第3話 テレパス倶楽部
旧校舎の二階、一番奥の誰も使っていない教室。
教室の手前側の入り口から入って左手側半分には、現在は使用していない古びた机と椅子が並べられている。
そして残りの右側の真ん中あたりに、二つの机が頭をくっつけた状態で並べられている。片方は教室前面の黒板を背にして。
その机には椅子も一つずつ配置されていた。
黒板は落書き一つなく綺麗に消されている。
教室の窓から見える空は茜色。
教室のコンセント近くにも一つ机が設置され、その机の上に不自然に置かれている湯沸かしポット。湯沸かしポットのプラグはしっかりとコンセントに刺さっている。
百道浜はスクールバッグから、割れないように丁寧に箱に入れられたティーカップとそれを乗せるソーサーや皿、紅茶のティーバッグを取り出し、湯沸かしポットからお湯を注いで紅茶を入れ始めた。
教室の中には、ダージリンの香りが漂いだす。
俺と百道浜は向き合う形でその椅子に座った。百道浜は教室の奥を、俺は教室の前面を背後にして。
百道浜は椅子を少し引き、またバッグを開けて中から袋に包まれたクッキーなどのお菓子、銀色の包みでくるまれた複数の角砂糖を取り出し、それを机に置いてある皿に簡単に並べた。
「どうぞ召し上がって」
そう百道浜に笑顔で促され、俺は紅茶とクッキーをいただいた。普通に美味しい。
「それ全部持ってきてるのか。面倒だろ」
「面倒だけど、カフェなんかよりも私は学校でお茶をするほうが楽しいから、苦にはならないわ」
それはなんとなく理解できる。なんだか幼少期に秘密基地で遊んでいたようなこの感覚は、きっとカフェなんかでは味わえないだろう。
「ところで零くん。さっき屋上から飛び降りようとしていた理由、そして今のその涙の理由を教えてもらえるかしら?」
気が付かないうちに、俺の学ランのズボンにはいくつもの水分によるシミが出来ていた。
……あれ?
何で俺は今、泣いているんだろうか?
「虚しい」という感情が「悲しい」を凌駕し、俺の涙は既に枯れたものだと自分では思っていた。なのに、俺の目からはどんどん涙が溢れてきて止まらない。
そして、口火を切ったように俺は話し出す。
「俺、学校でイジメに遭っててさ。ニュースなんかで見るイジメよりも軽いものだと思うのに、俺はメンタルがそんなに強くないから、クラスメイトに無視されたり、変なあだ名を付けられて呼ばれる。それだけで凄く凄く辛くてさ」
「そうだったのね。あなた、プライドは高い方?」
「プライドも高いと思う。だから、この偏差値の高い中学を辞めることが出来ず、所謂スクールカーストでもトップだったところから転落して今みたいにイジメられっ子になってしまったのも、俺が辛い、生き辛いと思っている原因なのかもしれない」
そして百道浜は胸ポケットから何やらメモ帳を取り出し、その胸ポケットにさしてあったボールペンでそのメモ帳に何かを書き始めた。
「あなたのこの世への未練は、この学校での生活を楽しいものにしたい。人生で一度しかない中学生活を、青春を謳歌したい。そういった願望からきているのではないかしら?」
「……そうかもしれない」
小学生の頃から、うだつの上がらない生徒だった俺。せっかく中学生活では自分を変えようと努力しカーストのトップグループに入ることが出来たのに、このままでは俺の努力は無駄になってしまう。
そして、自殺しようとした俺にだって分かっている。俺が自殺したら母さんなど、悲しむ人が少なからずいることを。
だったら、俺が死なずに生活を出来る方法を模索したほうがいい。でも、プライドが邪魔をしてこの中学を辞めることすら出来ない。
俺は本当に我儘だ。
「零くん、今から私はあなたに少し厳しいことを言うけど大丈夫?」
「ああ、もうこれ以上壊れるメンタルが残ってない。言ってくれ」
そう、俺は今までこれだけ耐えてきたんだ。百道浜に何か言われたところで、城南たちからされてきたことに比べれば大したことはないはずだ。
「見た目を変えることは大切。努力することも良いこと。でもね、あなたには根本的にコミュニケーション能力が足りない。それは空気を読むとかではなく、会話を通して相手の気持ちを汲み取り、時には自分の周りの人間を巻き込み仲間に引き込む。そのくらいしないと、あなたの望む中学生活を送ることは出来ない。何故なら、あなたが今までカーストトップにいることが出来たのは、城南の金魚の糞をしていたからに過ぎないから」
……驚いた。
俺はイジメに遭っているとは言ったけど、城南のことは話していない。見た目の努力に関してもだ。
「何で俺のことをそこまで分かるんだ? 特に城南の下り、俺は話していないはずだけど」
俺は百道浜を問い質した。
「あら。同級生のみんなが知っているし気付いていることよ? 誰が見ても分かること。私に何か特別な能力がある訳ではないわよ? 見た目も『最近頑張りだしました』的で、まだまだ稚拙な雰囲気が出ているしね」
特別な能力があるとまでは思っていなかったけど、そうか。周りからはそう映っていたのか。イケていると思っていたのは、自分だけだったんだな。
「……なあ百道浜。また俺、やり直せるかな?」
百道浜はメモ取り、そしてその手を止めて俺の方へと目を向ける。
そしてニコッと笑い、こう答える。
「勿論よ。あなたは私に『助けてほしい』と言った。そして、私は私の願いを聞いてくれたらそれを叶えると言った。そして今、あなたは私の願い通り、私とお茶しながら会話してくれている」
俺は百道浜が何を言っているのか、あまり理解は出来なかった。こうやってお茶するくらい、誰にだって出来る。でも、この程度のことで百道浜は俺を『助ける』らしい。
「具体的に、どうやって助けてくれるんだ?」
俺がそう聞くと百道浜はメモを取る手を止めて、こう言い出す。
「あなたは私の願い事を聞いてくれたから、ここ『テレパス倶楽部』への出入り許可を出すわ。そうね、一〇回まで部室に来てこうやって私とお話をして私にアドバイスを求めてもいい」
テレパス倶楽部? そんな部活、この学校にあったっけ? そもそも部活としてのネーミングがおかしいような? でもそれ以前に、それのどこが俺が中学生活を、青春を謳歌できるようになる方法なんだろうか。
「ごめん、意味が分からない。もう少し具体的に説明してほしい」
すると百道浜はこう説明を付け足す。
「このテレパス倶楽部で私と会話をしてコミュニケーション能力を身に着け、私のアドバイスをちゃんと聞いてくれたらきっと、あなたの中学生活は輝かしいものになる。たったの一〇回この部室にきて私と会話をし、アドバイスをちゃんと聞くだけで。約束するわ」
なるほど? よく分からないけど、要するにここで百道浜は一〇回まで俺にアドバイスをくれる、ということだろうか。正直、胡散臭いし信用できるほど俺たちの関係は深くない。
でも俺は、藁をもすがる思いで百道浜のその提案を飲むことにした。
「本当にそんなことが出来るのか正直、まだ疑っているけど頼む。俺を、助けてくれ……」
すると百道浜は、一枚の紙をスクールバッグから取り出した。
「じゃあ、ここに書いてある内容を読んでサインしてもらってもいいかしら?」
その紙にはこんなことが書いてある。
・百道浜 紬はテレパス倶楽部の部室以外であなたと会話をしません。
・百道浜 紬にテレパス倶楽部の部室で会うことが出来るのは一〇回まで。
・一〇回のうちの一回を消費することで、百道浜 紬と部室以外の場所で会うことが出来ます。
・部室以外で会いたい時に百道浜 紬を呼び出せるように連絡先の交換を行います。但し、それ以外のことで連絡をしてきても返信しません。
・テレパス倶楽部のことを他の人に話してはいけません。
そして最後に、『百道浜 紬には絶対、恋愛感情を抱いてはいけません』と書かれている。
これらの契約内容を破った場合、あなたは一生テレパス倶楽部へ立ち入り出来なくなります。……らしい。
「恋愛感情の部分、凄い自信だな」
「あら、人は接触回数が多く、会話を頻繁にしていると相手に恋心を抱いてしまうもの。それと、出会い厨への対策も兼ねて書いてあるのよ」
なるほどね。
でも、それ以外にも気になることが山ほどある。
「なあ、何でこんなに厳重な契約・ルールが必要なんだ? ただの部活だろ? あと、同級生同士なんだから、普段は学校内で会えば話くらいしたいと考えるのが普通だと思うんだけど」
俺はその『契約』とやらの必要性がよく分からなかったので、百道浜に疑問を投げかけた。特に『一〇回までしか会えない』という部分について。
「冷たい言い方になるかもしれないけど、私と相談者は友達や恋人ではないからよ。どんなにフランクに話しをしても、あくまで私は相談役でアドバイザー。そこだけはしっかりと線引きをしたいから。そういう部活だしね」
不思議な部活動だな。でも、それはなんとなく理解できる部分もある。
「じゃあ、一〇回という回数制限がある理由は?」
「回数を区切っておかないと、ダラダラと相談し続ける人がいるからよ。というより、殆どの人がそうしておかないと私に依存してしまうから」
確かに、俺みたいな自殺志願者などは精神的に病んでいる。依存してしまう可能性は否定できない。
「もし、一〇回の上限に到達した後はどうなる? 俺たちは一生、友達にはなれないということか?」
「上限に到達したあとは、どう足掻いても私とあなたは会うことも話すことも出来なくなる。例え私があなたと友達になりたいと思うようになったとしても、私たちは友達にはなれない。その理由は、回数上限が来たら嫌でも分かるわ」
そこに関しては、具体的な説明は無しなのか。
「曖昧な答えだな」
俺はまだ契約について納得はいっていないし、胡散臭さも感じている。なんなら、ただの不思議ちゃんに揶揄われているだけだとすら思っている。でも、揶揄われているだけならその時はその時だ。その時に考えればいいだけの話。
「で、サインする? しない?」
「そんなの決まっているさ」
俺にはもう選択の余地は無い。俺はその紙・契約書にサインをした。
「では、これで契約完了ね」
百道浜は笑顔だったが、その顔は憂いの顔にも見えた。
「一〇回、相談したい時、好きな時に来る感じでいいのか?」
俺は百道浜にそう尋ねた。
「そうね。一〇回全部使う必要がなければ使わなくてもいいし。でも、一〇回以上の延長はどうやっても出来ないから、そこだけは気を付けてね」
そう話す百道浜の表情は、真剣かつ厳しい。
「了解。次、多分すぐに来ることになると思うけど、宜しくお願いします」
俺の話す語尾は、少しだけ丁寧だった。
「そんなにかしこまらなくても良いわ。『お願いする』と、普段通りでいいのよ。では、まずは連絡先の交換をしましょう」
俺と百道浜は無料でチャットや電話の出来るアプリ「ココア」の連絡先を交換した。
「もし契約内容を無視して、用も無いのに連絡をしたとしたらどうなる?」
「別に、既読無視するだけよ」
よく分からないけど、そうなのか。出入り禁止措置だとか、そういう風になると思っていたんだけど。
「ありがとう。質問は以上だ」
「では、堅苦しい話はこのくらいにして、ティーパーティーの続きをしましょう」
そう百道浜は笑顔で言った。
この簡素なものをパーティーと呼ぶことが適切なのかは分からないけど、俺は百道浜との会話を楽しむことにした。
百道浜は話し上手で、聞き上手だった。
俺が城南たちに定期券を盗まれ、腕時計を壊されたこと。畑上にいつも因縁を付けられていること。そういうことが全て重なり、成績が下がり始めたこと。などなど。俺は全ての愚痴を吐き出した。
百道浜はそれを全て、否定せずに聞いてくれたのだった。
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