあ」とぼそりと言って頭を掻いた。
相手にするまでもない。その態度から受け取れた。
「好きなやつを殴れるかよ」
「え? 何て?」
「うるせー」
青空ひかりはそっぽを向いた。
夕日のせいか頬が赤く染まっているように見えた。
僕の聞き間違いでなければ青空ひかりは「好きなやつをどうだ」とか言っていた気がする。これはつまり、殴り合う前に僕らは友情を育んだ、ということになるのか? 喧嘩の後はお友達、というのはよく聞く話だが、こんな事もあるなんて知らなかった。
「それは人間的に好きって意味だよね? 友情とかそういう」
「……男が男を好きになって悪いかよ」
理解が追いつかなかった。
僕は内なる
・.*~*~*.・
「なるほど、あの青空ひかりって男も、あれでいて
「それはどういうこと?」
「分からないか? アイツは自身の悪行を恥じて、お前の男のゲンコツを受け入れようとしている。自らを罰するためにな」
「なるほど、アイツなりに考えがあったか。でも、どうしよう? 一度振りかざしたこの男のゲンコツはどうしたら?」
「やるしかない。アイツの覚悟をお前も受け入れるんだ」
「やっぱり、それしかないか」
「いいえ! そんなことないわ!」
「何者だ!?」
「私は金剛力士アヤメの女々しさの部分よ。話は聞かせてもらったわ!」
「ここは女々しさの出る幕じゃねえ! これは男気の問題だ!」
「おだまりなさい! 愛のビンタでもお喰らい!」
「いてっ! く、くそう! なんてパワーだ!」
「当然よ、愛の力は偉大なの! もう一度喰らいなさい、愛のビンタ!」
「ぐわあっ! ま、ま、参った! 降参だ!」
「なんてこった! 男らしさがこうも簡単に!」
「金剛力士アヤメ、あなた本当は分かっているのでしょう?」
「え? な、なんのこと?」
「人の顔色窺って生きてきたあなたなら、彼の気持ちくらい、分かっているのでしょう?」
・.*~*~*.・
正直いうと僕は分かっていた。
僕みたいな小心者は相手の気持ちに機敏に反応してしまうんだ。
青空ひかりは僕を好いている。
これはいわゆる同性愛というやつだ。
先ほどと変わって僕を真摯に見つめる青空ひかりのその眼差しが物語っていた。そしてタガが外れたように口も文字通り物語る。
「自分でもおかしいと思っているさ、でも俺はお前が好きなんだ。白飯をバクバク食うお前の姿が愛おしいと思った。病気が原因で白のブリーフを穿いてるなんて聞いた時には、心配で押し潰されそうになった。9時半に寝るお前がどんな夢をみるのか想像して寝付けない夜もあった。俺はお前が好きなんだ。ホイップをほっぺにつけて笑う、お前が好きなんだよ!」
そう沢山の情報が流し込まれては、僕の脳みそでは処理しきれなかった。頭が真っ白になり、怒りの感情も薄れていた。
僕にはもう男のゲンコツを握る力は残されていない。
だから、代わりの愛のビンタで青空ひかりを張り倒した!
この行動が自分でも理解できなかった。
そもそも何も考えていない。
ただそれが幸か不幸か、ある種のゾーンに入っていたようで、僕の愛のビンタは的確に相手の顎先を捉え、その衝撃で脳が揺れた青空ひかりは糸の切れた人形の様に膝からガクンと崩れ落ちた。
我に返った時には、白目を剥いた青空ひかりが泡を吹いて倒れていた。
その凄惨な姿を目の当たりにした僕は、恐怖のあまり一目散に逃げ出したのだった。
後日。
誰が見ていたか知らないが、あの悪名高き青空ひかりが金剛力士アヤメに喧嘩で負けた、と噂が広がっていた。金剛力士の厳つい名前も相まって尾ひれ羽ひれつけて広まっていた。
奇しくも僕は男をあげた。
だが、この男を賭した戦いは僕の負けに思う。あそこまで僕にぶちまけてしまった青空ひかりが一枚上手に感じたからだ。
そして、この戦いで僕は教訓を得た。
それはよく聞く言葉で、そう難しいことではないけれど、口に出すのはいささか恥ずかしい。
それは、愛に勝るものはない、ということだ。
これは、普遍的な意味合いで、愛の力は偉大だ、ということで、個人的な愛を指しているのではない。「なるほど、金剛力士アヤメは青空ひかりの『愛』に屈したのかぁ」と、くれぐれも誤解せぬように、くれぐれも!!
男の中の漢 そのいち @sonoichi
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