悔しいじゃないか。どうせうまくいくはずない? 誰が決めたんだ撃ち返せよ

他人の評価を認めないとしたり、小説投稿サイトの作品総数をチェックして他人を意識したり、宮沢賢治の『ほしめぐり』は美しいけど、くらべて自分は醜いと落ち込む姿が、よく書けている。
人に見せたくない、見られたくない姿を描いているところは称賛に値する。

称賛とは、人の行為行動を目の当たりにした者の心に宿る感情を表すもの。

主人公からは、他人の作品を認めない、認めたくない、他人はどうでもいいから自分さえ良ければいい、私はあなたたちとはちがうのだから負け犬の遠吠えみたいに他人のために拍手なんかするもんか、という我の強さを感じる。

隣の子よりも少しでいいから幸せになりたいと思っている考えは、多くの子達に同意してくれるものだと思われる。

どんな芸術作品にも優劣はある。
価値を決めるのは第三者であり、評価には優劣がある。
ただし、絶対的な作品の評価はむずかしい。
時代や人によって異なるから。
本当の意味で優劣をつけられるのは、作者だけ。

主人公自身、宮沢賢治の『ほしめぐり』が美しいと思っている。
つまり、彼女も優劣をつけている。
自分は優劣をつけているのに、他人が優劣をつけるのは「馬鹿げている」とするのは、少々傲慢が過ぎる。気持ちはわかるけれど。

外国の路上で絵を描いて売っている作品の中には、美しいものがある。
そういった作品は「儲けたいから」という貪欲さの現れだったりする。
男子がスポーツを励む理由の一つに、女子にもてたい欲求がある。
なので、承認欲求を得るためになんでもいいから作品を書いても意味がないとか美しくないから、と主人公は考えなくていい。
考えすぎて自分を責めて落ち込んでしまっている感じがする。

主人公は型を学んでいる途中、あるいは型を破ろうとしているのかも。
いま一度、愚直に型を学び、それから型を崩していけばいいかもしれない。

「醜い心に縋るしかない」と、落ち込んだままでない所が良い。
這い上がっていく様子を見せて終わることで、かすかな希望がみえる。