第四章 竜の盾(2)
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朱と紫の縞模様に染まった空を、一羽のワタリガラスが翼をひろげて横切った。東から西へ、〈聖なる炎の岳〉から中央山脈へ。カラスは国境の川をとびこえて
樫や杉、ぶなの巨木がおいしげる〈古き森〉の一隅に、灰色の外套をまとい頭巾をかぶった人々が集まっていた。
男も女も、若き者も老人もいたが、多くは壮年の男たちだ。杖をつき、
カラスが静かに観ていると、祭司たちの中から一人の女性がすすみ出た。頭巾を脱いであらわにした顔はまだ若い。ゆたかな黒髪を肩から背へ流し、革製の
女は片手に一羽のニワトリを、もう片方の手に銀色にかがやく短刀を握っていた。
歌声がいっそう大きくなる。カラスはぶるりと身を震わせた。
女は、ニワトリの首に刃を当ててさけんだ。
「日に夜を、闇に光を。生と死のはざまにいます神々に、申し上げたてまつる。われらが願いをききとどけたまえ。敵に死を、死者に導きの灯を。闇の使者をこれへ。呪いの
そう言うと、彼女はニワトリの首をかき切った。ぐっとひと声で鳥の頭は落ち、血が噴き出した。(カラスは枝の上でひゅっと首をすくめた。)
ぼたぼたと滴る血をものともせず、女はニワトリの亡骸を樫の幹に押しあて、枝にくくりつけた。手についた血で樫の幹に
他の
宵闇にしずんだ森の影から、突然、ものすさまじい気配が立ちのぼった。女と祭司たちは身構え、しばらくその場に立ち尽くした。カラスは羽毛をふくらませて首をあげ、森から夜へと拡がる〈闇〉を
やがて、自分達の願いが成就したと察した
女ははだけた
「〈
モルラは
「いいんですか? あやつの矢は、貴女がたの敵だけでなく、
「願ってもないこと」
モルラは
「〈
「こわいなあ。相手の意思はおかまいなしですか?
「利いた風な口をきくな」
モルラはふんと鼻をならし、小柄な優男をねめつけた。
「こうしている間にも、故郷を追われた〈大地の民〉が、飢えと寒さに凍えている。病に倒れ、傷つき、生命を落とす者もいる。全ては〈
「そう言われると、返す言葉はありませんが」
「真に民を想いおのが義を貫くなら、セルマ公女の矢はその父にこそ向けられるべきであろう。ライアンの剣もまた同じ」
「厳しいなあ。仰るとおり、ですが――」
「……貴公は変な御仁だな、レイヴン卿」
不意にモルラは口調をゆるめ、苦笑した。レイヴンは、ぽりぽりと頭の後ろを掻いている。
「民を保護したかと思えば、アイホルム大公を庇おうとする。ネルダエの
「わたしはただ、板挟みになっておられるセルマ公女とライアン殿を、気の毒に思っているだけです」
「板挟み」
モルラは首をかしげ、ふむ、と鼻の下をこすった。掌に着いたニワトリの血を眺め、
「トレナルが忠心は〈
「そうすっきりはっきり割り切れないから、困っているんですよ。大公夫妻は救いの対象になりませんか」
「〈偽大公〉を?」
モルラは声をあげて笑い出した。レイヴンは困って眉尻を下げ、もじもじと手を揉んだ。
モルラは笑いをおさめると、若い(ように見える)
「貴公はよほど心根が優しいのか、おめでたいのか。
「そうでしょうね……」
レイヴンは反論せず、肩を落としてしょんぼりと項垂れた。モルラは彼をしげしげと眺めた。
「〈山の民〉はセルマ公女に力を与える一方、秘かに被害をくいとめようとしている。
「魔には魔を、ですか」
「さよう」
モルラは力強くうなずき、夜空を見上げた。
「魔力をもって魔法を封じれば、人同士の戦いとなる。大公が大公家を救うか
そう言ってモルラがふりむいた時、
*
「どうした? シルヴィア」
夜風がふき抜ける
白銀の長髪、真珠色の肌をもつ少女だ。紫水晶の
「魔ガ動イタ。あるとりくす。どりゅいど達ガ、仕掛けるゾ」
「ええ?」
アルトリクスは咄嗟に意味がわからず、瞬きを繰り返した。
アルトリクスは、はっと息を呑んだ。
「ネルダエの
青年の表情がみるまに翳るのを、シルヴィアは冷静に見守った。
「打チ壊スニハ及ばズ、スリ抜ケルであろう。〈
「そうか……」
「行クノであろう? あるとりくす」
シルヴィアは首をかしげ、アルトリクスの沈んだ顔をのぞき込んだ。真摯な眼差しを受け、青年は弱々しく微笑んだ。
「奴らの気持ちは解る。だが、おれはセルマを見捨てられない。いいのか? シルヴィア」
「
「シルヴィアは、おれ達の女神さまだから」
アルトリクスは微笑み、少女の頬をそっと撫でた。
「勝手なことをしたら怒られると、長老たちが心配しているんだ」
シルヴィアは表情を変えなかったが、とがった耳の先をわずかに動かした。
「我ハ汝ト契約シテイルが、汝ガ行動ヲ決メルのは、汝自身ダ。ひとノ子ヨ、汝ラノ生ハ短イ。さっさと
「要するにそうなんだが……そんな風に言われると、身も蓋もないなあ」
アルトリクスは片手で顔をおおい、ため息をついた。思わず苦笑いしてしまう。人語を解し人の姿になれる
シルヴィアは再び眼を細め、遠い記憶を呼びおこすように応えた。
「我ニハ汝ガここヲ離れることヨリ、絶エルことノ方ガ耐エ
「ありがとう、シルヴィア。お言葉に甘えさせてもらうよ」
アルトリクスは礼を述べたが、シルヴィアはにこりともしなかった。そういう感情表現とは無縁なのだ。彼女の優しさを理解しているアルトリクスは、少女のなめらかな髪を撫でた。
夜風が、星空を映す湖面にさざなみをたてて通りすぎる。下界から離れた聖地の風は冷たく澄みわたり、銀色の星の光が二人を包んだ。
「そういえば、シルヴィア」
「ナンダ?」
「つがいで気づいたんだが――気を悪くしないでくれよ。シルヴィアには仲間はいないのか? 他のドラゴンは?」
「イルぞ。我ヲふくめ四頭」
シルヴィアは桟にもたれ、面白くもなさそうに頬杖をついた。アルトリクスは彼女の髪を撫でる手を止めた。
「四頭?」
「近所ニいる。東ノ
アルトリクスの口がぽかんと開いた。シルヴィアが同族の話をするのは珍しく、口調のそっけなさに驚いた。
「我ラハ単独デ暮ラシ、卵ヲ産むトキだけつがう。近クニいるノガ
「……そうか」
「
「わかったよ、シルヴィア。ありがとう」
アルトリクスは遂に笑いだした。くつくつとひとしきり笑った後、頬を引き締めて水竜に向き直った。
「シルヴィア。お願いがあるんだ――」
~第四章(3)へ~
ゴーラム・ロッホと野鼠の王女 ―『塔の上のレイヴン』外伝 石燈 梓 @Azurite-mysticvalley
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